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お股ポテト
29
はるにし
72
夕刻、シュメリが仕事から帰ってきた。
「シュメリ!」
バルトが慌ててシュメリに駆け寄った。
「どうしたんだい?」
シュメリの声が冷たい。
腕の中の僕を凝視している。
「庭木の手入れをしていたら、リンネが怪我をした。回復魔法、使えるか?」
僕の前足の肉球には、大きな棘が刺さっていた。
抜こうとすると痛くて僕が暴れるから、バルトでも抜けなかった。
「にゅぅ、にゅぅ」
痛いよぅ、痛いよぅ。
余計なことして、ごめんなさい。
「そのまま、リンネを抱いていて」
シュメリが僕の肉球に手を翳した。
白い魔力が光になって灯る。
するんと滑るように、僕の肉球から棘が抜けた。
傷口から血が出たけど、シュメリの魔法ですぐに綺麗になった。
(もう痛くない。シュメリ、ありがとう)
僕は一生懸命、シュメリの手を舐めた。
「どういたしまして」
シュメリが僕の体をバルトから奪って、抱いた。
「庭の手入れをしろなんて、お願いした覚えはないよ」
「勝手なことをした。すまない」
バルトが素直に頭を下げた。
(違う! 怪我したのはバルトのせいじゃないよ。僕が勝手にしたの!)
懸命に訴えるけど、伝わるはずもなく。
シュメリは、ただ僕を撫でるばかりだ。
「大事なリンネに怪我をさせてまで、することじゃないね」
シュメリのバルトを見る目が、冷ややかだ。
違う、こんなはずじゃない。
(綺麗になった庭を見てよ、シュメリ!)
僕は必死に庭をさしてアピールした。
ここはシュメリとバルトのラブラブイベントなんだ。
綺麗になった庭を褒めて欲しいんだ。
僕の棘なんか、どうでもいいんだ。
シュメリが、ちらりと庭に目をやった。
「随分、綺麗になった。暗殺稼業より向いているようだけど。リンネを巻き込まないでくれ」
そう言い捨てて、シュメリは僕を抱いたまま歩き出した。
(そんな、そんな……)
本当ならこの場面はラブラブイベントで。
二人が仲良くなるはずの場面で。
僕さえいなければ、二人の距離は縮まったかもしれないのに。
僕は後ろを振り返った。
バルトが切なそうに僕を見詰めていた。
シュメリの腕に抱かれたまま、僕は心の中で泣いた。
自室に入り、シュメリがドアを閉める。
「はぁ……」
シュメリが、大きく息を吐いた。
ソファに腰を下ろすと、僕を強く胸に抱いた。
「にゅ!」
いつもより、力が強い。
ちょっとだけ、震えているみたいだ。
「リンネだけなんだ」
シュメリが、ぽそりと呟いた。
「代わりはいないんだ。リンネじゃないと、ダメなんだ」
抱く力がどんどん強くなる。
「怪我なんか、しないでくれ」
シュメリの頬が、僕の額に触れた。
ポトリと、雫が降ってきた。
(シュメリ、泣いてる?)
涙の雫が、僕の頭にぽたりと落ちる。
じわりと沁みて、頭に映像が浮かんだ。
銀髪の、如何にも高貴そうな人間。
顔には靄が掛かっていて、よく見えない。
『君に会えるのが楽しみで、何度も森での仕事を志願しているんだ』
『最初は魔種の相性だけだったけど、今は……君の前なら、心から笑えるよ』
魔窟の森では珍しい、普通の人間。
バルト以外に会ったことがなかった。
(あれは、シュメリだ)
人間の前で人に変化してはいけないと、バルトに言われていたのに。
僕はシュメリの前で、人の姿をしていた。
(これも、僕の夢だ。前世で見ていた、夢)
眠ると時々、楽しい世界に行けた。
そこには魔法があって、人間以外にも獣人や魔獣が生きていて。
(あり得ない世界だった。だから夢なんだと、思って)
僕が転生したのは、小説の世界で。
シュメリとバルトは本当にいる。
だから恋人になるんだって思った。
でも、あの小説に猫魔は出てこない。
(ここは、僕は見ていた夢の世界? 夢から醒めていないだけ?)
だけど、シュメリの涙は熱を帯びて、ポロポロ零れる。
触れる熱さも、漏れる声も、夢とは思えない。
「話がしたいよ、リンネ。声が聴きたい」
シュメリの悲痛な声が、静かに部屋に響いた。
僕は、シュメリの言葉を理解できているけど。
シュメリには僕の声が聞こえない。
ずっと寂しかったのかもしれない。
「にゅぅ」
僕は、シュメリの頬を舐めた。
流れた涙が枯れるくらい、何度も舐めた。
(ごめん、シュメリ。僕まだ、よくわからない)
過去の記憶も、気持ちも、人の姿になる方法も。
(だけど、シュメリが泣いていると、胸が苦しい)
締め付けられたみたいに、ぎゅってなる。
だからどうか、泣かないで。
僕が一緒にいるから、淋しくないよ。
そう伝えたいのに、伝える術がない。
言葉を話せないことがもどかしいと、初めて思った。
「……ふふ、ごめんね。もう大丈夫だよ」
シュメリが潤んだ目で笑んだ。
僕の体を膝に抱いた。
「約束したからね。私は、諦めない」
シュメリが背中を撫でてくれる。
優しく頭を撫でられて、顔が見えなかった。
コメント
1件
第7話、読ませてもらいました……。シュメリの「リンネじゃないとダメなんだ」って言葉、ものすごく重くて切なかったです。庭イベントでバルトと仲良くなるはずだったのに、リンネが怪我したことで全部シュメリのリンネへの執着に焦点が移っちゃって。でもそれ以上に、最後のシュメリの涙と「声が聴きたい」っていう台詞が胸に刺さりました。言葉にできないもどかしさをリンネの視点で描くの、本当に上手だなあって。続きがすごく気になります……!