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天気の良い昼下がり。特にやる事の無い僕は、牧場を囲っている柵に腰掛けてぼんやりと空を眺めていた。雲がゆっくりと流れる穏やかな青空。肌を擽る風が心地よい。遠くから牛の鳴き声が聞こえてくる。のどかだなぁ。
兄たちは湖に遊びに行っている。一応僕も誘われたけど丁重にお断りさせて貰った。クレハも一緒だったらボートに乗ったり、釣りをしたりで楽しかっただろうけど……
「クレハは今頃何してるかな」
溜めた宿題を家庭教師に怒られながら一生懸命片付けているんだろうか。それとも体力作りとか言って、また庭中走り回ってるのかな。頭の中に幼馴染の顔が浮かんできて、結んでいた口元が自然と緩む。
「エストラントに帰ったらクレハにあの事を詳しく聞かないと……」
カフェ『とまり木』のセドリック・オードラン……将軍の息子でレオン殿下の最側近。クレハは彼の本当の肩書きを知らなかった。そして、彼自身もそれをワザと隠していたように見えた。クレハに知られるとまずい理由でもあったんだろうか。
レオン殿下の側近……。父さんが最近忙しそうにしていたのも、確か殿下絡みだったな。その時からなんだよね。嫌な予感がするのは。自分で言うのもなんだけど、こういう時の僕の勘は当たる。僕にとってとても良くない出来事が起こりそうな気がして落ち着かない。せっかくのんびりする為にルクトへ来たというのに……
こちらに来て今日で4日目。予定ではあと数日滞在することになっているが、こんなに早く家に帰りたいなんて思うのは初めてだ。
悶々とした気持ちで考え事をしていると、目の前の農道を歩いてこちらに向かってくる人影が目に入った。ここからはまだ距離があるので顔や性別は分からないけど、何だか様子がおかしかった。足元がおぼつかず、今にも倒れてしまいそうだ。腰掛けていた柵から降りて、その人に向かって行こうとした。その時――――
その人物は地面に崩れ落ちるように倒れてしまった。僕は急いでその場から走って駆け寄る。
倒れていたのは僕よりいくつか年上であろう少年だった。体格は細身で明るい茶髪。身なりもちゃんとしているし、そこそこ裕福な家の子供だろう。少年の肩を軽く叩きながら呼びかけた。こういう時は無闇に動かさない方がいいと聞いたことがあったからだ。
「おい、大丈夫か!」
「うっ……あっ……」
少年は僕の呼びかけに反応した。視線をこちらへ向ける。良かった……意識はあるようだ。血も出ていないし、見える範囲に大きな怪我をしているわけでもなさそうなので、ひとまず安心する。
「どうしたんだ? どこか具合が悪いのか」
「は……」
「は?」
「腹減った……」
「いやぁ、今度こそ死んだかと思ったけど、オレってばツイてるね。危ない所を助けてくれてありがとな」
空腹で行き倒れになった少年を木陰まで引きずっていくと、おやつに食べようと思って持参していたクッキーとミルクを与えた。彼はそれらを貪るように全て平らげ一息つくと、襟を正して自己紹介を始めた。
「オレはエルドレッド。ニュアージュから各地を色々回って旅をしてるんだ。気軽に『エル』って呼んでくれ」
「僕はカミル。カミル・クラインだよ。ニュアージュって……随分遠くから来たんだね」
ニュアージュといえば、コスタビューテから西へ海を渡って反対側に位置する国だ。僕とさほど歳も変わらないだろうに、そんな所からたった1人で旅をしているのか。
「オレの実家の方針でね。可愛い子には旅をさせよってヤツ? 旅先で得た経験や苦労は将来絶対に役に立つ。自分の目で見て学んで見聞を広めろってさ。オレ後継ぎだから」
「へー……そりゃ立派な事だけど、何でそれが腹が減って行き倒れになるんだよ。キミは良家の子息なんでしょ。まさか無一文で放り出されたわけでもないだろうに」
「良いとこの坊ちゃんっていうならそっちだってそうだろ。お前ひょっとして、クライン公爵家の人間か?」
「そうだけど。父はフランツ・クライン。僕はその二番目の息子だよ」
「驚いた……確かにこの辺りはクライン家の領地だけど、まさか領主の息子に会えるなんてな。オレはつくづくこの国の公爵家と縁があるらしい」
「縁?」
僕が怪訝な表情をしていると、エルドレッドは少々言いづらそうに吃りながら話しだした。
「えっとな……オレがルクトへ来たのは、つい先日でね。その前はエストラントにいたんだけど、実はそこで財布を落としてだな。路銀を全部無くしちゃったんだよ」
「嘘でしょ……旅先で財布無くすとか致命的じゃん」
「はは……ごもっともで。4ヶ月位前の話だけどな。さっきの様に空腹でふらふらしてる所をジェムラート家の人に助けて貰ったんだ。名前はジェフェリーさんっていうんだけど、黒髪で背の高い若い庭師の……知ってる?」
「ジェムラート家!」
「おっ、やっぱり知ってるか。ジェフェリーさんは屋敷の厨房から食べ物を分けて貰ってくれたり、日雇いの仕事まで紹介してくれてね。物凄く世話になったんだ。残念ながら、巷で噂の美少女姉妹を見る事はできなかったけどな」
「噂って……」
出たがりのフィオナ様はともかく、クレハまで噂になってるのか。そりゃ、クレハも別に引き篭もりってわけじゃないけど……。特に最近はケーキ屋に通ったりして町中をうろうろしてるからそれが原因だろうな。
「なんとか当面の旅費は稼ぐ事ができたから、エストラントを出発して次の目的地へ向かったんだけど、そこでオレに悲劇が訪れた。まさか……また財布を紛失するなんて……」
「はっきり言っていい? バカだろお前」
「返す言葉もない……本当に迂闊だった」
つまり二度財布を無くして、二度行き倒れになったということか。こんなドジでこの先大丈夫なんだろうか……いや、よく今まで無事だったものだ。悪いことは言わないから、今からでもお付きの人間を同行させた方がいいとコイツの家族に進言したい。
「あっ、そうだ。助けてくれたお礼ってわけじゃないけど、ちょっとした余興を見せてやろう!」
そう言ってエルドレッドは立ち上がると、瞳を閉じて何やらぶつぶつと呟いた。すると、どこからともなく黄色の光の玉が現れ、勢いよく周囲を飛び回った。
「何だこれ……鳥?」
それは小さな鳥のような形をしていた。黄色の光る鳥は徐々に速度を落として、僕たちの頭上をぐるぐると回り出す。下からそれを見上げていると、頬にぴしゃりと何かが落下した。指でそれを拭い取る。
水だ……
上空から水の粒がまるで雨が降っているかのようにぽつぽつと降り注いだ。辺りを見渡すと、雨が降っているのは僕たちの立っている場所だけだった。空は相変わらず晴れたままで、雨が降る気配などは全くない。あの鳥がこの水を降らせているのだろうか……。1分にも満たない短い間だったけれど、僕はその光景に見入ってしまった。そうかこれが……
「魔法だね! 凄い、初めて見た」
「ジェフェリーさんの時はこれで花の水やり手伝ったんだ。あの人も驚いてたな……やっぱりコスタビューテでも魔法使いは少ないんだね」
「ジェフェリーさんの前でもやったのか?」
以前リズがジェフェリーさんの事を魔法使いだと言っていたけど、これをたまたま見て勘違いしたんじゃないだろうか。時期的にも一致している。変だと思ったんだよな。うちの国の魔法使いはその全てが王族や貴族に集中してる。父さんからも魔法の力の有無は血筋が関係しているのだと聞かされていたからな。ジェフェリーさんが実はどこかの貴族という可能性よりも、よほど納得できる。
「どうした? ジェフェリーさんに見せたらマズかったか」
「いや、違う。ちょっと疑問に思ってた事の答えがわかってスッキリしたんだよ」
この行き倒れ男が魔法使いだったなんて……。コスタビューテと同じく数は少ないみたいだけど、やはり使える人間には条件が有って、誰でもというわけにはいかないのだろうな。
「それはそうと、カミル坊ちゃん。迷惑ついでに頼みがあるんだけど、何か仕事を紹介してくれないか? さっき言った通りオレはいま一文無しなんだ。食事は勿論、このままじゃ旅を続ける事ができない」
領主の息子ならツテがあるのではとの事だが、僕はルクトへは遊びに来てるだけで普段はエストラントにいる。領地を管理しているのは叔母夫婦だしなぁ。
「一応叔母さんに聞いてはみるけど、あんまり期待しないでよ。事情を話したら都合付けてくれる可能性はあるから、この後一緒についておいでよ。叔母さんに会わせてあげるから」
「助かる! 本当にありがとう」
エルドレッドは僕の手を両手で握りしめ、ブンブンと振り回す。見た目ひょろい癖に結構力が強いじゃないか。これなら力仕事とかでも大丈夫そうだな。
「タイミングが良ければジェムラート姉妹の姉さんの方、フィオナ様に会えるかもよ。いま僕たちと一緒にルクトに来てるから」
「マジで!? そっか、そういえば姉さんはお前の兄さんと婚約してたんだったな。妹の方もこの前王太子との婚約が決まったそうだし、やっぱり身分の高いお嬢様は小さい頃から相手が決められちゃう事多いんだな」
……今なんて言った、コイツ。
「ねぇ……僕の聞き間違いだと思うんだけど、もう一度言ってくれない? 誰が誰と婚約だって」
「え? お前の兄さんがフィオナお嬢様と」
「そっちじゃない!! 妹の方! クレハ・ジェムラートだよ」
「もしかして知らなかったのか? ジェムラート家の次女が王太子……レオン王子との婚約が正式に決まったんだと」
「知らない。どこの誰がいつそんなこと言ってたんだよ」
「睨むなって……お前怖いよ。エストラントを出発する直前に、ジェフェリーさんに挨拶をしにジェムラート家にもう一度行ったんだよ。それで、その時たまたま聞いたの。そうか……発表されたの4日前だもんな。まだルクトまで情報回ってないのか」
クレハが殿下と婚約だって? そんなの今まで噂ですら聞いた事が無い。どうして急にそんな話が出て来たんだよ。きっとジェフェリーさんが妙な勘違いしてるに決まってる。しかし、火のない所になんとやらだ……そう思う様な何かがあったのだろうか。
最近の父さんの様子や、殿下の側近であるセドリック・オードランとクレハの関係。この話が事実であると裏付けするような『思い当たること』が浮かんできてしまい、ふるふると首を振った。とにかく真偽を確かめないと……僕はエルドレッドの腕を掴んだ。
「おいっ……今度は何だよっ」
「叔母さんの家に帰るんだよ。婚約が事実なのかはっきりさせる。キミの証言だけじゃ到底信じられないからね」
僕は掴んだエルドレッドの腕を引っ張りながら、農道を早足で進んでいった。