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鬼霧宗作
橘靖竜
るしゅ
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被害者の看護師が勤務していたのは、都内でも有数の規模を誇る総合病院だった。白く無機質な廊下を歩きながら、私は隣を歩く男の横顔を盗み見た。いつもなら通りすがりのナースに軽口の一つでも叩くはずの柊さんは、今はただ、硬い表情で前だけを見つめている。
「……あ」
ナースステーションの前を通り過ぎようとした時、一人の女性医師が足を止めた。眼鏡の奥の聡明そうな瞳が、驚きに揺れる。
「……柊さん? 柊さんなの?」
「……久しぶりだね、有沢先生」
柊さんはわずかに足を止め、重い溜息をつくようにそう応えた。
「南さん。彼女は有沢先生だ。……かつて、僕の婚約者——澪の友人だった人だよ」
柊さんの紹介を受け、有沢先生は私に短く会釈をすると、すぐに痛ましげな表情で彼を見つめた。
「さっき警察の方から連絡がありました。今回の事件……注射痕があったそうね。……また、あの時と同じことが起きたの?」
院内の一角にある談話室。有沢先生は、二十年前のあの夜の話を、震える声で語り始めた。彼女こそが、柊さんの人生を狂わせたあの事件の、もう一人の被害者であり、唯一の生存者だった。
「あの日、私と澪は、澪の自宅で二人きりで過ごしていたの。仕事の愚痴を言い合って、他愛もない話をして……いわゆる女子会ね。……そこへ、あの男が乱入してきた」
男の名は斉藤、以前病院に通っていた患者だったという。澪さんに執拗な執着を見せ、ストーカー行為を繰り返していた男だ。
「男は何か、喚き散らしていたわ。……手に持っていたのは、大きなレンチのような工具。私たちは必死で抵抗した。……澪は勇敢だったわ。男に馬乗りになられても、爪を立てて皮膚をむしり取って……現場には男の血や、澪の爪に残った皮膚片が、証拠としてはっきりと残されていた」
だが、二人の抵抗は虚しく、男の暴力に屈することになる。
「殴られて意識が朦朧とする中で、私たちは……注射を打たれた。……後から分かったことだけど、強力な麻薬だった。男は重度の薬物依存症だったの」
そこで私は、一つの疑問を口にした。
「……殴り殺すのではなく、なぜ中毒死させようとしたんでしょうか。怨恨や、ストーカー殺人なら、もっと直接的な方法をとるはずでは?」
「……それが分からないの。男は自分の愛を証明したかったのか、あるいはもっと別の目的があったのか……」
結局、その夜、澪さんは命を落とし、有沢先生だけが奇跡的に一命を取り留めた。しかし、現場に完璧なDNA証拠を残しながらも、その男は煙のように姿を消し、今日まで行方は分かっていない。
「……二年よ。あの男の行方は、誰も知らない。なのに、また同じ手口の遺体が出た。……柊くん、これは偶然じゃないわ」
有沢先生の言葉に、柊さんは答えなかった。
ただ、窓ガラスに映る自分の影を、憎しみのこもった瞳で見つめていた。その視線の先には、二年間止まったままの、血塗られた針が揺れていた。