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◻︎脱皮?
「そんなわけでさ、いきなり顔から首筋から滝のような汗が吹き出して困っちゃった」『とうとう美和子にもおいでなすったね、更年期』
遥那の、結婚式のための顔合わせ会から2日後。
私は親友の礼子に電話していた。
同じ年の礼子は、子どもの幼稚園が一緒でその時からの友達だ。
タイプは女優でいうと、あの、ほら、理想の上司アンケート一位の。
黒髪前下がりのボブ。
色白でキツめのルージュがとっても似合って、それが意志の強さを表してるような女性。
「やっぱりそうだよね?あまりにも突然だったからさぁ、焦ったよ、よりにもよってあんな大事な席でさぁ」
『そりゃ仕方ないって。でも、相手の奥さん、いい人でよかったね!』
「そう!私も経験あるからって、わかってくれて。そのご主人も理解があってね。騒ぎ立てずそっとしといてくれるし。それにくらべてうちの人、もう、恥ずかしかったわ」
『なにかしでかしたの?』
「特にこれってないんだけど、相手があまりにもお上品だから、気後れしちゃって」
『でも、隆一君は、肩が凝らなくていい人だと思うけどなぁ』
「まぁね、それはそうだけどさ…。ところで元気にしてたの?そっちは」
この半年くらい、礼子と直接会ってないことを思い出した。
『そこそこ元気、なつもりだけど。若い頃みたいに体力ないなぁと思うよ。徹夜した日とかもう起き上がれないもん』
「なんで徹夜なんかするの?カラオケとか?」
『ううん、うちのばあさん、たまに夜出て行っちゃうのよ。そうすると夜の間ずっと探し回ったりしてね』
「えーっ、大変じゃん、施設は?」
『安く入れるとこは空き待ちだよ、いいとこ入れるお金ないしね』
「はぁ、切実な問題だ」
『そうよ、まだ更年期で汗だくになってるくらい、なんてことないわよ』
「そうか、そうかもね」
『考えようによっては…生理がなくなったことで、毎月のあれこれから解放されたでしょ?間違っても妊娠してしまうこともないんだし』
「まぁね……って、今更妊娠もないでしようが!」
『わかんないよぉ、やりたい放題だよぉ』
「まったく、あんたって人は…」
そんな話でひとしきり盛り上がった。
礼子と話すのは楽しい。
よその家庭の噂話とか芸能人の話みたいなつまらない話をしなくてもいい。
『更年期ってさあ、人それぞれだしツライこともあるみたいだけど…脱皮と考えたら?』
「脱皮?私は蝶か?」
『いや、そんないいもんじゃないけど、ザリガニでもオニヤンマでもいいけど。そこ抜けたら、あとは新しい自分になれそうな気がしない?』
「ポジティブだねぇ!あ、でも、食事会の奥さん、ていうかそのうち親戚になるんだけど。帰り際に名刺をくれたのよ」
思い出して、財布からその名刺を取り出してみる。
『名刺?肩書きは?』
「肩書きはないの、名前と住所と連絡先が書いてあるだけの」
『なんのための?』
「それがね、キレイな虹色の名刺でね。虹色の意味は、これからどんなモノにもなれますって意味だって」
『ん?なに?わからん』
「奥さんでもお母さんでもない、私個人という意味らしい。〇〇の奥さんとかではなく、個人としてお付き合いしてくださいとか言ってた」
『あー、なるほどね。いろんな柵から解放されたってことなのかもね』
「うん、礼子が今言ったことと意味が似てるなぁと思った」
「どんなものにも…なれるのか?いまさら…」
『いまさらじゃくて、今からだよ、きっとさ』
「そういう礼子は更年期は大丈夫なの?」
『ん?ん、まぁね、そっちは大丈夫』
「そっちは?」
『いや、そんな深い意味はないよ、私はそんなに大した症状はないってこと』
「いいなぁ。でも、更年期になるってことは女としては終わりってことなのかな?」
『それは違うんじゃないの?体の仕組みが変わるだけでさ、自分自身が変わるわけじゃないんだから』
「そうだね。ま、いまさら女としてどうとかよりも、どうやって楽しく暮らしていくかだね」
そのうち、ランチでもしようよと約束して電話を切った。
脱皮かぁ…。
柵から解放されるって?
そういえばもう子どもも大きいから、保護者同士の柵はない。
私の両親は早くに亡くなったから介護の心配もない。
夫の両親は今のところ特に問題はない。
経済的なことは…。
家のローンが来年には終わる。
贅沢しなければ、老後の資金も大丈夫。
家族も今は問題ないし。
_____お?そう言われてみれば、私はそこそこ恵まれているじゃん!
これといった不安材料や悩み事は見当たらない。
意外に身軽に動けそうな状況だ。
さっきまでの鬱々とした気分が、急に明るくひらけてきた感じがする。
ピーッピーッピーッと2回めの洗濯が終わったと知らせるアラームが聞こえた。
外は今日も晴れ渡っている。
これならシーツもすぐ乾きそうだから、もう一回、洗濯しよう。
ふんふんふん🎶
鼻歌が出てしまう。
_____物事は見方を変えれば、感じ方も変わる、きっとそう!
夫とは寝室が別にしてある。
不規則な夫の就寝時間に合わせられないから、ずっと別。
本当の理由は、新婚当初、一緒の布団で寝ていた時に寝相の悪い旦那から熟睡中に、顔に肘鉄をくらったからだけど。
息が止まるほどびっくりしたのと、あまりの痛さに悲鳴をあげることもできなかった。
それにも気づかず少しも起きようとしない旦那を、思いきり蹴飛ばして頬を冷やしながらソファで寝た。
今じゃ笑い話だけど、当時の私は瞬時に離婚まで考えた…それだけ若かった。
いまはそれぞれに寝室があることで、ゆっくり眠れるようになったし好きな時間にスマホをいじっていても、嫌な顔をされることもない。
これは、ぜひ世の奥様方に勧めたい、特に熟年夫婦になったなら。
ふんふんふん🎶ふふんふん🎶
ん?
ベッドの下に何かある…は?え?
ちょっとしたエッチな雑誌。
今時、高校生でもこんなの見ないと思うんだけどな。
_____そうだ、こうしといてやれ!
雑に押し込められて、クシャクシャになった雑誌を綺麗に直して、ベッドの真ん中に置いておいた。
見つかってしまった、と慌てるだろう夫の反応が楽しみだ。
次の日。
夫の寝室の本棚に、綺麗に並べて入れてあった。
_____なんか、ちょっと負けた感…
更年期障害、症状。
ネットで検索してみた。
頭痛、ホットフラッシュ、肩こり、イライラ、めまい……
_____あれ?そう言われれば当てはまるかも?
よく聞く症状がズラッと列記されている。
なんとなく不調だなと感じてたことが、たくさん当てはまる気がする。
鬱もあるそうな。
最近なんとなく体調がスッキリしないと思ってたけど、そうか、そういうことか、更年期障害というやつで全部説明できちゃうのか。
そうとわかったら、なんだかホッとした。
体が変わろうとしてるのね、うん。
症状によっては投薬や漢方、色々あるみたいだ。
_____私はそこまで必要ないかな
私は単純な人間だと思う。
体調が悪いと、何かの病気じゃないかと不安になったりするけど、何かしらの病名がつけられればそれだけでいくらか安心する。
_____ストレスね
おおかたの病には、ストレスがよくないと聞く。
_____ならば更年期の症状も、ストレスを減らせば軽くなるんじゃない?
よし。
これからは素敵な脱皮のために、自分が気分よく過ごせることを目標にしてみようか。
そんなことを考えていた午後。
「ね、お母さん…」
改まった話がある時の遥那は、私をお母さんと呼ぶ。
「なに?大事な話?」
「うん、あのね、晶馬君とも話したんだけど、結婚式のこと」
「うん」
「本当に私たち2人で決めていいの?」
「いいよ、それは最初からの約束。でも予算も自分たちで用意するんだよ?」
「わかってる。それでね、結婚式はしないことにしたの」
「そうか。うちはそれでも構わないけど、あちらは?」
「晶馬君のおうちは大丈夫なんだけど、職場の上司がごちゃごちゃ言ってるみたい、親不孝だとかなんだとか。式をあげないことって親不孝なの?」
「なんじゃ、その上司。いつの時代のオッサンなの?一番の親不孝はね、子どもが不幸になること。子ども自身が幸せなら、なんだっていいんだから気にするな」
「だよね?うちらがいいんだからいいよね?あ、その上司は未婚の女性で、ママと同じくらいの人なんだって」
ふーん、女性でもそんな人いるんだって感じ。
ん?これはある意味ハラスメントなの?
ホッとした顔の遥那。
「大事なのはさぁ、遥那と晶馬君2人の気持ちなんだからね」
「わかってる。わかってるついでにもう一つ!」
「なんだ?今度は」
「入籍も、しばらくはしないでおこうと思うんだ」
「ん?なんで?」
「ママは昔言ってたじゃん?結婚したい人があらわれたら、とりあえず同棲して試してからにした方がいいって」
「言ったよ。戸籍をごちゃごちゃするのはどうかな?と思うから」
「だからね、そうすることにした」
「じゃ、ただの同棲じゃんか?いいの?」
「いい、それがいい。結婚したって浮気する人はするし。しばらく試してから必要なら入籍するから」
それがいいと思う。
私は式を挙げる日に入籍した。
_____入籍していなければ、あの、肘鉄をくらった日に家を出たかもしれないなぁ…
熟睡していた夫は、私に肘鉄をくらわせた記憶はなく、だから、ごめんなさいもなかった。
身に覚えがないのになんで謝るの?それが夫の言い分だったけど。
どうやって仲直りしたのか?いまでは 思い出せない。