「よろしくお願いいたします、常務。営業第一課の吉田直也と申します」
「――吉田直也さん」
自信に満ちた表情で、男は自分を紹介した。
きれいにアイロンがけされたスーツと、さわやかな顔立ち。第一印象から人を魅了するタイプの男だった。
「どうぞ。自由に発言してください」
ポジティブマンは落ち着いた口調で言った。
「ありがとうございます。正直に話させていただきます。本日副会長が出された新たな方針は、あまりに偏っていると僕は思います」
「おい、吉田くん、何言ってる。ちょっとこっちにくるんだ」
吉田直也のうしろに立つ管理職の社員が彼を静止した。
「いえ、続けてください。私は皆さんの率直な意見を聞きたいと思っています」
「わかりました。あくまで僕個人の意見だということでご理解ください。副会長が掲げられたパッショニズム。つまり情熱をもって成果をあげろということですよね? ですが情熱や成果というものは、目に見えるものと見えないものがあります。パッショニズムは単に目に見える成果だけを高く評価するものだと考えます」
吉田直也の言葉に、営業一課の全員が固まった。
「機会は平等に与えられるべきである。そのためには評価方法に偏りがあってはならない。そうおっしゃるのですね」
「ええ、その通りです」
「しかし今日会見で表彰された方々も、誰の目にも触れない努力がクローズアップされたものに思えましたが」
「あれは目に見える努力だと僕は思います。副会長がそれをうまく見つけてくださったのでしょう」
「なるほど、理解しました。参考にさせていただきます」
「あと、常務。もう一言よろしいでしょうか」
「どうぞ」
「どうか恐怖政治で会社を統制しないようお願いいたします……と、副会長にお伝えいただけませんか」
「恐怖政治?」
「はい。先ほど吾妻建設の社員ひとりを解雇にしましたが、あれは現代の公開処刑です。彼にだって家族があり未来があるでしょう。なのにどうして全員の前であんな真似ができるんですか」
「やめるんだ、吉田くん!」
うしろで恐怖していた上長が、ポジティブマンの前に飛び出した。
「本当に申し訳ございません、常務。彼は今いろいろと困惑していて正気ではないのです。どうか広い心でお許しください」
「許すって、何を許してもらうんですか。中世時代でもあるまいし、あれはひとりの社員の未来を根こそぎ奪うような行為でしたよ! 会社を去ってから、あの人がどこかに再就職できると思いますか? ああも大々的に切り捨てられたのに、他のどこが雇ってくれると言うんですか!」
吉田直也が上長を一瞥した。敵でも見つめるような鋭い目だった。
そのとき、端で静かに立っていた赤野沙織が顔を赤らめながら言った。
「でも……汚職は犯罪ですよね。じゃ自業自得じゃないですか。自分の財布をぶ厚くするために会社を利用したんですよ」
「そうだ! 副会長が正義の鉄槌を下されたんだ! 私は副会長を指示する!」
はるか後ろ、メガネをかけた男性社員が半身を隠しながら言った。
吉田直也は体を反転させ、後ろの大勢に向けて叫んだ。
「あの人が罪を犯したかどうかの問題じゃない! 会社は法廷じゃないんだ。ああやって全社員の前で罪状を公開し、弁明の機会も与えられずに退場させられたんだぞ。皆さんも事の本質を理解してください」
「犯罪者の味方をするつもりか!」
メガネをかけた男性社員が棚から顔だけ出して言った。
「あんた! その色メガネを外してちゃんと見てみろよ!」
「みんないい加減にするんだ。常務の前で醜態をさらすなどあってはならん!」
「僕はやめませんよ! ちょうど会社を辞めようと決意したところですんで」
「何を言ってるんだ、吉田! ちょっとこっちにこい」
大声をあげる上司を無視し、吉田直也はポジティブマンへとさらに一歩を踏み出した。
「常務。お騒がせして本当に申し訳ありません。今日がすぎれば僕は姿を消しますので、今だけはお許しください。僕はただ黙々と仕事に取り組みたかったんです。なのに今後は黙々と業務を続ければ批判を受ける会社になってしまいました。それが残念でなりません。
副会長が掲げられた大胆な挑戦ももちろん意味があるでしょう。ですが、きめ細かく的確な業務を行うのも、会社の基盤を担う重要な一部ではありませんか。ステージ上で踊るだけが舞台ではありません。裏方がいなければ、そもそもパフォーマンスを行うべきステージ自体を作ることができないんです!」
「常務、お忙しいところ大変申し訳ございません。私の教育が至らずこのようなことを……」
上長の男が深く頭を下げた。
「吉田さん。なぜ私がここに立ち止まったかわかりますか」
ポジティブマンは一度首を振ってから吉田直也を見た。
「わかりません」
「吉田さんの考えを副会長に伝えましょう。私の意見として」
「……常務!」
「私もあなたに近い気持ちを抱いています。副会長は変化を強調するあまり、会社の伝統を停滞だと表現しました。私はそうは思いません。
会社が守るべき伝統は、たしかに存在し、また尊重されるべきです。いろんな意味で、より十分な検討が必要だったのではないかと伝えるつもりです。私の内に秘める肯定的な思いをもとに」
ポジティブマンの言葉に全社員が頭を下げた。
「だから吉田直也さん。辞表の提出は待ってもらえますか。副会長と十分な話し合いを行ってから結果をお伝えしますので、まだ会社にいてください。吉田さんがもつ情熱を辞表の提出などに注ぐなんて、決して肯定的な行動ではありませんので」
「吉田、感情的にならずに常務のお言葉に感謝するんだ」
うしろにいる誰かが言った。
「本当にありがとうございます、常務」
ポジティブマンは吉田直也の肩をぽんぽんと叩いてから、その場を立ち去った。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!