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ディオナはクロの艶やかな毛をなでながら馬車に揺られ続けた。
粗末な馬車の乗り心地は極めて悪い。
しかも舗装されていない山道を走っているものだから、何度もディオナのおしりが跳ねる。
腰をさするディオナをいたわるように、クロがディオナの頬や手をやさしくぺろりと舐めた。
「ふふっ、ありがとうクロ。賢い子ね」
完全にひとりぼっちになってしまったと孤独を感じていたディオナにとって、今こうして寄り添ってくれるクロの存在は何物にも代えがたい宝物だ。
「でも……」
ディオナはつぶやく。
「山奥まで行ったら、そこでお別れしましょうね」
その意味がわかっているのかいないのか、クロがきらきらした目で首を傾げている。
ディオナは苦笑しながらクロを抱きしめ、やわらかい毛に頬を寄せた。
追放先は、高い山ひとつ隔てた隣国のマーテル。
隣国といっても、クラリエ王国とマーテルには国交がない。
しかも、馬車がマーテルの入り口まで送り届けてくれるわけではないことをディオナは知っている。
以前、若い神官たちの雑談を小耳に挟んだことがある。
クラリエ王国から追放処分になった者は、獣人の国マーテルへ向かう途中の山奥で馬車から降ろされるらしい。
『馬車はそこで引き返していき、山奥にポツンとひとり残されるわけだ』
『母国へ戻ることは許されていない。だから、たいていの者は不慣れな山奥で道に迷いそのまま命を落とすのだろうな』
幸運にもマーテルにたどり着いたとしても、獣人たちが多く住む国でクラリエ人は歓迎されないだろう。
つまり国外追放は、死刑宣告と同じだ――。
両国に国交がない理由は、高い山に隔てられているからというだけではない。
人間と獣人が相容れないためだ。
クラリエ王国の国民たちは、獣人にいい印象を持っていない。
ディオナは獣人を見たことがないけれど、彼らは毛に覆われた耳としっぽを持ち、発情期になれば理性を忘れる行動をとるという。
「あいつらは獣に近い下等な生き物だ」
「原始的な欲望のままに生きているというじゃないか」
獣人たちを馬鹿にする発言を耳にすることもあった。
しかし、ディオナに対して手のひらを返すように冷遇した人たちが果たして堂々とそれを言えるのかと、いまさら反論したい気持ちが芽生えてくる。
実の父からも見放された彼女を懸命に慰めようとしてくれているのは、犬のクロだけではないか。
クロがもともとどこで暮らしていたのかディオナは知らない。
しかしディオナも王妃もいない今、クロだけが神殿に残っていてもいいことはなにひとつない。
きっと追い出されてしまう。
山に放せば、あとは自力でどうにかするにちがいない。運よくマーテルに到着できれば、かわいがってもらえるだろう――そう考えるディオナの思惑がわからないのか、クロは首を傾げたままだ。
薄暗く鬱蒼とした山道を走り続けていた馬車が止まった。
どうやら目的地に到着したらしい。
ディオナと一緒にクロが馬車から降りても、老爺の御者はチラリと視線を向けただけでなにも言わなかった。
御者はトランクをディオナに手渡すと「ではこれで」とだけ言って、元来た道を馬車で戻っていく。
山道に消えていく馬車をぼんやりと見送った。
場所はまだ山道の途中。マーテルは見えそうにないし、どちらへ行ったらいいかもわからない。
ディオナは、足元で行儀よくおすわりするクロと目線を合わせるようにしゃがみこむ。
「半年だけだったけど、ありがとう。大好きよ、クロ。元気でね」
ディオナはクロの首に両腕を回して抱きついた。
これでお別れだと思うと、涙が溢れてくる。
「不思議ね。リスター様に婚約破棄されても足蹴にされても涙なんて出なかったのに、クロとのお別れがこんなに辛いだなんて……」
グスッと鼻をすすると、クロがキュウンと鳴く。
遠くからガサガサッと藪をかき分けるような音が聞こえて、ディオナはハッと顔を上げた。
腹をすかせたクマかオオカミかもしれない。
「クロ、逃げて!」
ディオナはすっくと立ち上がる。
「あなただけなら逃げられるわ」
トランクを置いたまま、ディオナは駆け出した。
背後からなにかが追いかけてくる気配を感じる。
ディオナは振り返ることなく、山の奥へ奥へと分け入った。
「ハア、ハアッ……!」
息が上がるけれど、ここで立ち止まってはいけない。
(わたしが引き付けないと!)
しかし、普段からこんなに激しく体を動かしてこなかったディオナは、すぐに木の根につまずいてしまった。
「あっ!」
派手に転ぶ。
慌てて立ち上がりながら振り返ったディオナは、紫色の目を大きく見開いた。
「クロ!?」
なんと、クロがトランクをくわえて追いかけてくるではないか。
そう、追跡されていると感じていた気配の正体はクロだったのだ。
「どうしてついてきたの? ダメじゃない」
なんのために逃げたのか……遠い目をするディオナの膝小僧を、クロがペロリと舐めた。
転んだ拍子にすりむいてしまったようだ。
途端にディオナの緊迫した表情がふにゃりと崩れる。
「ありがとう。わたしがトランクを忘れたと思って、追いかけてきてくれたのね?」
ディオナが抱きしめると、クロは尻尾をブンブン揺らす。
再びガサガサと藪をかき分ける音がした。
ここまでか――ディオナはクロを一層強く抱きしめてぎゅっと目をつむる。
「やっと見つけた……」
男性の低い声が聞こえて、ディオナは驚いて顔を上げる。
クマでもオオカミでもない。
しかし――声の主には、ベージュの毛に覆われた三角形の耳とふさふさの尻尾がある。
獣人だ。
ディオナは慌てて立ち上がり、カーテシーをする。
「マーテルの方ですね? わたしはクラリエ王国……出身のディオナと申します」
クラリエ王国を追放された元聖女。
そのことを言うか言うまいか逡巡して、名前だけの自己紹介になってしまった。
「私はマーテルのリチャードです。あなたが、その犬を保護していたのですね?」
リチャードが窺うように問うてくる。
先ほど彼が言っていた「やっと見つけた」の意味がわかった。
(クロを探していたってことね?)
「半年ほど前に、クラリエで迷子になっているところを保護して一緒に暮らしていました」
ディオナが正直に告げると、クロが甘えるように足にすりよってくる。
その様子を見たリチャードのアーモンド色の目から警戒心が消えた。
「あなたがクロの飼い主さんなのですか?」
ディオナの問いに、リチャードがブフッと笑った。
「クロ……!」
どうやら名前がおかしかったらしい。
(しまった! この子にはきっと、もっと素敵な名前があるのだわ!)
ディオナはオロオロする。
リチャードが跪いてクロの首を撫でた。
「よかった。ディオナ様、ありがとうございます」
「いえ、あの……!」
ディオナは慌てて首を横に振った。
「わたしは訳あってクラリエ王国を追放処分になった身です。様をつけずに呼び捨てにしてください」
「追放……ですか」
ふむ、と顎に指をかけたリチャードが尻尾を揺らす。
クロは再び、ディオナの足にすりよって甘えてくる。
「ディオナ様、マーテルはあなたのことを歓迎いたします」
立ち上がったリチャードが手を差し出してくるのを、ディオナは呆気にとられた顔で見つめた。
「え?」
(追放されたわたしを歓迎……?)
戸惑うディオナをよそに、リチャードはトランクを持ち上げる。
「こんな場所で立ち話もなんですから。日が暮れる前に、さあ行きましょう!」
にこやかではあるが、断りにくい圧を感じる。
クロも、さあ行こうとでも言いたげな目でディオナを見上げている。
それに気圧される形で、ディオナはリチャードの背中を追った。