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石藤から放たれる、どす黒い怨念の塊が、龍のような形を成して与太郎に襲いかかろうとしていた。周囲の木々は一瞬にして枯れ果て、地面は腐った沼のように泡立っている。徳兵衛が声を振り絞って叫んだ。
徳兵衛:「逃げろ、与太郎! 今のあいつは、人の心を持った女じゃない! 災厄そのものなんだ!」
だが、与太郎は逃げなかった。恐怖に震えるどころか、その瞳には深い慈しみと、どこか懐かしむような色が浮かんでいた。与太郎は、肩にかけていた真っ白な「福布」を両手で広げると、まるで冬の寒さに震える幼子を包み込むように、一歩、また一歩と石藤の闇の中へ踏み込んでいった。
与太郎:「……石藤。あんた、こんなに冷たくなっちまって。ずっと一人で、寂しかったんだろう?」
石藤の形をした「怪物」は、激しく拒絶するように絶叫した。
石藤:「……うるさいよ! 憐れむんじゃないよ! あたいはね、あんたたちが救ったものを、全部地獄に引きずり落としてやるんだ!」
闇の腕が与太郎の肩を貫こうとした、その寸前。与太郎は、ふわりとその真っ白な布を、石藤の頭上からそっと被せた。
その瞬間、世界から音が消えた。
石藤を覆っていた漆黒の霧が、布に触れた途端、眩いばかりの銀色の光へと転じた。それは、かつて与太郎を救った「謎の女」が放った光よりも、さらに温かく、力強いものだった。布の下で、石藤の凄まじい絶叫が、次第に掠れた、か細い女の声へと変わっていく。
石藤:「……あ、熱い……。やめておくれ、与太郎……。あたいの『憎しみ』が、溶けていっちまう……。あたいから、これを取り上げないでおくれ……!」
石藤にとって、憎しみは自分を支える唯一の杖だった。それが光に浄化されることは、自分自身が消えてしまうような恐怖だったに違いない。しかし、与太郎は布の上から、石藤の震える肩をぎゅっと抱きしめた。
与太郎:「……大丈夫だよ、石藤。憎しみなんて、もういらないんだ。あんたは、本当はあたいと一緒に、お日様の下でおにぎりを食べたかっただけなんだろう?」
その言葉が、石藤の心の奥底に眠っていた「最後の人間らしさ」を撃ち抜いた。
光はますます強まり、石藤の体を包み込んで宙へと浮かび上がらせた。彼女の肌を覆っていた呪いの鱗が、光の粒となって剥がれ落ちていく。ひび割れた顔が、ゆっくりと、かつての「美女」の姿へと戻り始めた。
しかし、それは単なる若返りではなかった。
光に包まれた石藤の瞳からは、これまで流すことのなかった清らかな涙が溢れ出した。彼女の背後に張り付いていた巨大な貧乏神が、断末魔の叫びを上げて霧散していく。
石藤:「……よ、与太郎……。あたい……あたいは……」
石藤が何かを言いかけたその時、空から鈴を転がすような、あの「謎の女」の声が響いた。
謎の女:『……与太郎様。貴方の愛が、ついにこの魂を救いました。……ですが、彼女が犯した罪は重い。これからは、長い償いの旅が始まるでしょう』
光が収まると、そこには気を失って倒れている、穏やかな表情の石藤がいた。彼女の髪は雪のように白くなっていたが、その寝顔は、これまで見たこともないほど清らかで、毒気が抜けていた。
徳兵衛が、ボロボロの体を引きずりながら、与太郎のそばへ歩み寄った。
徳兵衛:「……終わったのか、与太郎」
与太郎:「……あぁ。徳兵衛さん。……石藤、やっと眠れたみたいだね」
与太郎は、白くなった石藤の髪を優しく撫でた。村人たちは命を落とした。石藤もまた、その罪を背負って生きていかねばならない。だが、三人の運命はここから、全く新しい方向へと動き出そうとしていた。
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