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くるみは自分にはもったいないぐらい出来た女の子だ。
(ホンマに……そんなくるみちゃんの相手が俺でええんじゃろうか)
ふと不安になって、実篤はポケットの中に入れた小さな箱を握りしめずにはいられない。
今日はホワイトデーだ。
バレンタインデーのチョココロネのお返しにコレは少し重過ぎかもしれない。
でも……。
お日柄だって悪くないし、何だかんだで曖昧に意思表示をしてから三か月近くが経ってしまった。
くるみは同窓会があったあの年末、実篤が結婚を申し込んでくれるのを待っていると話してくれたではないか。
(頑張れ俺!)
今日、実篤はくるみにプロポーズをする予定だ。
時間つぶしも兼ねて、予約したレストラン近くの吉香公園で、梅の花を見ながらやたらソワソワしてしまっていた理由が正にそれなのだけれど……。
ヘタレわんこだって決める時は決める!……はず。
***
「うち、一回でええけぇここ、来てみたかったんです」
一見普通の家に見えるそのフレンチレストランは、黒板にチョークでメニューが手書きされたA型の立て看板が置かれていなかったら、レストランだとは分からないかも知れない。
白を基調とした壁に、黒御影石の階段と、限りなく黒に近いダークブラウンのオーク素材製ドア扉。道に面して大きく取られた窓の枠も黒塗り。
白と黒のコントラストを上手に使った落ち着いた雰囲気の隠れ家的なたたずまいのその店は、錦帯橋からそれほど離れていない、一本裏の道にあった。
実篤は自社の若い従業員女性の田岡から聞かされてここの存在を知ったのだけれど、くるみは配達で横山をちょくちょく流している関係でずっと気になっていたらしい。
「ランチタイムになったら結構人が入っていらっしゃるんですよ」
生成りのテーブルクロスが掛かった席に着座するなり、くるみがほんの少しこちらに身を乗り出すようにして小声で実篤に話しかけてきた。
店を入ってすぐの所に用意されたコート掛けに上着を脱いで掛けたくるみは、ボリュームそでのくすみピンクのニットに、ふんわり膨らんだ亜麻色のAラインフレアスカートを合わせていた。
ほんのちょっとたくし上げられたニットのそで口から、くるみのほっそりとした手首が覗いている。
ふわりと大きく広がったそでのデザインと相まって、それはドキッとするぐらい色っぽく見えた。
耳元には過日実篤がくるみにプレゼントしたエメラルドのイヤリングがキラリと光っていて、〝彼女は俺のもの〟と主張出来ているようで何だか嬉しい。
テーブルに載せられたくるみの小さな手を見るとはなしに見て、あのほっそりした指に今から自分が渡すダイヤの指輪がはまる所を想像してにわかに緊張してきてしまった実篤だ。
***
フレンチのコース料理を頼んだはずなのだが……。
実篤は情けないぐらいテンパり過ぎて何を食べたのかさっぱり覚えていなかった。
「ババ・オ・リュームでございます」
コトリと幽き音を立ててデザートの載った皿がくるみと自分の前に置かれる。
店員の説明によると、〝ババ・オ・リューム〟は煮込んだラム酒とシロップに、スポンジケーキを漬け込んで作るデザートらしい。
今目の前にあるババ・オ・リュームとやらは、しっとりとしたスポンジケーキの上に、バニラビーンズが練り込まれた生クリームがたっぷり乗っけられて、更にそのクリームの上に鮮やかな色合いの、細切りにされたオレンジピールが数本あしらわれていた。
それだけでも美味しそうに見えたのだが、トドメのようにくるみと実篤の目の前で、小さなガラス製のミルクピッッチャーから琥珀色の液体がタラリと回しかけられたからたまらない。
どうやら中身はラム酒みたいで、ラム酒特有のカラメルを焦がしたようなもったりとした甘い香りがふたりの鼻腔をくすぐる。
(っていうかもうデセールなん⁉︎)
いつの間にそこまで来た!?と思ってしまった実篤だ。
ここまでの料理を、くるみは美味しく食べられただろうか。
実篤は、情けないことに何を食べたのかほとんど記憶にないし、もっと言うとやたらと酒ばかりが進んでしまっていた気がする。
日頃飲みつけないワインは、しかしこれもまた味がしないばかりかちっとも酔わせてくれない。
実篤、ここまでの道中はくるみを家まで愛車で迎えに行ったし、もちろん吉香公園近くの駐車場までだって車で来たのだから本当は飲んではまずかった。
だが、素面のままプロポーズに臨めるほど神経が図太くなかったのだから仕方がない。
(帰りは代行タクシーでええわ)
などと席に着くなり早々に見切りを付けてしまった。
***
「これ、口に入れたらジュワッと甘いんが染み出してきてめちゃめちゃ美味しいですね」
くるみが実篤の目の前。うっとりと目尻を下げて、とても嬉しそうに口元を綻ばせている。
その笑顔が可愛すぎて、実篤はフォークにケーキを刺して持ち上げたまま思わず見惚れてしまった。
いま食べているババ・オ・リューム。
食べる直前にラム酒を回しかけるのは飲酒するアテがない人間に対してのみのサービスで、車に乗る予定がある客には煮切ってアルコール分を飛ばしたものを使用するらしい。
「そう言やぁ実篤さん、凄い飲んじょってように見えますけど大丈夫ですか?」
ぼぉっとくるみに魅入ったまま動かなくなってしまった実篤に、くるみはてっきり酔いが回ったと思ったようだ。
心配そうな顔をして実篤の方をじっと見つめてくる。
その視線にやたら照れてしまってタジタジの実篤だ。
「いやっ。全然酔うちょらんのよ。ただ……」
――滅茶苦茶緊張しちょるけん。
そう続けようとして「何に?」と問われたら絶体絶命のピンチだと訳の分からないことを思ってしまった実篤は、不自然に視線を揺らせてくるみに要らない心配をかけてしまう。
「今日の実篤さん、ずっと心ここにあらずな感じじゃったし、ひょっとしてどこか具合が悪いとかじゃ……」
そこでハッとしたように「もしかして今日予定より早よぉ帰れたんもそのせい?」とか言い始める始末。
「い、いやっ。違うんよ、くるみちゃん。『今日は用があるけぇ申し訳ないけど残業は出来ん』っちゅうたら……みんなが変に気ぃ遣ぉーてくれて。『じゃったら』って昼過ぎに追い出されただけなんよ。ホンマにそれだけじゃけ、信じて?」
「……それじゃったら尚のことどうしたん? 今日は迎えに来てくれた時から何か様子がおかしかったし……。お店へ入ってからは一層上の空じゃったじゃろ? うちがなんぼ美味しいねって言うても生返事ばっかりじゃったし」
そこで眉根を寄せたくるみから、「ひょっとして……うちとおるん、楽しゅうない?」と聞かれた実篤は、思わず手にしていたフォークを皿に取り落として「違っ!」と席を立ち上がってしまっていた。
途端周りの客の視線が一斉にこちらへ集中して、慌てて席に着き直す。
騒がして申し訳ないと周りに視線を流したら、皆実篤の顔を見るなり「ひっ」と悲鳴を上げて視線を逸らしてくれた。
脅すつもりなんて微塵もなかったし、申し訳なさが募った実篤だったけれど、今は正直ギャラリーのことなんてどうでもいい。