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◻︎本当の理由
何枚かの写真を撮ってデータとして残してもらい、後日あらためてとっておきの一枚を選ぶことにした。
写真館からの帰り道、礼子と喫茶店でお茶をする。
「喫茶店でお茶なんて、いつ以来だろうね」
「そうだね。たまにはいいね」
落ち着いた店内で、丁寧に淹れられたコーヒーをいただくのもまた贅沢な時間だ。
「それにしてもさっきの人、また写真を撮りに来れるかな?」
「そのことなんだけど、多分…服が気に入らなかったんじゃない気がするんだよね」
「え?どういうこと?」
「理由はわからないけど、施設暮らしみたいだったでしょ?だからきっと、お気に入りの服というのは家に置いてあるものだと思うんだ。それを取りに帰りたい…というのは口実でさ、少しの時間でもいいから帰りたかったんじゃないかなぁ?住んでた家に」
「あー、なーるほど」
「でも、娘さんとしては面倒なんだと思うんだよね。歩くのも少し不自由みたいだったし、きっと家では介護ができないからと施設に入ってもらってるんだと思う」
「施設かぁ…そのうち私らもお世話になるのかな?」
年齢からいうと、そう遠くない未来の自分たちにもやってくる現実だと思い当たる。
「施設に入る時ってさ、入る方もその家族もわりと簡単に考えてしまうんだけどね」
礼子の声のトーンが下がる。
「まぁ、お互いその方がいいってこともあるし。いい施設なら私も文句言わないと思うけどな」
「そりゃお互いのことを思うと、その選択は間違いじゃないよ。ただ考えておかなきゃいけないことは、施設に入ってしまったら大体の人がもう家には帰れないってこと。仕方のないことだけどね」
「あ、そっか。いつでも帰れるわけじゃないってことか」
「そう。でもね、施設にいる人の多勢はもう一度家に帰りたいと願ってると思う。暮らせなくてもわずかな時間でもいいからって」
もしも私だったら?と考えてしまう。
長年暮らした家を出るときに、“もうここで暮らすことはないんだよなぁ”なんて考えるのは、なんて哀しくて切ないのだろう。
「もちろん、その家族もまた一緒に暮らしたいと考えるだろうけど。“いつかそうしたい”と思ってる間にあっというまに時間は過ぎて、そして叶わぬ願いのままになってしまうことが多いんだよね、悲しい事実だよ」
遺影を用意する他にも、やっておかなきゃならないことがありそうだと話した。
それからしばらくして、礼子のスマホにみおぼえのある番号から着信があった。
「あ、結衣ちゃんからだ、ちょっと出るね」
礼子はその場で電話に出た。
「もしもし?うん、元気にしてた?」
父親からの性的な暴行を受け、母親とも離れて介護施設に住み込みで働いている女の子だ。
「うん…、そうだね、それは勝手にしてはいけないことだから…、うん、結衣ちゃんの気持ちはわかるけど。わかった、私も一度そっちへ行って家族の方と話してみるから」
礼子は、そこまで話すとじゃあまたね、と電話を切った。
「結衣ちゃん、元気そうだったね」
「うん、頑張ってるみたい。おばあちゃんのことがあったから、余計にお年寄りに寄り添うことができるみたい。それで、相談されたんだけど…」
「何だったの?」
「死ぬ前にどうしてももう一度家に帰りたいと言ってるおばあちゃんがいて、その夢を叶えてあげたいんだけどって」
「あらま。ちょうどそんな話してたとこに?」
「そう。タイミングがすごい。それは置いといてと。家族に訴えるんだけど、誰も家に連れて帰ってくれないらしいのよ」
「寝たきりとかで介護が大変だからとか?」
「車椅子を使うことが多いけど、歩けないわけじゃないみたい。それに、1時間だけでもいいからって言ってるみたいなんだけどね。何が問題なのか、一度話を聞いて来るよ」
「うん、頑張って!」
そろそろ帰って晩ご飯の用意をしなきゃと、そこで別れた。
普段はめんどくさく感じる料理も、できるうちが幸せなんだと思う。
自分が食べたいものを食べたい時に食べることができる。
___そんなことが当たり前にできている今は、なんて幸せなんだろう?
この日は、夫が好きなおつまみを一品多く作った。
「おぉっ!俺の好きなもやし炒め!それも細もやしじゃん!やったね」
「ホント、パパの好きなものが低価格で良かったわ」
「最近、量もあまり食べられなくなってきたから燃費もいいぞ」
「はぁ、年取ったってことね」
「そういえばどうだった、写真。遺影撮るって言ってなかった?」
「うん、撮ったよ、そこでね…」
私は、写真館で見たおばあちゃんとその娘だろう女性とのやり取りを話した。
礼子の予想では、“服が気に入らないと言ってたのは家に帰りたいという気持ちだから”と言ってたことも。
「あー、そうか!施設に入るということは、家には戻れなくなる可能性が高いってことか。なんとなく、少しの間旅館にでも泊まるような感覚だったよ、そうだよね、うん、施設ってそんな感じだわ」
「なんかさぁ、さびしいよね?」
ごくごくとビールを飲んで、プハーッと吐く夫。
「でもさ、そんなこと今から考えても仕方ないよ。どんなに頑張ったって、多かれ少なかれ絶対後悔するもんだって。どこで折り合いをつけるか?だと思うよ」
「まぁね…」
「とりあえず、楽しめる時に楽しんでおこう、色々とね。乾杯!」
___私はこの人のこんなところが好きなんだ…
たまにマイナス思考になる私を、くいっと上げてくれる人、この人と結婚して良かったといまさらながら思った。