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「シュタルク様、おかえりなさいませ! 今日もお仕事、お疲れ様です」
玄関ホールに私の声が響くと同時に、 シュタルク様はわずかに眉を寄せ、その場で足を止めた。
外の冷気を纏ったままの彼は、彫刻のように整った横顔を一層険しくさせている。
けれど、その苦しげでいて鋭い瞳に見つめられるだけで、私の胸の奥は甘い熱を帯びて疼いてしまう。
「……あぁ、メリッサ。ただいま」
返事こそぶっきらぼうだが、私はそれだけで十分だった。
彼が身につけていた重厚な外套を手早く受け取り、冷えた指先を温めてもらえるよう
あらかじめ用意しておいた蒸しタオルを手渡す。
熱すぎないか、香りが強すぎないか。
そんな細かなことさえ、今の私にとっては愛を確認するための大切な作業だった。
結婚して半年。
公爵夫人としての公務や社交も、もちろん大切にしている。
けれど、私にとって何よりも優先すべき「任務」は、愛する夫であるシュタルク様に心ゆくまで尽くすことだ。
彼が執務の合間にふっと一息つけるよう、産地からこだわった豆を自ら挽き、最高の一杯を淹れる。
深い疲労が色濃い夜には、この手で心を込めて彼の強張った肩を解きほぐす。
先月の彼の誕生日には
驚かせたい一心で屋敷中の廊下を彼が好む深紅のバラで埋め尽くし
夜通し掛けて準備した料理で精一杯のお祝いをした。
すべては、私の底なしの愛の証。
けれど、私が想いを募らせ、彼のためにと動けば動くほど
シュタルク様との物理的な距離は、皮肉にも遠ざかっていくような気がしてならなかった。
その夜
私は迷った末に、普段は選ばないような薄絹のネグリジェを身に纏い
その上に薄いガウンを一枚羽織っただけの姿で、静まり返った寝室のベッドに座っていた。
肌にはバニラの甘い香油を馴染ませ、体温で香りが立ち上がるのをじっと待つ。
暗がりのなか、時計の針が刻む音だけがやけに大きく聞こえた。
期待と不安が交互に押し寄せ、胸が張り裂けそうなほど高鳴る。
ほどなくして、重厚な扉が開いた。
入ってきたシュタルク様は、私と目が合った瞬間
弾かれたように視線を斜め下へと逸らした。
その喉仏が、ひどく緊張したように上下するのが分かる。
「……シュタルク様。あの、今夜は……その、少しだけ、お側に行ってもよろしいでしょうか」
私はベッドの端に腰掛けたまま、彼を見上げて上目遣いに誘った。
自分の心臓の音が全身に響いて、耳の先まで火照っていくのが自分でも分かった。
せめて隣に座ってほしい。大きな手で引き寄せてほしい。
そんな切実な願いを込めたけれど、彼は歩み寄るどころか、部屋の入り口に釘付けになったかのように一歩も動かなかった。
「……すまない、メリッサ。急ぎで処理しなければならない書類を思い出した。今夜は執務室で夜を明かす」