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鳥居の横に設置された献灯台の明かりが、次第に捌けてゆく人足を、ぼんやりと見送っていた。
的屋の衆もぼちぼち店じまいを始め、境内のあちこちに味気のないブルーシートが目立つようになった。
 「お疲れさん」
 「うん。 お疲れ」
 肩をポンと叩く幸介に応じ、スマホをポケットに仕舞う。
 そこへ、何やら両手いっぱいに飲み物を抱えたタマちゃんが、ホクホク顔で駆け寄ってきた。
 「乗り切ったね? みんな頑張った!」
 「お疲れさま。 どうしたのそれ?」
 「さっきおっちゃんがくれたんだよー、そこのお店の。 どれがいい?」
 よく冷えた缶ジュースを受け取り、ゴクゴクと呷る。
 緊張していた所為か、暑さはそれほど感じなかったけど、喉はカラカラに渇いていたようだ。
 「結桜ちゃんたちは?」
 「うん。 さっき」
 警備解除を伝えた際、安堵の声と共に、労をねぎらってくれた二名である。
 重ねて深謝を施し、通信を終えたのがつい先ほどの事だった。
 「さっきの雨、マジでヤバかったよな?」
 「ね? ホントに焦った」
 「すぐ止んで良かったよねー」
 あれはちょうど、明戸さんの神楽舞いが終わり、提灯行列が出発しようかという矢先のことだった。
 この辺り一帯、急な雷雨に見舞われたのである。
 幸いにも、ながく降り続くようなことは無く、体感としては数分程度の通り雨だった。
 この時季だとそれほど珍しい事でもないし、昨今のお天気事情は推して知るべしといった具合で、目立った混乱は起きなかった。
 あとで聞いたところによると、ああいった空模様はむしろ、当の神事においては歓迎されるものらしい。
 この神社の御祭神が、言わずと知れた水の神さまという所以だろう。
 ともあれ、あれがあの女神の粋な計らいだったのかは定かでない。
 「みんなお疲れさま」
 「つー姉ちゃんカッコ良かったよ!」
 「えぇ………? うん、ありがとー」
 本式の巫女装束をつけた明戸さんが、こちらへサクサクと歩いてきた。
 スラリとした彼女のスタイルに良く似合っているし、持ち前のふんわりとした雰囲気が、神聖な気配と程よく調和を果たしている。
 老若男女を問わず、誰にとっても親しみやすそうな巫女さんだ。
 「お疲れさま。 とりあえずだね?」
 「うん。 あと一日」
 コクリと頷いた彼女は、タマちゃんから手渡された缶ジュースのプルタブをぷしゅっとやった。
 明日は本宮。 いわば、お祭りの本番にあたる。
 “兜の緒”の物喩えではないが、まだまだ気を抜くことは出来ないなと思いつつ、二人のもとへ目を向ける。
 本日、私たちの視線による、ありったけの集中砲火を浴びた父娘である。
 現在は明戸家の玄関先で、どうやら明日の打ち合わせをしているらしい。
 明戸さんパパの姿も確認できる。
 こちらに気づいたほのっちが、小さく手を振っているのが見えた。
 同じように応じた後、ふと思い立って。 というか、そこで初めて足が棒になっていることを知って、私はひとまず地面の具合を指先でたしかめた。
 お誂え向きな、拝殿前《はいでんまえ》の石段だ。
 「あ、もう乾いてる」
 「やっぱりこの時季はねー」
 「つづらちゃん、それ汚れたりしねぇ?」
 「大丈夫だよ? いっぱいあるから」
 そろって腰を下ろし、境内の様子をしんみりと打ち眺める。
 神紋入りの法被を着た氏子衆の姿は、もうどこにも見当たらない。
 賑やかなお囃子が、まだ耳の奥で微かに鳴っているような気がした。
 あれだけ混み合った参道も、今や人影は数えるほどしかなく。 そんな彼らも、時を経ず鳥居の向こうへ歩き去っていく。
 今朝からずっと、この催しに携わっていた所為か、祭りのあとの静けさが、胸の中ほどに一際切ない情感を呼び込んだ。
 「………結桜ちゃんたち、遅いね?」
 タマちゃんがポツリと言った。
 「直で帰ったとか? ほら、神社は緊張するって」
 幸介が何気ない調子で応じた。
 「そっか………。 そんなの気にしなくていいのにね」
 明戸さんが小さく息をついた。
 各々、祭りのあとの物悲しさに引かれてか、どことなく放心しているようだった。
 一度、結桜ちゃんたちに連絡を入れてみようかと、私がポケットに手を伸ばしたその時だった。
 「お逃げください!!!」
 片耳につけたイヤホンから、切羽詰まった様子の大音声が聞こえた。
 果たして、幼なじみたちも同じ目に遭ったらしく、それぞれ顔を顰めて、片方の耳を押さえている。
 事態が呑み込めないまま、兎にも角にもスマホを取り出したところで、それは聞こえてきた。
 曲調からして、わらべ唄だと思う。
 聴いたことのない唄だ。
 歌っているのは、子どもだろうか?
 「………………」
 徐々に歌声が鮮明になるに従って、疑問が不審に変わった。
 これは本当にわらべ唄か?
 子供が歌い遊ぶには、歌詞がすこし陰惨すぎる気がする。
 大半が古語で構成されており、そのうえ訛りがキツいので、細かな部分までは分からないが、大意は概ね、こんな感じだと思う。
 “稲を刈って腹が減った。 余分な実を捥いで腹が膨れた。 ある日、親が泣きながら鎌を持ち出した。 米が増えた。 実は減った。 鎌を造った鍛冶屋は誰か? 鎌を造った鍛冶屋は誰か?”
 「………………っ」
 途端に、全身の毛が逆立つような恐怖と嫌悪感に見舞われた。
 この唄が歌われた時代背景が、薄っすらと垣間見えた気がしたのだ。
 考えてはいけない。 深く考えてはいけない。
 そう念じつつ、声の出処をゆっくりと目で追いかける。
 瑞垣の向こうをじわじわと通過し、鳥居の近くへ躙り寄ってくる。
 「………結桜ちゃん?」
 「ここに!」
 震える手でスマホを口元にやったところ、いきなり頭上から当人が降ってきたものだから、思わず腰を抜かしそうになった。
 しかし、その様子が尋常じゃない。
 小さな手に太刀を握り、身辺に無数の狐火を配っている。
 完全に臨戦態勢だ。
 異変に気づいたのか、友人たちがこちらに駆けてくる気配がした。
 「琴親!」
 結桜ちゃんの鋭い声に応じ、東側の杜から飛び出した孤影が、父娘の行く手を遮り、その進行を押し止めた。
 「裏手からお逃げください………っ」
 ギリギリと歯噛みしながら唱える背中に、「あいつ………?」と、躊躇いがちに投じる。
 片方の腕に、タマちゃんがキュッと縋りついてきた。
 「思い違いをしていました。 あれはいけない………」
 「どういうこったよ?」と幸介が問う。
 逡巡した結桜ちゃんは、この事態が如何に深刻なものか、簡潔な言葉で伝えてくれた。
 「あれは、そんじょそこらの刀霊ではありません」
 抑揚のない声で紡がれたわらべ唄は、いつの間にかピタリと止んでいた。
 鳥居の真下に、小さな人影がある。
 結桜ちゃんよりもさらに小さい、まさに童そのものだ。
 肩に担いだ抜身の一刀が、身の丈をわずかに上回っていた。
 その矮躯には、形式の定かでない和服を装っている。
 いや、和装かどうかすら判然としない。
 強いて挙げるなら、中古代の直衣が一番近いか。
 仕立ての方も独特で、ある箇所には見窄らしいボロ切れを宛てがい、ある箇所には目の覚めるような錦紗を用いている。
 その混沌《こんとん》具合はまるで、先のわらべ唄が歌われた当時の、狂いに狂った世相を如実に物語っているようだった。