テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#復讐
草原草原(くさはらそうげん)

1,510
木風
791
#サレ妻
都築七美
1,141
「結衣は、渡しません」
真尋は、鍵を握ったまま言った。
「学校の冬休みの予定も、決まっています。二日は、私と、結衣の二人で過ごします」
敏子は、袋を下ろさなかった。
「あなた、何を言ってるの。孫が、おばあちゃんの家に正月に来るのは、当たり前でしょう」
「当たり前のことなら、恭平さんが私に直接言えばいいことです。恭平さんは、言っていません」
「恭平は忙しいの」
「お義母さん。結衣は、私が育てています。十二月七日からは、私一人で。預けるか預けないかは、私が決めます」
敏子は、袋を持ち直した。しばらく、何も言わなかった。
「じゃあ、二日に、来なさい。結衣を連れて。恭平の話を聞いてもらう。博さんも、恭平も、いる」
「恭平さんの話、ですか」
「あなたのためを思って言ってるの。親戚の前で恥をかく前に、身内の中で話をつけたほうがいいでしょう。二日の、一時」
真尋は、少し考えた。行かなければ、「嫁が来なかった」と言われる。行けば、敏子と恭平の家で、二人の話を聞かされる。博がいる。
「行きます。結衣と二人で」
敏子は、袋を真尋に押しつけるように渡して、駅のほうへ歩いていった。
袋の中には、結衣のパジャマと下着が、たたまれて入っていた。同居のあいだに、敏子が勝手に買ってきたものだった。
二十九日、月曜。事務所は、大掃除だった。
坪井が窓を拭き、大久保が給湯室の棚を全部出し、神谷が所長室の書類を年ごとに箱に詰める。真尋は、事務室の机の引き出しを、一つずつ拭いた。
誠一は、火曜ではないのに来ていた。和菓子の箱を置いて、掃除はせず、真尋の机の横に座った。
真尋の机の上に、家計簿のスキャンを綴じたファイルが置いてあった。調停に出す分を、年ごとに並べたもの。誠一は、それを一冊取って、開いた。
「真尋さん。これ、調停に出すのか」
「はい。内藤先生が、家計簿で全部答えられる、と」
「出すだけか」
「出すだけ、とは」
誠一は、ファイルを真尋のほうに向けて、机に置いた。
「帳簿は、書いた人間が読み上げるもんだ。読ませるな、読め。相手に読ませると、相手は読みたいところだけ読む。自分で読めば、全部読ませられる」
神谷が車の中で言った言葉と、同じだった。親父がそう言う、と神谷は言った。
「読んでみなさい。そのページ。声に出して」
真尋は、ファイルを見た。二〇二二年の十月。
事務室には、大久保と坪井がいる。坪井は窓を拭く手を止めている。
真尋は、読んだ。
「二〇二二年、十月。振込、二十八万円。前の月まで、三十三万円でした。食費、四万円。前の月まで、五万円」
声は、小さかった。
「それだ」
誠一が言った。
「数字を言うだけでいい。感想は要らない。『減らされた』も『ひどい』も要らない。二十八万円。前の月まで三十三万円。それだけで、聞いた人間が自分で引き算する。引き算をさせるんだ。自分で引いた数字は、人は忘れない」
「はい」
「もう一ページ」
真尋は、次のファイルの、秋のページを読んだ。「二〇二三年、十月。振込、二十八万円。仕送り、三万円。立替、三万円。パート代から口座へ、五万円」。声は、少し大きくなった。
大久保が、棚の皿を拭きながら、「聞こえるわよ、真尋さん。それでいい」と言った。
誠一は、老眼鏡を額に上げた。
「正月、行くのか。ご主人の実家に」
「二日に。義母に呼ばれて」
「読め。向こうで」
「はい」
誠一は、所長室のほうを見た。神谷が、箱に書類を詰めている。扉は開いていた。
誠一は、声を落とした。
「真尋さん。あいつは、金で人が壊れるのを、一度見てる。子どものときに。だから、あなたに紙を残せと言った。あいつなりの、言い方で」
真尋は、誠一を見た。
「それは」
「それだけだ。あとは、あいつが自分で言うことだ」
所長室から、神谷の声がした。
「親父。掃除」
「分かってる」
誠一は、ファイルを閉じて、真尋の机に戻した。それから、和菓子の箱を開けて、「真尋さん、先に一つ」と言った。
三十一日、水曜。
真尋は、結衣と年越しそばの支度をしていた。恭平は、来ない。何の連絡もない。
スマホが鳴った。井口からだった。
『真尋さん、ごめん、変なこと聞くんだけど。これ、旦那さんの会社の子? うちの旦那が、仕事の関係でフォローしてて、たまたま見たんだけど』
画面の写しが、一枚、ついていた。
瑠美の投稿だった。名前は、カタカナの短いもので、顔は写っていない。明るい茶色の髪の、後ろ姿。長い爪の手が、紙を一枚、持ち上げている。
『年明け、新居決まりました♡ ずっと欲しかった、お庭のあるおうち。来年から、三人で』
手に持った紙は、間取り図だった。
真尋は、画面を広げた。
一階。玄関を入って右に階段。左にリビング。リビングの奥に、六畳の和室。台所は、リビングの北側。
二階。二部屋。南に一つ、北に一つ。図の右下に、小さく『C-2』。
九年前、この家を買ったときの契約の書類に、同じ間取り図があった。右下に、建売の型を示す『C-2』。真尋は、その書類を、今も食器棚の上の箱に持っている。同じ型の家は、この区画に、ほかにも何軒かある。
「お母さん、年越しそば。お湯、沸いてる」
結衣が、こたつから呼んだ。
「うん。今、行く」
真尋は、スマホから目を上げた。
玄関を入って右に階段。左にリビング。リビングの奥に、六畳の和室。台所は、北側。
真尋は、今、そのリビングに立っていた。
和室の戸は、開いている。結衣が、こたつに入って、テレビを見ている。
真尋は、間取り図の和室の位置と、自分の家の和室の位置を、もう一度、見比べた。
同じだった。
コメント
1件
うわ…間取り図、まさか同じだったんか…。それが“新居”って投稿されてる時点でもう嫌な予感しかしないし、真尋が今立ってるリビングそのまま瑠美に写し取られてるみたいで、すごく気持ち悪かった。 家計簿を声に出して読めって誠一さんのアドバイス、めっちゃ刺さった。「引き算させるんだ」って言葉に、戦い方の本質がある気がした。真尋、絶対に負けないでほしい。 それから「結衣は渡しません」って敏子に言い切ったところ、本当に強くてかっこよかった。真尋の覚悟がひしひし伝わってくる回だった…次どうなるんだろう、すごく気になる。