2037年8月16日
港区・芝浦
台場の駐留所とその周辺では、巨大な黒煙の柱が、上空に向けて突き上がっていた。
レインボーブリッジは避難しようとしている都民の車で溢れかえっていた。警官たちが、降りて避難してください、ここにいては危険です、と車に乗っている人々に言って回っている。
また、臨海エリアで爆発音が轟いた。海中で何かが爆発したようで、水柱と火柱が同時に炸裂する。
頼を乗せたタクシーは、「立入禁止」のテープが貼られた場所で止まった。
「もう走れないのか」
頼は怒気を込めた視線で運転手を睨む。
「これ以上は無茶ですよ! ……あなた、もしかして中に入るつもりでは」
「走れないならもういい。あんたの言う通り、だ」
頼は懐から一万円札を2枚取り出すと、ぺっ、と運転手に投げつけ、タクシーを降りた。運転手は困惑しながら2枚の紙幣を拾い上げ、彼を目で追おうとした。
だが、もうそこに彼の姿はなかった。
同日
東京港埋立第13号地内・国防軍駐留所
頼は、できる限りの速度で、混沌の渦中にある街を駆け抜けていた。あちこちで爆弾が炸裂する。それに脇目もふらず目指す先は、国防軍駐留所だった。
その場所は今まさに火柱を成し、濛々と煙を噴き上げている地点だった。それでも頼は、一刻も早く駆けつけるべく走り続けた。
——敵の攻撃を阻害する設備があったはずだ。そこがやられていなければ間に合う。
逸る気を抑えながら、彼は走り続け、とうとう火柱の前に立った。建造物は、もはや入り口がどこに存在するのかもわからない、巨大な火柱となり果てていた。
——緊急通用口だ。
火柱から少し離れたところに桟橋が残っていた。頼はバッグからサバイバルナイフを取り出し、ベルトに装着した。あとはできるだけ装備を軽くして、水中に飛び込んだ。
2、3分泳ぐと、目標が見えてきた。縦向きに姿勢を変えて、深く潜っていく。20メートルの水深をものともせず、通用口にたどり着いた。
パスワードを入力すると、スライド式のゲートが開いた。
潮水を拭おうともせず、声紋認証を済ませる。
「武器を出せ」
そうAIに命じると、隠し扉が開いて、格納されていた銃器が突き出された。銃器が、ひとりでは到底扱いきれないほど出てくる。拳銃二挺と、ライフル、それから連なった弾を持ち出した。
意外にも、人間という人間は見当たらなかった。どこかへ避難したあとなのだろうか、と頼は考えた。銃撃があったような痕はどこにも見当たらなかった。
地下2階に降りる。廊下の天井では赤色灯が回転しており、緊急事態を告げるブザーが鳴り続けていた。
扉が開いたままの食堂に入る。壊れたテレビ。散乱した皿と食物。隊員が慌てて逃げたにしては不自然だった。目先と銃口とを重ねながら、敵がいないかじっくり探る。
食堂の捜査を終え、廊下に戻ろうとした時だった。コツコツ、と、革靴の音を立てながらこちらに向かってくる足音があった。やけに乱れた足取りだった。まるで酩酊してふらふらしながら歩いてくるような音だった。頼はふたたびライフルを構え、出入り口に向ける。
その人物は、ようやく扉の前にたどり着いた。頼は思わず銃口を下げ、頭から血を流している男を見た。
枝本大佐だった。
「なんてことだ、早く止血しなければ」
頼は駆け寄り、枝本の上体を支えた。
「頼、もういいんだ、助かる必要はない」
「おれが勝手なことをしなければ、こんなことには」
「もう、これで、いいんだ」
枝本はごぼっと咳をする。口の隅から唾液と血が溢れる。
「頼、お前はサーヴァントとして、わたしの良き部下として、よく戦った」
「大佐、そんな……そんな」
「きっと、わたしには、殺しの傍観をしたことに対しての、鉄槌が下ったんだろう」
枝本はやっと視線を上げて、頼に笑ってみせた。
「お前の先は長いだろう……、日本を任せた」
そう言い切ると、枝本は震えながら、うめくような声を絞り出し、床に倒れた。
「大佐……」
目を大きく開いたまま、枝本は動かなくなった。
頼は、死した男の両瞼を優しく閉じる。
計り知れないほどの怒りを背負って、頼は向かうべき場所へと向かった。
枝本をはじめ、国防軍とこの台場に致命的な打撃を与えることを回避するのであれば、自分勝手な行動は避けるべきだった。はらわたは煮えくりかえるが、自責の念からは逃れられない。それが一層怒りを増幅させた。
彼はまだ警戒を解くことなく、地下3階にある自分の部屋に戻ってきた。早く装備を整える。殺すべき者を殺す。今の彼にとっての決定権は、自分自身にあった。
——今度こそ、殺してやる。
甲冑をまとい、武器をさしかえる。
太刀を取ったその時、不意に持ち手に違和感を感じた。紙が巻きつけてあったのだ。
その紙には何かが書かれているようだった。彼はそれを広げた。茶色の紙切れに、住所が書きつけてあった。
「望むところだ」
彼はひとりごちて、太刀を身につけた。そして首巻をまとった。
同日
東京都内各所
「——お伝えしていますように、東京臨海副都心地区は、大規模な爆発と火災に見舞われています。いまもたくさんの人が避難しています。危険ですので、近くには絶対に近寄らないようにしてください!」
「——これは原因不明の大規模なテロにあたると、政府が見解を示しています。防衛省は敵対勢力に対し、自衛隊員を派遣し、いち早く攻撃を阻止させる方向です。また事態が急変すれば武力行使も視野に入れるとし——」
「——こちらレインボーブリッジ上空です。橋の上に並んだ車は全く動いていません。えー、すでに車に乗っていた人々は避難したようですが、あ、人影ですね、人影が見えます。お台場に残された人でしょうか、警察と自衛隊の誘導により、避難をしているようです」
「——アクアシティお台場です。数時間前に出された避難指示によって、モール全体がしずまりかえっています。ここはまだ爆撃の影響を受けておらず……、あ、いま入りました情報によりますと、新しい爆撃が——」
「——信じられない光景です! ご覧ください! お台場全域が、あろうことか、大規模な多発爆発を起こしています! 何者かによる攻撃なのでしょうか? 瞬く間に、閃光が、お台場を埋め尽くしています!」
「——レインボーブリッジが、いま、お台場側の支柱が損壊した模様で、少しずつ崩れていきます! まだ人がいるにも関わらず、ああ、車も何もかもが、いま、海の中に沈んでいきます!」
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