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頷きながら籠の中に畳まれていた服を取り出した。
白くシンプルなワンピースの上に、細やかな刺繍が入った赤いエプロンドレスは、ロシアの伝統的な衣装をイメージしたのだろうか。
髪が落ちないようにと、ノワールの手で白いヘッドドレスもつけられた。
刺繍が多いせいか、アクセサリーは指輪の一点のみがケースに入っている。
ただし、これもロシアを意識したのか明るいグリーンが特徴のデマントイドガーネットが、四つ葉のクローバーのようにセッティングされていた。
一体夫はどこまで彩絲と雪華に、あちらの知識を教えたのだろうかと、そこはかとない不安を抱きながらも皆が待つダイニングルームへと向かった。
既に皆は食卓に着いていた。
雪華が説明をするためにか、隣の席に陣取っている。
いわゆるお誕生日席なので、いつもは一人なのだ。
「皆お待たせ。それでは、いただきます」
唱和のあとで、皆が料理に手をつけ始める。
説明は一通り終わっているらしく、質問する者はいないようだ。
「さ! どれから説明しようか?」
やる気に満ち溢れた微笑を浮かべた雪華が、身を乗り出してくる。
その体勢は巨乳が素敵に強調されるので、朝からは勘弁していただきたい! とへたれ系ハーレム男子のような感想を抱きつつ、料理に目を向けた。
「……雪華が食べてほしい順番にお願いします」
この返答が無難だろう。
コース料理とはいかずとも、それなりの品数が並んでいるのだ。
「まずは、クワスを一口」
私の返答は雪華の意にかなったようだ。
浮かんでいる微笑が一段と深くなった。
すすすっと飲み物が入ったグラスを渡される。
「クワスと聞くと、しみじみ本格的なロシア料理って気がするわ」
「パンから炭酸飲料を作るっていう点が、こちらの世界に馴染みやすいって、御方様はおっしゃっていたわね。今ではこの世界でも全域で飲めるようになっているわよ」
「おぉ……」
夫の食文化への貢献が半端なかった。
今更と指摘されても、毎回飽きずに感動してしまう。
「あ……微炭酸で飲みやすい。すっきりしているわね。最初の一口にいいかも」
「でしょでしょ?」
色は黒。
見た目ならコーラに近い。
甘酸っぱい微炭酸で、爽やかな喉越しだった。
以前ロシア料理専門店で飲んだ物より、飲みやすい気がする。
「次はサラダよね。アリッサがビーツ好きって聞いていたから、ビネグレットにしてみたわ」
「うん。オリヴィエも大好きなんだけどね。ロシア料理って滅多に食べられないから、ほとんどの場合はビネグレットにしちゃうの」
オリヴィエはロシア風ポテトサラダ。
ビネグレットはビーツ、にんじん、じゃがいも、ピクルス、塩漬けキャベツ、玉ねぎなどをひまわり油で和えたサラダなのだ。
こちらもさっぱりした味わいで、飽きがこない。
そういえば、ひまわり油を食べたのはビネグレットが初めてだったと記憶している。
「ちなみに、ビーツはこっちでツービね。他には、キャロト、クルスピ(ピクルス)イモッコ、ホワイトペッパー漬けキャベキャベ、オニオーンを使ってるよ!」
「あ、向こうのレシピに凄く忠実なんだね。食材が揃っているのも驚きだし」
「イエローオイル(ひまわり油)は御方が初めて使って広がったんじゃなかったかな? 種を煎って食べる習慣はあったんだけどね」
食材は綺麗に四角く切られていて可愛らしい。
作業工程を完成まで動画にしたら人気が出そうな、彩りが華やかな一品だ。
「パンは黒パンとピロシキを両方用意したよ。アリッサにはどっちも食べてほしかったから、かなり小さめに作ってます」
皿の上には二口で食べ切れてしまうミニサイズが、それぞれの皿に山と盛られている。
雪華は一つずつ取ってくれた。
山は均等に減っているようなので、どちらも美味しく食べられているようだ。
「この酸味と重みが黒パンって感じがする……白パンも美味しいけど軽いからね。食べ応えっていうとこっちかなぁ」
「日持ちがいいのも魅力的だよね。こっちでは貧民層でも食べられるよ。最近は……ちょっと危険だったみたいだけど、今後は手も届きやすくなるんじゃないかな?」
「もしかして、ここにも例の元寵姫による影響が?」
「そうだよ! 見た目が好ましくないからって、一時期は作っただけでも罰せられていたみたい。どこまでも阿呆だよね」
せめて王宮という狭い世界で完結していればマシだったものを。
慈しむべき民が困窮する強制など言語道断だ。
「寵姫の罰って無期懲役がいいのかしら……」
「それねぇ。いろいろと案は出てるみたいだけど、苦しませる系と労働力として使い潰す系にわかれているみたい」
「労働力として使い潰す過程で、随分苦しむんじゃないのかしら?」
「それじゃあ、足りないんだってさ! って、朝食の話題じゃなかったね。ささ、ピロシキも食べてよ」
「ええ」
ピロシキの半分を囓って断面図を覗きながら具材を確認する。
牛肉と玉葱だけのシンプルなピロシキを目指したらしい。
塩胡椒が好みの加減で効いている。
「どう?」
「こちらはシンプルね。牛肉と玉葱に塩胡椒だけでしょう?」
「うん。高級なまるうしとか使ったピロシキも、すっごく美味しそうだけどねぇ。これは比較的安価なカーウ(牛)を使ってるんだ。高級なヤツじゃなくても、いい味が出るから凄いよね。ホワイトソルトペッパーは控えめがいいって、ノワールのアドバイスがあったから従ってみました」
さすがのノワール。
さすノワ!
ノワールに対する、さすがの~と感心する頻度は、夫の次に多いと思う。
「余った野菜とか入れられるから、主婦にも喜ばれるみたいだよ……多少傷んでいても、揚げれば大丈夫とか、そんな話もちらほら……」
あー、火を通したら安全! という、不確かな信仰はこちらでもあるんだね。
絶対安全じゃないっていうのは、経験して覚えていくのかもしれないけれど、あまり無茶はしないでほしい。
死んでしまったら元も子もないからね……。
「うちは、新鮮な食材を使っているから安心だけどね。ノワールの倉庫って、本当! 有り難いよー」
時間停止&瞬間選択機能搭載で、無限収納だもんねぇ。
異世界転生もしくは転移で欲しいスキルベスト三に入るんじゃないかな、このスキル。
私の指輪も似たような機能だけど、ノワールがいたら使う機会が減るよね。
あ!
夫が収納してくれている、変わった食材とか素材をノワールに提供するのはありかも?
「そういえば、ロシアの朝食って基本シンプルなんだってね? カーシャとブリヌイのどちらかのみ、みたいな」
「そうなのかしら? 最近はワンプレートランチみたいに食べるおしゃれな朝食も……」
やはり忙しい朝には、各家庭それぞれの味付けで親しまれたカーシャが多いようですよ。
「主人曰く、お手軽さからカーシャが多いみたいって」
「なるほど。確かに前日に水でふやかした蕎麦の実を、翌日レンジでチンをするだけ! らしいですからねぇ」
うんうんと、雪華が頷く。
こちらではさすがに電子レンジはなさそうだが、それに似たアイテムをドワーフが作ったり、近い魔法があったりする気がした。
「カーシャもブリヌイも用意してありますので、一口ずつ食べてみますか?」
「ええ、ありがとう」
ミニサイズの黒パンとピロシキにサラダ。
これだけでも朝食には十分だが、どれも控えめな分量だったので、まだおなかには余裕がある。
雪華がスプーンに盛ってくれたカーシャを一口で食べる。
「甘い?」
カーシャをロシア風シリアルと考えれば、シリアルは甘いの多いしねーとなるのだが、ロシア風お粥と考えると、え! お粥が甘いの? 日本のはしょっぱいから同じだと思ってた! という流れで違和感を覚えてしまうのだ。
最初から甘いものと認識して食べると、食べやすくて美味しいけれどね。
「ん? 甘すぎた?」
「ううん。美味しいよ? ただしょっぱい系と思って食べたら甘い系だったから驚いただけ」
「なるほど……味は好みかな?」
「うん。好み。蜂蜜とバターの加減が秀逸」
冷静に味を確認すると、バターの塩気もあるから、そこまで甘い! って味付けでもなかった。
ただ量に気をつけないとカロリーが危険だろう。
元々寒さ対策にと、カロリーが多く取れるようなレシピになっているわけだしね。
「朝食はこれで十分な人たちの気持ちもわかるかなー」
「ふふふ。でもアリッサは、少しずつ種類を食べたい派でしょう?」
「そうね。贅沢だとは思うけどね」
今度は皿の上へ一口サイズに切られたブリヌイが置かれている。
ロシア風のクレープだ。
載っている具材は、見た目からしてイクラとカッテージチーズ。
味も同じなら、この組み合わせは正直に言って至高だと思う。
「美味しい……」
うん、同じでした!
「サモンプッチン(イクラ)とカッテージズーチー(カッテージチーズ)の組み合わせは、こちらでも人気だよ。サモンが大漁のときは特に食べられるみたいね。さ。そ・し・て! アリッサが大好きなボルシチです! ツービたっぷりだよ!」
朝からたくさんの種類をいただいたので、ボルシチも小さめなスープカップに入って出てきた。
見た目も鮮やかなツービが目立っている。
「あー、美味しい……」
そして、きちんとサワークリームがトッピングされているのも嬉しい。
サワークリームがあるとないとでは、まろやかさが格段に違うのだ。
「こちらの具材は、カーウの切り落としに、オニオーン、イモッコ、キャベキャベ、キャロト。完熟のトマトゥがたっぷり入ってるよ」
自分で作ると手が色素で真っ赤になるビーツだけど、皆は大丈夫だったのかしら?
ちらっと作業をしていた皆の手を見ても、手が赤い子はいなかった。
綺麗にできる魔法があるのなら、便利で羨ましい。
爪の隙間に入り込んだ色素がなかなか取れないんだよね。