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捜査本部に激震が走った。鑑識から上がってきた最新の報告書を握る私の指先が、微かに震えていた。
「……指紋は一点も検出されませんでした。ですが、現場に残されていた数本の毛髪、そして被害者の衣類に付着していた微細な皮膚片から採取されたDNA……。これが、二年前の事件の証拠資料と完全に一致しました」
犯人は、あの斉藤だった。
二年前、柊さんの婚約者である澪さんを殺害し、有沢先生を死の淵に追いやった男。現場にDNA証拠を、まるで「自分がここにいた」と誇示するかのように残しながら、煙のように消え失せた亡霊。
「……おかしい。これだけの証拠があるのに」
私はデスクに並べられたモニターを睨みつけた。斉藤の戸籍、銀行口座、携帯電話の履歴、近隣の防犯カメラの映像——。私は一課のあらゆるリソースを駆使して、この斉藤という男の行方を追った。だが、結果は惨憺たるものだった。
彼は二年前のあの日から、この社会から完全にログアウトしている。生きている人間が必ず残すはずの生活反応が、何一つ見当たらない。まるで、証拠だけをこの世に残し、実体は別の次元にでも身を隠しているかのようだった。
司法解剖の結果、被害者の看護師の死因も判明した。直接の死因は、強力な麻薬の過剰摂取による呼吸停止——いわゆるオーバードーズ。へそから注入された薬物が、瞬く間に彼女の命を奪っていた。
「……二年前と、全く同じ手法だ」
私の隣で、柊さんがいつになく低い声で呟いた。彼は窓の外、きらびやかな夜景を、憎しみのこもった瞳で見つめている。
「犯人は、殺すこと自体を楽しんでいるわけじゃない。……この毒によって相手を無力化し、意識を奪うそのプロセスに執着しているのか。斉藤という男の歪んだ愛の形なのか、それとも……」
指紋一つ残さず、しかしDNAという「名刺」だけは確実においていく。この矛盾した犯人像に、私の刑事としての直感が警鐘を鳴らしていた。単に逃亡しているのではない。誰かの手によって徹底的に管理されているか、あるいは、私たちが想像もできないほど精巧な嘘の中に溶け込んでいる。
「……探し出しますよ、柊さん。DNAが残っているなら、この世に実体があるはずです」
私の言葉に、柊さんは答えなかった。
斉藤という男の影を追えば追うほど、私たちは底なしの泥沼に足を取られていくようだった。二年前の事件で現場に残されたDNA。そして今回の事件でも、同じ男の毛髪が発見された。
だが、現実の斉藤はこの世界のどこにも存在しない。銀行口座も動かず、防犯カメラにも映らず、まるで空気に溶けてしまったかのように足取りが途絶えているのだ。
深夜の捜査本部で、私は資料の山と格闘していた。ふと、鑑識から回ってきた今回の現場写真の一枚が目に留まる。被害者の看護師が倒れていた床に落ちていた、数本の毛髪。
「……ねえ、柊さん。これ、変だと思いませんか」
隣でパイプ椅子に深く腰掛け、虚空を見つめていた柊さんが、微かに眉を動かした。
「何がだい。僕には、無能な警察を嘲笑う亡霊の忘れ物にしか見えないけれど」
「証拠が綺麗すぎるんです。二年前、斉藤は澪さんに激しく抵抗されたはずですよね。馬乗りになって、爪を立てて。でも、今回の現場はどうです? 争った形跡はほとんどない。それなのに、二年前と同じような皮膚片や毛髪が、まるで見つけてくれと言わんばかりの場所に落ちている」
私は、以前の事件の証拠写真と、今回のものを並べた。
「DNAは、斉藤がそこにいたことを証明しています。でも、彼の意志が感じられない。……まるで、誰かがピンセットで丁寧に配置したような違和感があるんです。それに、有沢先生が言っていたレンチのような工具。それによる打撲痕は今回、一つもありませんでした。死因はあくまで、巧妙に隠された場所への薬物注射。……手口が、進化しているというより、洗練されすぎている気がしませんか」
柊さんがゆっくりと立ち上がり、写真に顔を近づけた。彼の瞳が、いつになく鋭く細められる。
「……南さん。斉藤が病院に通っていたことは知っているね?」
「ええ、二年前の事件の直前まで、有沢先生の勤める病院の外科に通院していた記録があります」
「病院という場所は、人間の体の一部を合法的に保管できる場所だ。血液、組織、毛髪……。もし、それらが適切に破棄されず、誰かの手元に残されていたとしたら?」
柊さんの言葉に、背筋が凍りつくような感覚を覚えた。
「……まさか、斉藤のDNAを持っている人間が犯人だと?」
「それを使えば、誰でも斉藤になりすますことができる。……さあ、南さん。君の得意な、地道な裏取りの時間だ。病院が管理していた、過去の検体や廃棄物の記録。そこに管理ミスがないか、洗練された君の目で暴いてほしい」
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鬼霧宗作
橘靖竜
るしゅ