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教室の空気は、終わりかけの夕方の色に沈んでいた。その隅で、蓮司の手が遥の髪をゆるく撫でていた。
指先はまるで悪気もなく、けれど悪意そのもののように静かだった。
「昔より、髪、伸びたな」
蓮司の声は軽い。けれどそれが一番タチが悪い。
遥は無表情だった。目を伏せ、何も言わない。
ただ、かすかに、ほんとうにかすかに――笑ったように見えた。
その笑みに、日下部の喉が詰まる。
笑ってる場合じゃない。あんな手の中で。あの目の前で。
……けど、そういう顔をするのは遥のほうだった。
蓮司は囁くように続ける。
「なぁ、俺とおまえ、こんなふうにしてたの、見てたんだろ。日下部」
日下部は立ち尽くしていた。
遥の肩が、ゆっくりとすくんでいくのを、見ているしかできなかった。
抗うわけでもなく、甘えるわけでもなく。
ただ、受け入れるように。
それが――痛かった。
「やめろ」
言葉が漏れるように出た。蓮司のほうじゃなく、遥に向けていた自分に気づいて、日下部は歯を食いしばる。
遥はゆっくりと、蓮司の手を払った。
拒んだのか、それとも――ただ終わっただけか。
「……行こうぜ」
帰り道、ふたりきりになったとき、日下部は横にいる遥の顔をうかがった。
遥は歩く速度を緩めなかった。何も話さない。
「……おまえ、嫌じゃなかったのかよ」
日下部の声に、遥は少しだけ足を止めた。
「――何、が?」
低い声。答えをわかってて、あえて聞き返している。
その声に、日下部は言葉を失う。
数歩先を歩き出しながら、遥はぼそりと呟いた。
「オレ……あいつのもんだよ。ほんとに、ずっと」
それは決意じゃない。投げやりでもない。
ただ、事実のように語られたそれに、日下部の中で何かが崩れかける。
だけど遥は振り返らない。
蓮司の声も、手も、あの乾いた笑いも、遥の中には染みついている。
きっと、もう剥がせない。
でも――
あの笑みはなんだった。
あれは、あれだけは、ただの屈服じゃなかったはずだ。
わからない。
なのに、目が離せない。