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「そういえば、お嬢さま。もう少ししたらクラリーチェ先生の授業が始まりますよ」
クラリーチェ・ヴァレンティナ・モレッティ――。かつてランディリックの従妹レオノーラ・アマデア・ライオールの家庭教師を務めていた女性だ。
厳しくも温かい指導で知られ、今は住み込みでリリアンナに礼儀作法や学問を教えている。
「うん、分かった。でも……その前にちょっとだけ馬たちに朝のご挨拶に行ってもいい?」
リリアンナのおねだりに、ナディエルは一瞬瞳を見開くと「ちょっとだけですよ?」と小さく吐息を落とした。
本当は止めなければいけないと思うのだけれど、ナディエルはリリアンナのおねだりに弱い。
きっと、実家に残してきた妹たちとリリアンナが重なるからだろう。
***
髪を整えたリリアンナは、ナディエルを伴って大急ぎで厩舎へ足を運んだ。
ここへ来るのはもうすっかり日課のようなものになっている。屋敷に滞在し始めてからというもの、ほぼ毎日のように足を運び、馬たちの様子を見たり世話を手伝ったりするのが彼女の小さな楽しみになっていた。
リリアンナの姿を認めるなり、冬毛をまとった栗毛の牝馬が、鼻先を近づけてくる。
手を伸ばせば、温かな吐息とともに湿った鼻面が指先に触れて、リリアンナは思わず微笑んでいた。
「おはよう、カイル。……ロゼッタ、今日は機嫌がいいみたいね?」
リリアンナが〝小さな薔薇〟という意味の名を持つ栗毛の馬を撫でながら言えば、側にいたカイルがロゼッタの首を軽く叩いて、にやりと笑う。カイルとは、ヴァン・エルダールに着いたばかりの日に馬車の御者をしてもらったのが初見だったが、馬たちの世話こそが彼の普段の仕事らしい。ライオール邸で飼われている馬たちのことを、誰よりも詳しいのは紛れもなく目の前のカイルだった。
「そりゃあ朝からリリー嬢に会えたんだから当然ですよ。ほら、耳の動きがやけに軽いでしょう? あれはロゼッタが嬉しいときの仕草なんです」
「そうなの!?」
言われてみれば、ピクリと揺れる耳の動きが、どこか楽しげな調子に感じられる。リリアンナはくすりと笑い、ロゼッタの首筋を撫でた。
「それに、今朝はもっと嬉しいことがありましてね。――ブランシュが夜明け前に仔を産んだんですよ!」
厩舎の奥の方へ視線を注ぎながら告げられたカイルの言葉に、リリアンナは思わず息を呑んだ。
ブランシュは、〝純白〟という意味を持つに相応しい、雪のように美しい白馬だ。ブランシュが腹に子を宿していたことは、リリアンナもカイルやランディリックから聞かされて知っていた。
「まあ……! ブランシュが!」
リリアンナの瞳が大きく見開かれ、すぐに柔らかな光が宿る。
「母子ともに元気なの?」
「ええ。まだ休ませていますが、順調ですよ」
カイルの笑顔を見て、リリアンナの胸にランディリックの言葉が蘇った。
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