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日本でも少数の富豪中の富豪が排他的に暮らす、兵庫県は芦屋の六麓荘町・・・
この町は景観に見苦しいと言うだけで富豪達の町会費で信号を無くし、電信柱が地中に埋められた有名な街である
この日、六甲の山裾に抱かれたこの高級住宅地で、希代の傑女、伊藤冷凍食品の初代会長【伊藤鈴子】60歳の誕生パーティーが催されていた
場所は、六麓荘町の頂に君臨する彼女の壮麗な邸宅、「葦翠館」・・この物語の舞台のひとつになる場所である
ここに招待されているのは、財界、文化、芸能の各分野から厳選された120名の男女と鈴子の家族のみ
六麓荘町の静謐な空気を切り裂くことなく、夜の帳が下りる中、邸宅の窓から漏れる光が、まるでこの町の秘密を照らし出すかのようだった
鈴子の誕生日パーティーは贅の限りを尽くされていた、ブラックタイで正装した紳士に、きらびやかな夜会服に身を包んだ淑女達、屋外に並べられたテーブルで夕食のごちそうが振る舞われた後、客達は席に着いたまま、ヒロインのスピーチが始まるのを待っていた
執事や使用人達がテーブルのあいだを黙々と行き来して、 バカラのグラスやリモージュの皿に慣れた手つきでおかわりを足して行く、テラスでは音楽が生演奏され、よく手入れされた大庭園を飾るランタンやLED装飾ライトが祝賀会気分を盛り上げている
間もなく、芦屋市長からの祝電が読み上げられた、続いて、元最高裁判所裁判官が乾杯の音頭を取ると、「兵庫県知事の林和彦」が立ち上がり、鈴子にウインクしながら彼女を賛美するスピーチを始めた
「・・・伊藤食品の会長・・・伊藤鈴子さんは兵庫県史上、最も傑出した女性の一人でございます、彼女の国を越えた数かぎりない慈善活動は今や伝説になっています、伊藤財団の寄付は、これまで五十か国以上もの人々の健康や生活水準の向上に貢献してきました・・・鈴子さんのご主人、故、伊藤定正殿の言葉を借りますと、たったひとりの人間に、これほど多くの人が世話になったことはありませんでした。私は鈴子女史と知り合う恩恵に浴することが出来て・・・」
―この人はたしか騎乗位で下から私を突くのが好きだったわよね・・・もっとも関係が終わったのは15年も前の事ですけど・・・―
兵庫県知事の演説は鈴子の耳に空々しく響いた
―この中では誰も本当の私の事を知る人なんてもういない・・・県知事の話を聞いていると、まるで私が聖人か何かに聞こえるけど、私の本当の姿を知ったらここにいる人達は仰天するでしょう・・・私の母に私を産ませた父は、自分の息子程の歳の女を孕ませた男だった・・・そして兄も父も母も死に・・・私は一人で世間の荒波と戦っていかなければならなくなった・・・ここに集まっているみんなに、私が一生涯で何をやって来たか語って差し上げたらみんなはなんて言うかしら・・・―
目を血走らせて父と兄が一人の女をめぐって殺し合いをしている姿が、まるで昨日の様に鈴子の脳裏をよぎる・・・あの時鈴子はまだ13歳で、なす術もなく、ただ二人が死んでいくのを見守った、最近では会議中でもこうした公の場でも一人フラッシュバックを起こす事がよくある
かつて自分と関係を持った男も、この会場の祝賀客の中に数人混じっている、鈴子がその男に目をやると、ハゲ頭の芦屋の不動産王の男はこちらを見てニコリと笑った
男の背後には身を隠すようにして座る女の姿があった、鈴子の視線は男から離れて、その女の所で止まった、若くて美しい女だった、顔をベールで隠す小さな帽子を付けているその女は、鈴子の視線に気づくと、 恥ずかしそうにうつむいた、ベールの奥には身の毛もよだつような顔があるはずだ、いつの時代も男は若い女を好む
遠くで雷が鳴っていた、県知事の演説が終わるのを待って、今夜の主役、伊藤鈴子は立ち上がり、食事を終えた客達を見回した
スリムで小柄な彼女だが、豪華な着物のおかげで実際よりは大きく見えた、口を開いたときの彼女の声は力強く、言葉ははっきりしていた
「このような大勢の皆さまに誕生日を祝っていただいて、なんて私は果報者でしょう・・・ここまで長生き出来て私は幸せです、なぜなら、生きていたからこそ、こうして皆様にお会い出来るのですから、今夜の皆様は日本のみならず、世界の各地からお集まりいただきました。遠く中国や韓国から来られた方もおいでです、皆様お疲れだと思いますが、もう少し年寄りのお誕生日を大好きな方々に祝ってもらいたいと言う我儘を聞いて下さいね」
客達はどっと笑って喜んでと拍手をした
「このような記念すべき夜にしてくれた事を皆様に感謝します、どうぞ飲んで、食べて日頃の労をねぎらってください、お疲れの皆様は、部屋の用意が出来ていますから、どうぞそのままお引き取りください、まだ元気の残っている方々はカラオケホールでのど自慢をされてはいかがでしょう」
空は先ほどの美しい夕焼けから雨雲がどんよりと広がり出していた
ホホホッ
「最近ではめったに当たらないYahooウイザードが今夜にがぎって当たりそうですね、南海トラフがニュースで取り上げられるようになってから、どういう訳か北朝鮮ミサイルの話題はなくなりましたね、雨に打たれる前に屋根の下に移動しましょう」
スピーチから二時間たった今、食事もカラオケも終わり、客達は帰路につくか、それぞれの部屋へ引き上げていった、残っているのは鈴子一人と幽霊達だけになった、書斎に腰を下ろして家族写真を見つめながら、過去に思いをはせていると、鈴子は急に悲しくなった
―長生きなんてするものじゃないわ・・・ああ・・・ママ、パパ、兄さん・・・もう優しく私の事を鈴子と呼んでくれる人はみんな逝ってしまった―
鈴子が13歳の時にまず母が病気で逝き・・・父や兄が続き・・・そして鈴子に財産を残してくれた初めの夫が逝き・・・さらに一人目の夫が残した財産を増やした二人目の夫も逝き・・・数々の鈴子の世界を広げてくれた愛人達が逝き・・・今や鈴子の世界はすっかり縮んでしまった
「おばあちゃま・・・大丈夫?」
突然呼ばれて鈴子は振り向いた、いつの間にか家族全員が書斎に集まっていた、鈴子は子供家族のひとりひとりに目を移していった、その瞳は無慈悲なカメラのように何も見逃すまいと、顔を眺め回してから次の顔へ移っていった
―わたしの家族・・・・―
鈴子の胸中は複雑だった
私の血を永遠たらしめてくれる子供達・・・お化けになった脳梗塞で亡くなった母・・・殺人者の父・・・そして父を憎んで死んだ兄・・・私の旧姓高村家の残骸達・・・希望に燃えて苦しみに耐えたあの年月・・・すべてはあの女が来てからこの長い長い復讐のメビウスは始まった・・・
そして今は誰もいなくなった、私はやり遂げたのだろうか・・・
横に来ていた孫娘が鈴子の顔を覗きこんだ
「おばあちゃま、大丈夫?」
「ちょっと疲れました、少し横になった方がよさそうね」
鈴子は立ち上がり、階段に向かって歩き出した、その時だった
窓の外で大地が低く唸り、突然の揺れが 葦翠館の壮麗な自宅を震わせた
ガラス窓がビリビリと鳴り、シャンデリアが微かに揺れる、鈴子はまるでその振動を子守唄のように受け止めていた
家族全員が見守る中、老婦人である鈴子は階段のてっぺんに登りついた、背すじをぴんと伸ばし、誇りに満ちた立ち姿だった
再び大地が揺れ、床下から鈍い響きが這い上がってきた、鈴子は振り向いて家族達を見下ろした、彼女の声には芦屋の山裾で育まれた静かな威厳が宿っていた
「この町では、こんな揺れは日常よ」
と鈴子は言った
「けれど・・・あの大地震の夜・・・私がすべてを失った夜・・・あの夜のことは絶対に忘れられない・・・」
彼女の言葉は、まるで時間を遡る鍵のように、鈴子の人生に影を落としたあの夜にまた引き戻されていた
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