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【50年前・・・中国・厦門】
せっせと野菜を収穫している「リーファン」に暖かい風が吹き、彼女の長い髪を揺らした、リーファンは小鳥の声に耳を傾けながら、夏の太陽を沢山浴びて瑞々しい実を付けたトマトを収穫していた
空を見上げれば、見えない糸で宙につり下げられたような小さな黒い点が見えた、あの点の様に見える大鷲はイカロスみたいに太陽を目ざしてどこまでも高く飛んでいくのだろう
昨日の豪雨はすっかりやみ、所々に大きな沼と言えるほどの水たまりを作っている
今夜は父に美味しいチキンのトマト煮をつくってやろう、このアモイの山に囲まれたリーファンの畑は色彩豊かに沢山の夏の野菜が実を付けている
日本人陶芸家の父が神がかった芸術作品を作るための土を探して、母と離婚し、娘のリーファンをつれてこんな辺鄙な中国の山奥に連れて来られたのも、もう10年前、父と二人暮らしのリーファンにとって、野菜の世話は唯一自分の趣味でとても面白いものだった
「一日でもこの子達のお世話を怠ったら大変な事になるわ」
そう言いながら、すでに収穫時を逃した巨大になったオクラをリーファンはハサミでちょんぎった
中国はアモイの人里離れたこの辺鄙な土地で、リーファンは父と彼女のすぐ傍で、やたらめったら土を掘り返している「ブルテリア犬」のウーロンとの暮らしに満足していた
小型で真っ白な体に右目に殴られたあざの様な模様のウーロンは、土の中に鼻を突っ込んでいると思ったら、次の瞬間狂ったように吠えながら生垣に向かって駆け出した
クス・・・
「きっとウサギでも見つめたのね」
その時、近辺に人里はないこの土地の、のどかな静寂を破る車のエンジンの音が辺りに届いた、リーファンは何ごとかと辺りを見渡した、山のふもとのこの村はドライブには向いていない
路肩は崖になっていて大きな川が流れているし、道はでこぼこでとても危険だ、頂上へ向かう車が一台通れるぐらいの山間には何年かに一度は必ず遭難者が出る、なので入口には、注意書きの看板が立っている
あきらかにブレーキが効かない車の異常なスピードに、興奮したウーロンが狂ったように吠えて追いかけている、リーファンは一目散に敷地内の柵に駆け寄ると白のオープンカーが目の前を走って行った
―日本車だわ―
そう思った途端、激しい衝撃音が耳をつんざいた、大きな沼地にハンドルをとられた白のレクサスのオープンカーがひっくり返って停止した
「大変!」
リーファンは美しい黒髪をふり乱し、でこぼこ道を裸足のまま駆けだした、
辺りはもうひっそりと静まりかえっている、タイヤはまだ騒音をあげて空回りしている、すっかり興奮しきったウーロンが車に向かって吠えている、運転手は無事なんだろうか?
「ハンドルを離して、エンジンを切って!」
そう叫ぶと、リーファンは自分のTシャツとデニムのショートパンツが汚れるのも気にしないで膝までの沼に入って行った
オープン・カーでよかったと思いながら、 内側からドアを開けて、ハンドルの上に倒れこんでいるドライバーの脇を両手で持って、うんしょ、うんしょと渾身の力を込めて、今や沼に半分はまっている車から運転手を助け出した
「わぁ・・・」
運転手は若い青年だった、とってもハンサムだとリーファンは思った、センター分けの艶やかな髪、思わずため息が漏れた、作業着みたいな服装に紺色のデニムを着ているが沼の水で彼も下半身水びたしだ
見た所いかにもここら辺りの人間でもないし、観光客でもない、今、彼は割れたフロントガラスのせいで、額からは血が流れて、硬く目を閉じて、意識を無くしている