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第206話:絶望のロケ見積もりと、最強の無料奴隷(社長)誕生
北海道、帯広市。
家賃四万円、築三十年のボロアパートの四畳半。
新プロジェクト『やまむすめ』の立ち上げを部下たちに高らかに宣言した翌日の昼下がり。
俺——株式会社インフィニティ・ワン代表取締役社長、秋谷雪(40歳)は、画面に表示された一枚のスプレッドシートを見て、完全に言葉を失っていた。
「……おい、ジェミニ先生。この見積もり、何かの冗談だよな?」
俺の声は、限界まで引き絞られた糸のように震えていた。
PCモニターの向こうから、我が社が誇る最強AIアシスタント、ジェミニ先生の無機質で冷徹な音声が響き渡る。
『冗談ではありません。ルシフェルさんが提唱した企画を、一般的な事務所が外注で実現した場合の、最低限の【1回あたりのロケ経費】を算出した現実的なデータです』
そのスプレッドシートには、地獄のような数字が並んでいた。
【ロケ・一泊二日(山岳地帯)経費概算】
・プロカメラマン(山岳撮影割増込み)人件費:150,000円
・音声・照明スタッフ人件費:80,000円
・荷物運搬用アシスタント(歩荷)人件費:40,000円
・ロケ用ワンボックスカー(レンタカー)代・ガソリン代:50,000円
・機材レンタル代(アクションカメラ、ジンバル、予備バッテリー等):100,000円
・山岳保険および緊急時対応費:30,000円
【合計金額:450,000円】
「よ、よんじゅうごまんえん……!」
俺は三万円のゲーミングチェアから滑り落ち、カビ臭い畳の上に四つん這いになった。
「いくらなんでも高すぎるだろ!? 山に入って動画を撮るだけだぞ!? なんでこんなに金が吹っ飛ぶんだよ!」
ディスコードの向こうで、冷徹秘書である結愛(ゆあ)が氷のようなため息をついた。
『当然でしょう。平地のスタジオ撮影とは違うのです。不安定な足場、急な天候変化、ヒグマとの遭遇リスク。そんな過酷な環境で、プロ品質の映像を撮れる技術スタッフを雇えば、危険手当が上乗せされてこの金額になります』
「ぐっ……!」
『月に4回ロケを行えば、それだけで毎月180万円の経費が吹き飛びます。いくら法人口座にスーパーチャットの蓄えがあるとはいえ、まだ収益化もしていない新人タレントの企画に、毎月そんな大金を投資できるわけがありません』
結愛の言う通りだ。
エウリアンの版画ローンで月給10万円から身ぐるみ剥がされ、部下からの配給玄米で生き延びている今の俺に、そんな莫大な固定費を垂れ流す胆力などあるはずがない。
『……と、普通ならここで計画は頓挫します。資金力のない零細企業には不可能な贅沢ですから』
結愛の声が、俺の覚悟を試すように響く。
『昨夜の狂った計画、本当に実行するおつもりですか?』
ゆうき あきや
4,767
80
150
友ゴリラ
1,059
「……当たり前だ! 諦めるわけがないだろう」
俺はギリッと奥歯を噛み締め、畳の上から顔を上げた。
「俺は本気だ。本気で海の企画と肩を並べる、最強のアウトドアVTuber事務所を作るんだ。経費が高いなら……昨夜も言った通り、俺の力で徹底的に削り落としてやる!!」
俺はPCの前に戻り、見積もりのスプレッドシートを血走った目で睨みつけた。
「ジェミニ先生! まずこの『カメラマン・音声・荷物持ち』の人件費合計27万円! これをゼロにする!」
『……再確認ですが、昨夜のプレゼン通り、撮影スタッフなしで社長自身が全て兼任するということですね?』
ジェミニ先生が、計算の前提条件を書き換えながら聞き返してくる。
「決まってるだろう! 俺がやるんだよ!!」
俺は自分の胸を、ドンッと力強く叩いた。
「俺は元・陸上自衛隊の需品科だぞ! 需品科の任務は、過酷な前線で戦う部隊のために、水や食料、燃料を補給し、後方支援を完璧にこなすことだ! 三十キロの背嚢を背負って山を何十キロも歩く行軍なんて、腐るほど経験してきた!」
数十キロの撮影機材とキャンプ道具一式は、社長であるこの俺が全部背負って山を登る。そして、息を切らさずにジンバルを構え、タレントを最高の画角で撮り続ける。
俺の脳内には、迷彩服を着て泥まみれになっていた若き日の記憶が蘇っていた。
「荷物持ち兼、専属カメラマン兼、音声スタッフ! それを全部、この俺一人で兼任してやる! 俺の給料は来期まで月給10万円で固定されているんだ、何十時間タダ働きさせようが、会社からの追加の人件費は【完全無料(ゼロ)】だ!!」
『……ふふっ、何度聞いても狂っていますね』
通話の向こうで、結愛が呆れたような、それでいてどこか面白がるような声を漏らした。
「さらにロケバス代だ! ワンボックスカーなんて贅沢品は必要ない! 一番安い軽自動車のレンタカーを借りて、俺が運転手も兼任する! 機材はルーフキャリアにでも縛り付けておけばいい!」
俺は次々と見積もりの項目に横線を引いていく。
「機材レンタル代? バカバカしい、カメラとジンバルは安い中古品を買い叩いて、俺が気合で手ブレを抑え込む! 山岳保険だけは最低限かけるとして……どうだジェミニ先生!! これでロケ一回あたりの経費はいくらだ!!」
ピロンッ。
数秒の沈黙の後、ジェミニ先生が再計算された数字をモニターに弾き出した。
『……再計算完了。スタッフ人件費ゼロ、レンタカー最安値プラン適用、機材購入による減価償却費への切り替え。ロケ1回あたりの実質経費は……【約15,000円】(ガソリン代・高速代・山岳保険料のみ)となります』
「よっしゃぁぁぁぁぁっ!!」
45万円の経費が、社長の気合と根性と奴隷労働によって、たったの1万5千円にまで圧縮された。
これぞ、零細企業における最強の経費削減メソッドだ。
『会社の代表取締役が、タレントの荷物持ちからカメラマン、運転手まで全てを無給で引き受ける。まさに、自らの命と体力を削って利益を生み出す究極の自己搾取です。……ヒモ社長の分際で、なかなか見上げた根性ではありませんか』
「ヒモ社長だからこそ、やるんだよ。お前らに美味い肉を食わせるためにな」
俺は不敵に笑い、塩昆布玄米でチャージしたエネルギーを全身にみなぎらせた。
「これで資金の壁は完全にクリアだ! 結愛、今夜の生配信に向けて、オーディションの告知準備の最終確認だ!」
『承知いたしました、限界社長。せいぜい山で遭難して、ヒグマの餌にならないように祈っておきますよ』
結愛の毒舌すら、今の俺には心地よいエールに聞こえた。
こうして、『やまむすめ』プロジェクトの最大の壁であったロケ費用問題は、社長の圧倒的な自己犠牲によって強引に突破された。
あとは、この過酷すぎる北海道の大自然に放り込まれても泣かない、図太くて最強の原石(タレント)を見つけ出すだけだ。
いよいよ今夜、俺の人生を賭けた、狂気のオーディション発表配信が幕を開ける。
コメント
1件
45万円が社長の無給フル兼任で1万5千円って、経営書には絶対載らないやつですね(笑)。需品科の経験がこんな形で活きるとは。結愛さんの毒舌がエールに聞こえるあたり、二人の距離感が好きです。それにしてもヒグマだけは……無事を祈ってます。