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スタートヽ(*^ω^*)ノ
今日もキヨは、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に揺られ、げっそりと魂を抜かれた様な 顔で会社に辿り着いた。
いつも通りの朝。
大量に届いているメールに大きなため息を吐く。
特別なことなんて何も起こらない――はずだった。
「それじゃ、朝礼始めるぞ」
課長が前に立ち、事務的な声で話し始める。
売上がどうとか、提出期限がどうとか、
キヨは半分ほど意識を遠くへ飛ばしていた。
「あと、今日から新しく配属になった子を紹介する」
その一言で、オフィス全体がざわつく。
「さぁ、前に出て」
前列の端から、ひょい、と一人の男が前に出た。
ラフな笑顔。少し軽そうな雰囲気。
スーツはきちんと着ているのに、どこか場違いなほど柔らかい。
「今日からお世話になります、レトルトです!」
鼻にかかるような明るい声。
「慣れないことも多いと思うけど、みんなでフォローしてやってくれ」
課長の言葉に、ぱらぱらと拍手が起こる。
レトルトはにこにこしながら頭を下げた。
そして、ふと。
視線が合った。
ほんの一瞬。
レトルトは嬉しそうに微笑んで、
意味深な視線をキヨに向けた。
(……なんだ、今の)
レトルトの視線のことは少しだけ気になったが、
仕事はそんな感情を待ってくれない。
気づけばキヨは山積みの資料に埋もれ、
数字と締切と上司の小言に囲まれていた。
午前中が終わる頃には、
朝の出来事なんてすっかり頭の隅に追いやられていた。
――そして、お昼休み。
キヨの日課は、会社の屋上でひとり静かにご飯を食べること。
人混みも会話もいらない、
風と空だけが相手の、短い休息の時間だ。
その日もいつものように屋上の扉を押すと、
ぱっと青空が広がった。
天気は快晴。
少し冷たい風が気持ちよくて、
キヨはベンチに腰を下ろし、弁当の包みを開く。
「……はあ」
自然と、息が抜けた。
この時間だけは 面倒なものを全部忘れられる。
――はず、だった。
『キヨくん、やっとみつけたー!!!』
背後から、やけに明るい声がした。
びくっと肩を跳ねさせて振り返ると、
そこには見覚えのある顔。
「え、な、なに……!?」
振り返るとその大声の主は 一直線にこちらへ向かってくる。
慌てて立ち上がったその瞬間だった。
――ぎゅっ。
突然、強い衝撃と共にキヨは抱きしめられていた。
『キヨくん、ずっと会いたかったよ』
あまりにも自然で、
あまりにも親しげな声。
キヨの頭が、一瞬で真っ白になる。
「はっ!? ちょ、な、なに――」
反射的にレトルトを引き離す。
思ったよりも強く押してしまったのか レトルトは少しだけよろけた。
「え? え? 誰!?
いや、ほんとに誰!?」
キヨは完全にパニックだった。
キヨは頭を抱えながら 必死に記憶を掘り起こす。
(落ち着け……落ち着け俺……)
“キヨくん”
その呼び方。
さっきから、やけに引っかかっていた。
苗字でも役職でもない、
昔から知っているみたいな距離感の呼び方。
――キヨくん。
胸の奥が、ちくりと疼く。
幼い頃。
まだ今みたいに”性”がややこしくなかった頃。
放課後、ランドセルを放り出して通っていた近所の公園。
ブランコ。
砂場。
夕方までボールを追いかけて遊んだ。
いつも一緒にいた、ひとりの男の子。
明るくて、ちょっと 距離が近くて
いつも名前を呼び合っていた。
でも――
親の転勤で、離れ離れになった。
別れの日、その子は泣きながら俺に言った。
『大人になったら絶対逢いに行くからね』
そう約束して俺の前からいなくなった。
(……まさか)
キヨは、恐る恐る目の前の男を見る。
柔らかい笑顔。
どこか懐かしい声の響き。
昔と変わらない、少しだけ悪戯っぽい目。
「あ……」
喉がひくりと鳴る。
「……レト……さん?」
その瞬間。
レトルトは、
子どもみたいにぱっと顔を輝かせた。
『やっと思い出した?』
その声は、
記憶の中と、ぴったり重なった。
懐かしさと、照れと、
言葉にできない何かが混ざった声。
キヨはしばらく言葉を失って、
それから、信じられないように呟いた。
「本当に…レト…さん?」
『うん!』
満面の笑み。
レトルトは少し声を落として優しく言う。
『会えて嬉しいよ、キヨくん。』
その言葉に、
キヨの胸が、ぎゅっと締め付けられた。
レトルトは嬉しそうに、もう一度キヨへ駆け寄り、
そのまま勢いよく抱きつこうと――
「STOP(止まれ)!!」
キヨの声が、屋上に響いた。
自分でも驚くほど大きな声だった。
その瞬間。
レトルトの動きが、ぴたりと止まる。
伸ばしかけた腕も、
一歩踏み出しかけた足も、
まるで時間ごと止められたみたいに。
驚いた顔で、レトルトはキヨを見つめていた。
“しまった”
そう思ったときには、もう遅かった。
屋上に、気まずい沈黙が落ちる。
心臓の音がやたらと大きく感じる。
レトルトはゆっくりと瞬きをして、
確かめるように口を開く。
『……今のって……コマンド…』
少し、声が震えていた。
『キヨくんって…サブだった…よね?』
その言葉に、
キヨの心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
視線を逸らしたまま、
しばらく何も言えずにいる。
言いたくなかった。
でも、否定もしきれなかった。
「大学の頃に……急に、変わってさ。
正直、俺もよく分かってない」
レトルトの表情から驚きが消え 一瞬で 抑えきれない高揚と、静かな興奮が混じったような顔に変わる。
『はぁ…/////…そうなんやぁ…////』
頬がほんのり赤く染まり、
口元が、ゆっくりとつり上がる。
低く、震える声。
嬉しさを隠そうともしていない声音だった。
キヨは、思わず一歩引いた。
「え……? いや、どういう反応……?」
完全に予想外だった。
レトルトは自分の胸元に手を当て、
深呼吸するみたいに一度、息を整える。
『俺、ずっとキヨくんのこと好きだったんやで?』
そう言って、レトルトは少し照れたように笑う。
でもその目は、隠しきれない熱を帯びていた。
『キヨくん、ドムだったらいいのになぁって、ずっと思ってたんよ。 さっきのコマンド……胸の奥、ぎゅってなっちゃった』
声は甘く蕩けるように、でもどこか真剣で。
『ねぇ、キヨくん…もっと命令して////』
その言葉は、甘えにもお願いにも聞こえた。
キヨは喉を鳴らした。
目の前のレトルトの“委ねるような視線”に、
今まで感じたことのない高鳴りが胸を満たしていく。
“支配したい”
そして、この人の不安も期待も、全部受け止めたい――
そんな衝動が、静かに背中を押していた。
この胸の高鳴りが、のちにキヨを振り回す恋の大騒動の始まりだとは、この時のキヨはまだ知る由もなかった。
続く