勉学に勤しむ手が止まって、舟をこいでいたら。
天使の歌声が聴こえて、現実に帰ってきた。
聖歌。久しぶりに聴いた気がする。
神さまがどうとか、命がどうとか。
俺からの視線を感じたのか、天使が歌うのをやめた。
こちらを見て笑う、太陽みたいな笑顔。
「どうしたの?」
「歌。上手いね」
「まあね~」
赤は冗談抜きで歌が上手だった。
そのちっこい身体から溢れてくるエネルギーのありかを知りたいくらいに。
「聖歌は大好き。力をくれるから」
すっかり、勉強を再開する気など失せていた。
赤の語ることに、耳を傾ける。
それがいましかできないことだと、俺は知っていたから。
「命を大切に。ね、桃くん」
酷いひと。
俺は思う。
* * * *
死にたいって思うことが罪だなんて言わないが。
可能な限り、生きたいと笑える自分でいたい。
そんな願いを持ってしまったら、死にたいなんて思考はきっと俺の中で悪者だ。
強すぎないものに守られてる感覚が、最近、よくある。
他でもない彼のこと。
鉄壁のように壊せないものじゃないのに。
きっと硝子のように容易く壊せるのに。
どうも力強く感じる彼の優しさはきっと、ホンモノだ。
みんなはそれを愛と言うのかもしれない。
俺はそう思ったから、幸せだった。
昔からみんなとは価値観が違った。
愛がどんな形をしているのか知らなかった。
みんなそんな俺を見て、指をさしてあの子は可哀そうだと口々に言うけれど。
もう可哀そうじゃないよ。
愛は心臓のかたち。
愛はハートのかたち。
愛は彼のかたち。
やっと判ったんだ。
それを手に取って抱きしめたら、もう怖いものなんていくつもない。
きみの鼓動の音が聴こえなくなるまで、それを感じていたい。
例えきみから送られる愛のかたちが、刺々しくなって、とても抱えられないほど鋭利になっても。
俺の心臓を突き破ってくれるほどの愛ってことになるんじゃないの。
* * * *
「赤? ああ、あの子はちょっと異常だよ」
「異常?」
水色の、空の色をした医師が言ってた。
検査の途中で、うわごとみたいに天使の名前を呟いたら。
「こころが。あの子はいつもみんなと違うものを見てる」
どういうこと、と続きを強請るほどの勇気はなかった。
赤の異常さを、俺も知っている。
かの虫愛づる姫君のように彼はどこかおかしい。
きっと彼は、普通を知らない。
「僕は好きだけどね? そう言う彼」
でも。
「普通を知らずに育った彼は、悲惨そのものだよ」
一瞬。
此奴を殴ってやろうかとさえ思った。
知ってる、青崎と札を下げた此奴の言っていることが、何ひとつ間違ってないこと。
おかしいのは俺と赤でしかないこと。
「せいぜい頑張ればいいんじゃない」
彼は俺を鼻で笑った。
毛虫を可愛がる姫君を肯定するなんて、常人にできっこない。
それを知ってて、笑ってる。
「どこにでもいる普通の高校生が、悲惨な病人を助けるなんて笑えるけどね」
サイテーだ。
人間は、みんな。
コメント
1件
言葉の使い方とかとても好きです🥹💞