「では十冊お持ちいたしますね。御方様はいかがいたしますか?」
「そう、ですね…… ハッピーエンドで、天使族の忌み子、リス族、兎人族、人魚族、シルキー、ブラックオウル、ユニコーン、バイコーンが主人公の作品があればお願いしたいわ」
「主人公……でございますか……あぁ、大丈夫そうです。恋愛展開となった場合、相手が同族以外でも問題はございませんでしょうか?」
可憐な秘め事では出なかった質問だ。
男児とはいえ、物語により現実を見るのだろうか。
それとも性的な何かを考慮した場合に、同族に拘る男児が多いということか。
「ええ、勿論。異種恋愛、婚姻出産に至るまで、読み物として、楽しく拝見できるわ」
「最愛様には無用の質問だったようでございますね。失礼いたしました」
「いいえ、いいの。確認作業は必要だと思いますから」
相手が高貴な者であればあるほど、摺り合わせは必要不可欠だ。
それが後々まで響いてくる。
「虹糸蜘蛛や白蛇が主人公の作品もございますが、御一緒にお持ちしましょうか」
「ええ、是非!」
彩絲が選んでいるのを見て、すっかりそれでいいと満足していたが、店長のお勧めなら問題なさそうだ。
「ほぅ。虹糸蜘蛛が主人公の作品もあるのじゃなぁ」
「蜘蛛族の中では数少ない人化できる蜘蛛でございますから、大半の作品では強く美しい女性として描かれておりますね」
「うむうむ。そんな作品ならば、妾も読みたいのぅ」
良い意見を出してくれたオットマーに感謝する。
さすがは夫も納得の人材だ。
「では、準備させましょう。今少しお待ちくださいませ」
腰を上げたオットマーは自分も手配に加わるらしい。
きびきびとした所作で部屋を出て行った。
「主様?」
「どうしたの?」
「世の中、お花畑思考の持ち主って、多いのですか」
ネイの額に皺が寄っている。
奴隷商に売られた姉と妹を思い出しているのだろうか。
特にネリは酷かった。
「一般的にはそこまで多くはないと思うの」
「はい」
「でも私の周りには何故か集まってくる気がするのよね……」
一緒に飛ばされた三聖女(笑)もそうだった。
全員が種類は違えどお花畑思考の持ち主には違いない。
どうしてあそこまで自分中心の考え方ができるかは、謎だ。
「自分では到達できえない高みにおられるから、でしょうか?」
「そうだったらとても格好良いわね。でも……彼女たちは得てして、自分たちがやっているあれこれを許して欲しがる傾向にある気がするわ」
先ほどのエマもそうだった。
自分が許してもらえないのが、不思議で仕方なかったように見受けられた。
自分が特別だとすら思っていない。
ただ最優先されて当たり前だと思っている。
自分は誰より愛されていると信じ切っているのだ。
その自分への盲目的な自信には、遭遇する都度考えさせられた。
「思い返してみると天使族にもおりました。実力が伴っていないにもかかわらず自信過剰な者が。しかも驚くほど男性に人気があったのです」
「そうねぇ、異性に人気があるっていうパターンも多いわねぇ……」
何も女性ばかりがお花畑思考なのではない。
男性にも幾度となく遭遇した。
そして目をつけられるのだ。
夫とともに……。
思わず溜め息を吐けば、肩に乗ったネイがふわふわの尻尾で癒してくれる。
「物語と現実の区別がつかない子も多いのぅ。行く先は周囲を巻き込んでの破滅なのだと、物語ではきちんと描かれておるのじゃがなぁ」
「自分だけは大丈夫と、死ぬ瞬間まで思っているんでしょうね」
本当に、巻き込まれた周囲が不憫で仕方ない。
最近では、巻き込まれても同情できないパターンも少なくないようだが。
「大変お待たせいたしました! 御希望の御本をお持ちいたしました!」
オットマーが満面の笑みを浮かべてヤスミーンとともに部屋へ入ってきた。
本が積まれたカートは二つだ。
「ネイ、可憐な秘め事と同じ感じでいいかしら?」
「はい、御主人様!」
ネイが積まれた本のチェックを始める。
オットマーとヤスミーンは真摯な眼差しで見守った。
「途中の展開で、御主人様が、悲しい思いをされるという理由で、よけさせて、いただきました」
減らされた本は四分の一ほど。
残った本はぴったり三十冊だった。
「なるほど、御購入、貸し出しともにやめておきますか?」
「いいえ! 私どもは読ませていただきますので、十冊は貸し出しとさせてください」
「承りました」
ネイによけられた中で『ブラックオウルは真昼に飛ぶ』と『人魚族(男)の悲哀』は、ちょっと読んでみたかった。
久しぶりに本を読んだまま寝落ちしてしまった。
本のタイトルは『御主人様に恋をした』
シルキーが主人公の作品だ。
表紙の華美さと中のイラストが、作品の良さを際立たせていた。
我慢しきれずに、イラストだけを先に見てしまったほどだ。
文章も好みだった。
読者の想像力の限界を試してくる、薄い描写の作品も、それはそれで良さがあるのだが、この作品は、情景描写もさることながら心理描写が緻密だったのだ。
どちらかが緻密な作品はそれなりにあるのだが、どちらも緻密な作品は少ない。
更にそれが好みの作風になってくると、希有のレベルに到達する。
「寝落ちされるほど、この作品は好ましかったでしょうか、主様?」
枕元に開いたままの状態で伏されている、本のタイトルを見たノワールが苦笑する。
シルキーであるノワールには思うところがあるのかもしれない。
「ノワールも読んだことがあるの?」
「ええ。幼い頃に読まされる指南書のようなものです」
「指南書?」
私が読む限り恋愛小説のカテゴリから外れない内容だと思ったのだが。
「こうはならぬように……と。シルキーには戒めの書なのです。主様でしたら……最後までお読みになれば、おわかりいただけるかと」
身分差の問題かと思ったら、そうでもないらしい。
シルキーの本質と絡む問題なのだろうか。
「昨晩は湯にも浸からず寝落ちされた御様子……朝風呂を堪能されますか?」
「朝風呂で読書は可能なのかしら?」
「主様の御希望であれば可能でございます。こちらをゆっくりお飲みになって、準備が調うのをお待ちくださいませ」
じっとりとした寝汗でへばりついた髪の毛を掻き上げ終えた手に、ひんやりと冷たいグラスが握らされる。
一気に飲むと胃が驚きそうな冷たさだ。
私はノワールの指示に従って、ちみちみとよく冷えた水を飲む。
少し硬めの水だが、冷えていたからか飲みやすかった。
「主様、用意が調いました」
「ありがとう」
猫足バスタブの前で、服を滑り落とす。
何で下着をつけていないのだろう?
夫の突っ込みがなかったので、気にしなくていいらしいと頷いて、ぬるめの湯に肩まで浸かる。
「うわ! 素敵!」
バスタブの上に、読書好きにはたまらない一式がセットされていた。
水に強い素材でできているのか、はたまた魔法でも施されているのか。
水を撥く素材で作られた簡易テーブルが設置されており、その上には本と氷の入ったグラスが置かれている。
手を拭くタオルは二か所に置かれていた。
その上に腕を置いて読むと楽らしい。
背中を預けても湯船に沈まないように、滑らないマットのようなものが敷かれていた。
試しに凭れてみれば、ほんのりと温かいマットは、優しく体を包み込んだ。
読書しやすい体勢だ。
私は移動式テーブルをからからと手前に寄せて、マットに体を預けながら本を手に取る。
肘はタオルではなく、むにょりと伸びた滑らないマットに乗せた。
しっかりと肘を包み込んでくれるマットはもしかして、スライム的な生き物の加工品なのだろうか。
読書後に聞いてみようと思いつつ、記憶の続きから読み始めた。
ストーリーとしては、歴史ある伯爵家に仕えてきたシルキーが、嫡男と恋に堕ち、めでたく婚姻するまでが書かれている。
恋に堕ちるのは、嫡男の方が早い。
求められて身を引こうとしたシルキーは、そこで初めて嫡男に恋していた自分に気がつくのだ。
シルキーの能力は高いが、仕える者として広く知られているので、嫡男夫人になるには当然苦難が多い。
この作品内では、納得のいく描写で家族の反対がない状態となっていた。
ノワールは、まずそれがあり得ないと苦笑する。
また家族以外の反対が、読んでいて思わず眉根が自然と寄ってしまうほど酷かったが、ノワールにしてみれば、鼻で笑ってしまうレベルで可愛いらしいものとのことだった。
寝落ちするまでは頑張って読んでいたらしく、残りは温めのお湯に浸かっていてものぼせない程度だったので、ノワールに指摘されて水分を取りつつ、最後まで読み切った。
「戒めって、婚姻が終了として書かれているところかしら?」
そう、結婚が人生の終着地点ではない。
むしろそれからが大変なのだ。
「そうでございます。この作品の作者はシルキー。体験した本人が書いたものです。自分のような愚か者が二度と出ないように、と」
「もしかして知り合いだった、とか?」
「同じ職場におりました。愛した人を不幸にするのが、貴女の幸せなのかと、幾度も忠告したのですが……結果は、婚姻一ヶ月後の事故死でした」
想定された事故死だったのだろう。
「嫡男様は彼女を失ってしばし病まれましたが、献身的に看病した元婚約者と再婚して……伯爵家は未だ存続しております」
むしろ続編を書いた方が、教訓にはなりそうだが。
まさしく現実は小説よりも奇なりな話だね。
「シルキーが許されぬ恋をした場合、もう一度読ませるのです。どうして婚姻したところで、話が終わっているのか。大半のシルキーは気がつきます」
なるほど。
そこに気づけなかったシルキーは、シルキーでないとして、淘汰されるのか。
「っていうか、婚約者っていたんだね。作中に描写はなかったけど」
「ええ家ぐるみの付き合いで、幼い頃に親が決めたものでした。公になる前に白紙になったので、あえて書かなかったのでしょう。他にも随分と書かれなかったことがあるのですよ?」
「愚か者を出さないためなら、書くべきだったと思うけれど……」
「口癖のように言ってはおりました。自分に言い聞かせるように。本当のところは……自分はシルキーでありながら運命の恋をしたと、世に知らしめたかったのかもしれません」
「……主人公が嫌いだった?」
「好きには、なれませんでした。彼女のせいでシルキーの評価が一時期、高位の方々の間で酷く下がりましたものですから。恋愛をするならば、周囲を巻き込まないのが最低限のマナーではないかと、自分は考えておりますので」
恋は盲目とは、よくいったものだ。
私と夫も、一番近しいはずの者たちに、冒瀆的なレベルで非難された。
目を覚ませ、私は夫にあわない。
身の程を知れ、私の存在が夫を貶めている。
分不相応な関係なんて、未来がないに決まってるだろう。
思い出せば、頭の片隅がざらつく程度の不快感は、未だに残っている、けれど。
勘違いしないでほしいのだ。
私と夫は、周囲を巻き込んだのではない、切って、捨てたのだ。
にもかかわらず縋ってくるのは、あちらだった。
「主様?」
「続編は、ないの?」
「作者は違いますが、それでよろしければ、ございますよ。元婚約者が書かれた作品です。タイトルは『復縁には、それ相応の、覚悟が必要ですわ』」
「今度行くときに買いたいわ」
ストレート過ぎるタイトルには苦笑が浮かぶ。
それでもノワールの許可が下りるなら、ハッピーエンドなのだろう。
復縁という言葉は、事情を知らない赤の他人に、何かと強要されたので好きではないが、作品自体は楽しめる気がした。
「そろそろお出になりますか?」
「うん。お願いします」
「ルームウェアはこちらに。朝食は雪華さんより『ろしあふう』で作ったから、楽しみにしていてね! と伝言を承っております」
「わぁ! ロシア風! それは楽しみだなー」
ロシア料理は好きなものが多いので嬉しい。
特にビーツを使ったボルシチは、向こうでも夫とともに好みの味を求めて、幾度となく挑戦したものだ。
「主様はろしあ、ふうがお好きでいらっしゃいますか?」
「あ、こっちにはないんだ?」
「数回聞いたことがございます。寒いときに向く料理が多いということで、幾つかのレシピも存じておりますが……」
「うん?」
「ターラドガという氷の溶けぬ国がございまして。恐らくロシア料理として伝わったものの大半が、ターラドガ料理として知られているのではないかと思われます」
「なるほどねー」
雪華は夫に教えられた名前で覚えているのだろう。
寒いのがあまり得意ではない身としては、用がなければ足を伸ばしたくないが、オーロラが見られるならば行ってみたい気もする。