テラーノベル
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その縁側へと続く、薄暗い廊下のふすまの裏。 遣手婆は、気配を完全に消したまま、二人の会話をじっと盗み聞いていた。
(お釈迦様、ねえ……)
婆は皺の刻まれた顔に、自嘲気味な笑みを浮かべる。おさくの言う通り、ここは地獄だ。どれほど着飾ろうが、ここは売春の泥沼。そして自分は、その地獄の番人をしている。 婆は足音を一切立てずにその場を離れ、郭の最も奥深くにある隠し宿へと向かった。
ギィ、と建付けの悪い格子戸を開けると、カビと安物の薬の匂いが混ざった澱んだ空気が鼻を突く。 部屋の隅、薄汚れた煎餅布団にくるまり、顔のできものを隠すようにしてガタガタと震えている影があった。おりんだ。かつての三位の栄華など見る影もない。
「お婆さん……」
おりんが、かすれた声で振り返る。その瞳には、おさくへの恨みと、己の身に起きた破滅への恐怖がまだ消えずに渦巻いていた。婆は、布団の脇に静かに腰を下ろした。
「おりん。あんたが、おさくの妙な噂を流していたこと。私が最初から気づいていたって言ったら、どうするかい」
おりんは息を呑み、怯えたように体を縮こまらせた。
「……気づいて、いたの……? じゃあ、なんで、止めてくれなかったんだよ……っ! お婆さんが最初から叱って、止めてくれてたら……私は、私はあんな汚い客なんか強引に取らずに済んだのに! 私の顔がこうなったのは、お婆さんが黙ってたからだ……っ!」
涙混じりの、理不尽な恨み言。だが、婆は表情ひとつ変えずにそれを受け止める。
「なんで止めなかったか、だって? ──止められるわけがないだろう。あんたがやっていたことはね、この地獄で生き残るための、あんたなりの精一杯の足掻きだったんだから」
婆の声は低く、しかし奇妙な優しさを孕んでいた。
「他人を呪ってでも、嘘を吐いてでも、這い上がろうとする執念。それだけが、この郭で生きるための唯一の命綱なんだよ。それを取り上げるなんて、私にゃあ出来やしないさ。止めちまったら、あんたはその時点で死んでたんだよ」
婆はゆっくりと立ち上がり、哀れな元・三位の遊女を見下ろした。その目は、おりんを見ているようで、かつて同じように誰かを蹴落として生き残ってきた、遠い昔の自分自身を見ているようでもあった。この婆もまた、かつては誰かの羽をもいでここに立っているのだ。
「おさくはね、あんたのその浅ましさを『憎みきれない』と言って泣いていたよ。あんたにどれだけ呪われても、禿の頃に一緒に笑ったあんたを覚えているってさ。本当に、あの子はお釈迦様みたいな器だよ。……だけどね、おりん。この地獄じゃあ、足掻ききれなかった奴から死んでいく。ただ、それだけのことさ」
婆はそれだけ言い残すと、振り返ることもなく部屋を出た。
パタン、と閉まった格子戸の向こうから、おりんの、声を押し殺した咽び泣きが聞こえてくる。それは、二度と戻れない過去への後悔か、おさくの慈悲への敗北感か。 遣手婆は、冷たい夜風が吹き抜ける廊下を、再び足音を殺して歩き出す。
今夜もまた、この地獄の籠の中で、一羽の鳥が静かに羽をもがれて消えていく。それを知りながら、婆はただ、いつも通りの冷徹な足取りで、嘘の灯りが煌々と輝く表舞台へと戻っていくのだった。
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コメント
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もうもうもうっ!!😭💕 この遣手婆の「止められない」って台詞がめっちゃ刺さった…! 地獄の番人としての業みたいなものを背負いながら、おりんの足掻きを「止めちゃったらその時点で死んでた」って言い切るところ、婆なりに女たちを見てきた優しさと冷酷さが同居してて鳥肌立った…。おさくの「憎みきれない」って言葉も、地獄の中で輝く唯一の光みたいで泣けるっ…!!💦