テラーノベル
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Lueurのアトリエでルーペを覗いていると、隣の椅子が軋んだ。倉橋だった。彼はいつものように白いシャツの袖を軽く捲り、肘を机に預けて私を見ていた。柔らかな午後の光が、窓から差し込んで彼の横顔を淡く縁取る。『Reborn Eternal』と『Broken Vows』に続くコレクション展開を、持ちかけられた。
これまでの作品もひっきりなしに注文が入るが、バイヤーからの要望もあって「考えてみてくれないか」と凪のような笑みを浮かべた。その笑みは、穏やかすぎて、かえって胸をざわつかせる。倉橋の視線はいつも、私の傷を避けるように優しく、でも決して目を逸らさない。
彼は知っている。『Silent Thorn』を私がまだ誰にも見せていないことを。黒い石の冷たさを、左薬指に嵌めたまま隠していることを。
「次のテーマは……光の続き、かな」
彼の声は低く、静かだった。アトリエの空気がわずかに震える。ルーペ越しに見えるサファイアの青が、突然遠く感じられた。私はルーペをゆっくり下ろし、作業台の上で指を組んだ。ブラックダイヤモンドのリングが、鈍く光を飲み込む。「光の続き……」私は繰り返した。言葉が喉に引っかかる。
『Reborn Eternal』は復讐の果てに生まれた再生の光。
『Broken Vows』は破られた誓いの欠片を、鋭く磨き上げたもの。
どちらも世界に受け入れられ、私の名を高く掲げた。
でも、次の光は――もう、私の中にはないのかもしれない。倉橋は黙って待っていた。急かさない。決して、強要しない。ただ、そこにいる。それが彼の優しさであり、私にとっては時折、息苦しいほどの重さだった。
「私は……もう、光を信じていないのかもしれない」
声に出すと、静寂が深くなった。倉橋の瞳がわずかに揺れる。笑みは消えていないが、柔らかさが少しだけ翳った。
「それでも、君は作り続けるだろう?」
彼の言葉は、問いではなく、確信だった。私は視線を落とし、オニキスの黒に映る自分の瞳を見つめた。冷たい。けれど、そこに嘘はない。
「……作り続ける。でも、それは光じゃなくて、ただの影かもしれない。棘の影を、形にするだけ」
倉橋は小さく息を吐き、椅子から立ち上がった。私の肩に、そっと手を置く。温かさが、リングの冷たさと対照的に染みてくる。
「影も、光がなければ生まれない。君の影は、君の光が強かった証だよ」
彼はそう言って、ゆっくりと手を離した。足音が遠ざかり、アトリエのドアが静かに閉まる。残されたのは、ルーペの下のサファイアと、私の左薬指に嵌まった『Silent Thorn』だけ。私は再びルーペを手に取った。新しい石を探す。次は、どんな色を――どんな闇を――形にしようか。光の続きではなく、闇の続きを。
それが、私の今の永遠だ。作業台の上で、石が静かに息を潜めている。私は微笑んだ。小さく、けれど確かに。
◇◇◇
スケッチブックを開き、メビウスの輪ではなく、2つの独立した輪を持つ螺旋を描いた。鉛筆の先が紙を滑るたび、線は静かに絡み合いながらも、決して交わらない。ひとつは光の輪、もうひとつは影の輪。互いに引き寄せられ、押し返され、永遠に並走する。絡みつくことなく、ただ寄り添うように螺旋を描く。
『Spiral Woven of Light and Shadow』――光と影の螺旋、紡ぐもの。
螺旋はメビウスの輪と違い、表と裏が明確にある。光と影を象徴する。どちらかを選べば、もう一方は必ず存在する。切り離せない。切り離そうとすれば、螺旋そのものが崩れる。私の胸の奥で疼く棘も、同じだ。光を追い求めれば影が濃くなり、影を抱きしめれば光が遠ざかる。どちらも、私の一部。
センターストーンは黒曜石、オブシディアン。石言葉は『真実の鏡』。長野県和田峠産の石を選んだ。火山の溶岩が急速に冷えて生まれたガラス質の黒。表面は鏡のように滑らかで、触れると自分の瞳が映る。けれど、その奥は深く、底が見えない。光を当てれば、わずかに虹色の遊色を放つが、それは決して派手ではなく、ただ静かに、息を潜めて輝くだけだ。
私はスケッチブックを閉じ、作業台の引き出しからその原石を取り出した。掌に載せると、ずしりと重い。冷たい。指先の温もりを吸い取るように、温度を奪う。
ルーペを覗き込むと、石の内部に微かな気泡と亀裂が浮かぶ。それは、溶岩が固まる瞬間の叫びの痕跡。凍りついたままの、永遠の痛み。この石を、2つの輪の中心に嵌める。光の輪には、透明なアクアマリンを細かく散らし、淡い青の粒子で螺旋を縁取る。影の輪には、オニキスとブラックダイヤモンドを重ね、深みを増す。リングではなく、ペンダントにする。鎖はプラチナの極細チェーン。首に掛けたとき、黒曜石がちょうど心臓の上に落ちるように。
私はペンダントの原型をワックスで削り始めた。螺旋の曲線を、指先で何度もなぞる。光の輪は優しく、影の輪は鋭く。境界線は曖昧に、しかし明確に。削るたび、ワックスの粉が指に付く。白い粉が、まるで灰のように見えた。
倉橋がアトリエに入ってきたのは、そのときだった。彼はドアのところで立ち止まり、静かに私を見ていた。言葉をかけない。ただ、視線だけで「続けて」と言う。いつものように。私は削る手を止めず、ゆっくりと言った。
「これが今の私の影……光を映し出す影」
倉橋は小さく頷いた。笑みは浮かべない。代わりに、静かな声で答える。
「それでいい。君が、君自身のために紡ぐものなら」
彼は近づかず、ただ壁に寄りかかって見守った。光が窓から差し込み、黒曜石の原石に当たる。虹色の微かな輝きが、一瞬だけ、私の頰を撫でた。私は再び削り始めた。螺旋は、ゆっくりと形を成していく。光と影が、互いを映し合いながら、決して溶け合わない。
真実の鏡は、私の瞳を映し続ける。そこに映るのは、復讐の果ての虚無も、勝利の冷たさも、麻里奈さんの震える背中も、すべて。
私は息を吐いた。ワックスの削りカスが、作業台に静かに積もる。この螺旋は、私の胸の奥で回り続ける。止まらない。絡まない。ただ、永遠に、並走する。光と影の、静かな共存。私はペンダントの原型を、そっと掌に載せた。
黒曜石の冷たさが、心臓に直接触れるように感じられた。それでいい、と私は思った。
これが、私の今の真実だ。
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