ハンクは執務室で引継ぎの書類を眺めていた。天気の良い朝はテラスで食事をする習慣のあるハンクはソーマの提案に乗り今朝はキャスリンを誘ったのだ。
しかし、女というのは食事量が少なくないか、あれで腹は満たされるのか。気になって聞いてみたがいつもあんなもんだと言う。嘘では…なら遠慮か…はっ馬鹿な。まぁどうでもいい。奴にあれだけ領地の仕事をふったからこれからかなり忙しくなるだろう。俺には時間ができるな、まだ教えることはあるだろうが。当分ハロルドを付けて勉強と監視をさせるか。操を捧げると言ったらしいが実際どうなるかわからん。他所で種を撒かれてもたまらんからな。トニーは何の為に側にいるのか。今さらだな、あの娘に言ったことは消えん。切り捨てなくともせいぜい中継ぎに使ってやるか。だが、この年で子だと…閨だと…あれは苦手だ。
ハンクは五日後に迫った閨に神経質になっていた。悶々としていたら書類を持ってソーマが戻ってきた。
「あれは本当にあの量か?」
ハンクはまだ疑問に思っていたのが口に出てしまった。
「そうでございます。キャスリン様が料理番へお願いしたそうですよ」
ハンクは返事もせずただ黙っていた。そして書類を渡すようソーマへ手を差し出し受けとり一枚一枚確認する。その中にカイランの調査書が入っていた。それには、カイランとリリアンの手紙や逢瀬はなし。だがアンダルとは手紙のやり取りをしていると、さすがに内容まではわからない。娼館に通っている様子もなし。ハンクは素朴な疑問を持つ。
「奴は男色なのか」
ハンクの呟きを聞いたソーマは首をふる。
「それでしたらお若いのですから同じ趣向の方と会うはずですが、それもなさそうでして」
ソーマもその疑惑に傾いていたようだが、調べても男の影も男娼の相手をしている様子もない。ならば不能の可能性が出てくる。それならばキャスリンを拒絶した理由に頷ける。他の女性を想っていると嘘を吐き己の不具合を隠す。まぁ今の段階で調べても面倒なものはなさそうだが警戒は必要だ、調査は継続だな。あいつの側の間諜はそのまま置いておくことにする。告げるとソーマは可能性の一つを口にする。
「操を捧げる…真実やもしれませんね」
そんな馬鹿な、と聞いた時思った。本気でそんなことを言っているならあいつは阿呆だ。
育て方を間違えたのか。育てたのは家庭教師と乳母だからな。あの娘との子は育て方を変えるしかない。あいつと同じではたまらん。
書類を捲ると一冊の冊子に行き当たる。
「指南書です。必ずお読みください」
ソーマが有無を言わせずハンクを見る。ハンクはぺらぺらと文字を流し読む、挿し絵のない物を選んだとソーマは説明した。閨で泣かれぬように後でじっくり読むか、と冊子を脇に寄せるとソーマが話し出した。
「旦那様、キャスリン様は気丈に見えますが少し無理をしているやもしれません。先程、お話をさせていただきましたら、相談をされました。カイラン様に手を触れられその手が震えてしまったと。試しに私の手を差し出したところ特に変化はなく、気持ちの問題だとお話ししたのですが」
「だからなんだ」
それを俺に言ってどうしろというのかとハンクは問う。ソーマは主には人に対する気遣い能力が皆無だとわかっている。だから後継者問題を円滑に進めるべく主に進言しているのだ。決断力、判断力は優れていても人の気持ちを理解できない主には必要なことだ。
「閨まで数日キャスリン様にお会いしましたら手に触れたり肩に触れたりしてください。旦那様に慣れていただきましょう」
ハンクは頭を抱えた。
「必要か?閨の時触ればいいだろう」
面倒を厭うハンクの性格は熟知しているがソーマも譲らない。
「閨の時泣かれてもよろしいので?」
ハンクはぐっと喉がつまる。過去の記憶が思い出されたからだ。あれは勘弁して欲しい。この年で泣かれたら確実に萎える。セシリスの時は若かったから維持できただけだ。ハンクは大きなため息を吐き覚悟する。
「よろしくない。お前の指示に従う」
ソーマは結構ですと頷いた。
「夕食は共にとられますか?」
ああ、と頷き仕事へ戻る。新たな報告書を読むとそれはキャスリンの護衛騎士のものだった。ディーターから連れてきて欲しいとある。奴も了承しているのなら好きにしたらいいとハンクは承諾の印を押す。
カイランへ仕事を回したおかげで時間の余裕がうまれたハンクは渋々指南書へ手を伸ばす。閨の意味から始まり、女性への言葉掛けや女体の部位の説明から触り方など初心者向け満載の書物だったがこれさえ面倒の一言で無視をしたハンク。セシリスにはほぼ無言、女体を高めるなど省いていたのだ、加えてハンクの体は大きい。泣かれてしまうのも仕方ないことだった。珍しく反省をしたハンクは一冊目を熟読しソーマに挿し絵付きの物を持ってくるよう命じた。
これに驚いたソーマは挿し絵付きだけとは言わず上級者向けの書も混ぜてハンクに渡した。セシリスの時に叱責されても読ませるべきだったと今さらながら後悔する。これでも公爵家の当主、元来優秀なのだから飲み込みも早かった。
「旦那様、夕食です。キャスリン様がお待ちですよ」
ソーマに声をかけられるまで真剣に指南書を読み耽っていた。初級などとうに終わり中級、次は上級かというところまできていた。
ハンクは頷き書物を置きソーマと共に食堂へ向かう。
「旦那様、キャスリン様は初心者より初心者。無垢と思ってください。いきなりあそこまで読まれては混乱しますでしょうが、キャスリン様は無垢ですよ。本日は手を触れて慣れてもらうだけです」
ソーマが小声で念をおす。こいつは俺をなんだと思っているのだと多少腹が立ったハンクだがセシリスへの態度と行動を思いだし、書物を読んで理解した事を比較すると怒りも萎んでいく。これに関してはソーマの意見を素直に聞けと己を叱咤する。
扉を開けると座っているキャスリンの後ろ姿が見えた。意識してみると、やはり小柄だなと思う。泣かれないといいが…とりあえず、さりげなく手に触れるところからか、面倒だな。そんなことを考えながら席に着く。キャスリンを見るとこちらに目を合わせ、お仕事お疲れ様ですと頭を下げた。
食事が始まり無言のまま食べ進める。朝よりは多く食べているが夜も少ないのかと思っているとソーマが給仕を下がらせ部屋の中にはキャスリンの専属メイドとソーマが残る。食事が終わりソーマが紅茶を用意している。キャスリンが紅茶を一口含み落ち着いた頃を見計らいハンクはそっと小さな手に触れた。驚いたのかびくっと跳ねたが振り払うことはなかった。無言で触れ続けるが震えてもこないのでぎゅっと握ってみる。親指で手の甲を撫でてみても震えていない。これでいいだろうと顔を上げると真っ赤なキャスリンがいた。耳から首までが赤い。ハンクは体を乗り出しもう片方の手で赤い耳と首を順に触れる。
「どうした?赤いぞ」
キャスリンは何も言わない。嫌か?しかし、震えてはないぞ。これは固まってるのか。悪いことなのか、なんなんだ。困りソーマを見ると俺を睨んでいるように見える。間違ったことをしたのか…首に触れていた手がキャスリンの声で震える。
「閣下…あ、ありがとうございます。ソーマから聞いたのですね。閣下に触れられても嫌な気持ちにはなりません。ご安心を、私ちゃんとできますわ」
顔を伏せこちらを見ないが本人がいいと言ってるのだからいいのかと首に添えた手と、握っていた手を離す。キャスリンは立ち上がり、お休みなさいませと告げ自室に戻って行った。扉が閉まった瞬間ハンクはソーマへ振り向く。
「おい、なんだあれは」
あれとは?とソーマが聞き返す。なぜか睨まれる。
「赤い、目を合わさん」
ソーマは珍しくため息を吐いた。
「旦那様、キャスリン様は無垢と伝えましたでしょう?手だけでよかったのですよ。なぜ頬と首まで」
呆れたと言わんばかりのソーマに腹立ちハンクは眉間にしわを寄せ睨む。
「キャスリン様は家族以外の男性にあそこまで触れられたのはきっと初めてですよ。なので赤くなったのは恥ずかしいからでしょう。なんとも可愛らしい」
ハンクは黙った。あれだけで恥ずかしいなど、閨ができるのか。
ハンクの心情がわかるのかソーマが付け足す。
「キャスリン様は覚悟を持っております。それでも十八歳で無垢。閨の時、拒絶はないでしょうが不安はあります。そこは旦那様がお勉強の成果を発揮していただければ、きっと次は落ち着いておりますよ。後数日、また触れてみたらいいのです。徐々に旦那様に慣れていただきましょう」
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