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『人間死ぬ気になれば、何でもできる』
そんなキャッチフレーズをよく耳にする。でも、いざ死を目前にしたら人は何ができるというのだろうか。
せいぜい無様に跪いて、涙を流しながら命乞いをする程度だろう。
アルベルティナことベルは、値切ったパンをぎゅっと抱きしめながらそんなことを思った。
肩でざくりと切られた撫子色の髪が秋風に吹かれ、ふわりと揺れる。けれど青碧の瞳は、微動だにしない。
瞬きを忘れてしまったかのように、ただただ目の前の光景をずっと写している。
【死】そのもののように黒光りするそれを───
*
メオテール国の国境に面したケルス領都心のとある路地裏で、ベルは現在、4人の男から拳銃を向けられている。
洒落にならない状況ではあるが、こうなってしまった理由はわからない。
いつも通りパンを買って近道しようと裏路地に入った瞬間、ざっと足音がしたかと思えば、揃いの黒い詰襟姿の男達に拳銃を突き付けられてしまったのだ。
もちろん顔見知りなんかじゃないし、そもそもこんな恰好をした人達をケルス領ではめったに見ることはない。だがベルは、彼らを知識としては知っている。
唯一、国が拳銃の装備を認めている存在──軍人。
しかしベルは、軍人から幾つもの銃口を向けられるという危機的状況を、自分から作った覚えはない。
強いて言うなら、ほんの5分前にパン屋で形の悪いバケットを値切り倒したけれど、代金はちゃんと払ったし、店主は金を受け取った。
嫌なら売らなければいいのに、しっかり「まいどっ」という言葉も店主は口にしたのだから、売買は成立している。だからやっぱり、銃口を向けられるいわれはないはずだ。
でも、そう主張したくてもできない。唐突すぎる状況に思考が追いついていないし、弁明するにしたって明確な理由がなければ事態を悪化させるだけ。
(そこそこ人通りがあるはずなのに、誰も助けてくれないなんて、世知辛いなぁー)
ひょろひょろの少女がこんな窮地に立たされているというのに、通り過ぎる人達はベルに気付いても皆、見てはいけない何かを目にしたかのように足早に過ぎ去っていく。
一縷の望みをかけて、ベルは視界の端に映るパン屋に目線を移す。
焼きたてのパンにしか見えないふくよかな店主は、いっそ拍手を送りたくなるくらいに忙しそうだ。店内に客は、一人もいないというのに。
酷い!と思うけれど、軍人はおっかない存在だから、関わり合いたくないという気持ちもわかる。
ベルとてこんな状況になっても、関わり合いたくないと思っているくらいなのだから。
(……さあて、どうしたもんだろうか。これ)
途方にくれながら、ベルはバケットを抱きしめる力を強める。
すぐにパリッと表面の皮が割れる音と共に、大事なバケットが潰れる感触が伝わってくる。ちなみにこれは、ベルの一週間分の大事な食料だ。
(もういっそ、このまま走って逃げちゃおうかな)
まるで悪魔のささやきのように、もう一人の自分がそう提案する。うっかり同意してしまいそうなほど、魅力的だ。
そんな思考が顔に出てしまったのだろうか、銃口を向けている軍人の隙間から、一人の男が一歩前に出た。
「アルベルティナ・クラース。悪いが何も聞かずに、俺たちに付いてきてもらおうか」
人に命令をすることに慣れた、随分と横柄な口調だった。
冬の夕暮れのような黄色とオレンジ色の間のような瞳はとても鋭く、たとえ女子供であっても容赦はしないという厳しいオーラが滲み出ていた。
けれどこの男、大変美形でもあった。そして拳銃を手にしている者より、地位が高そうである。
すらりとした長身の体を包む黒の軍服は、詰襟ではなく、長い上着。その中はシャツとタイで、腕章もしている。
軍人のトレードマークである軍帽は被っておらず、秋の柔らかい日差しを受けて銀色の髪は眩しい程に輝いている。
役職を示すはずの茜色のタイは、緩く結んでいる。そういう着崩れも許されるほどの地位ということなのか。
ベルは短い時間で、そこまで分析してみた。でも、そんなことをして何の役に立つのだろう。
相手は軍人だ。しかも、問答無用で拳銃を向ける、容赦無い連中だ。
「アルベルティナ・クラース。二度も、言わせるな」
苛立つ男の声がして、ベルははっと我に返った。
銀髪軍人と目が合った。
逃げたいという希望は、射貫くような眼差しを受けた途端、一瞬で打ち消された。
「……あの、パンを」
「は?」
「……パンを返して来ます。だから」
「あんた何を言っているんだ?それはあんたが食べたくて買ったんだろう?なのにどうして返品するんだ?買ったところを俺は見ていたから、窃盗っていうわけでもなさそうだし」
必死に言葉を紡いだけれど、どうやら的外れだったようだ。
羞恥と後悔で更に身体が震え、ベルは唇を噛む。
「ま、パンのことはどうでもいい。とにかく俺たちと一緒に来てもらうぞ」
肩を竦めながらそう言った銀髪軍人は、顎をしゃくって奥の裏路地を進めと示す。
それは、有無を言わさない決定事項を告げるものだった。