テラーノベル
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さわさわと、柔かい風が木々ゆする。どこからか甘い香りが漂う。これは菓子の香り?違う、花の香りだ。
なんの花かと瑠華が鼻をひくつかせていたら、同じ部屋にいる高緒が、唄うようにこんなことを呟いた。
『唇と唇を合わせたら、言葉にしなくてもわかるもんだねえ』
時々高緒は、突拍子もないことを口にする。
この前は、困ったときは「初めてなんで、上手くできるかわからない」と言えばいいと言っていた。どちらも、使い方がよくわからない。
『何ですか、それ?』
瑠華が振り返った先には、花が綻ぶような高緒の笑顔があった。それは、お座敷で見せる完璧な微笑とは違う、こちらまで幸せになれるそんな笑顔。つられて、瑠華も笑顔になる。
『うふふ』
『えへへ』
二人で意味もなく笑いあう。
今は昼見世と夜見世の間の中休み。瑠華は高緒の衣をたたみ、高緒は瑠華の簪を選んでいる。太陽は西に傾き始め、二人っきりの部屋を橙色に優しく染めている。
こんな穏やかな日が来るなんて思ってもみなかった。それが嬉しくて、でも少し不安で、瑠華は猫のように高緒にすり寄る。
『高緒姐さま、さっき言ってたことって本当?』
二人っきりの時は郭言葉を使わない約束。だから、わからないことは、素直に口にできる。
『ああ、そうさ。想いを伝えたいときはこれが一番さ』
そう言って高緒は、白くて細い指先を瑠華の唇に当てた。どうもいまいち、意味がわからない。
『……そういうものなのですか?』
首を傾げながらも、瑠華は決心する。それは、とても便利なものだ。絶対に覚えておこうと。
ふんすっと鼻息を荒くした瑠華に、高緒は声をあげて笑った。
『ふふっ。間違いないよ。どうしても言葉にできなくて、もどかしいと思った時にやってみてごらん。きっと伝わるよ』
そう言って艶やかに笑う高緒につられ、瑠華も再び、えへへと笑った。
いつか、私も言葉にできない想いを伝える日が来るのだろうか。その想いとはどんなものだろう。悲しいのか、辛いのか、それとも、嬉しいものなのだろうか。
期待と不安を抱えたまま月日が流れ、高緒はとうとうそれを使う時が来た。
雄斗に結界の修復を望んでいないのかと問われ、すぐに否定することができなかった。瑠華はあの箱庭のような世界には二度と戻りたくなかったから。
充芭と、ずっと一緒にはいれないこともわかっていた。彼は瑠華にとって、ほんのひと時、傍にいてくれて、温もりを与えてくれただけの存在。充芭には充芭の望みがある。
瑠華はずっと、充芭が自分を通して別の人を見ていたのを知っていた。
だから、遅かれ早かれ別れが来ることを覚悟していた。そして別れが来たら、あの人とは二度と会えないことも。
けれどそれを雄斗に言葉で伝えるのは、とても難しかったから、高緒の言う通りに唇を合わせてみた。
今、自分が傍にいてほしいのは、雄斗さんであって、あの人ではない。自分が探していたのは雄斗だということを。
その結果、見事に失敗に終わった。
「……姐さまの、嘘つき」
霧雨の中、瑠華は裸足で横浜の街を歩いながら呟いた。
横浜の地理は、百日紅の館で過ごしている間に、だいぶ詳しくなった。不安はない。瑠華の足は、しっかりと目標の場所へと進んでいる。
歩を進めながら、瑠華はさっきの雄斗とのやり取りを思い出す。
胸の傷を見る前からすでに、瑠華は雄斗を選んでいた。
今にして思えば、魔祓師かどうかなんてどうでも良かったのだろう。充芭はただ単に、そう簡単に死なない人を選んだだけ。選んで直ぐに、いなくなってしまわないように。
瑠華は雄斗の胸に傷があり、魔祓師と知ってすごく嬉しかった。
これでいいよと背中を押してもらえたようで、嬉しくて嬉しくて──あの広い胸に、全てをあずけてしまいたかった。
でも、雄斗は違った。選んだのは瑠華だけれども、差し出したものを受け取るかどうかは、雄斗が決めることだったのだ。
雄斗には、雄斗の生き方がある。瑠華の自分勝手な都合で、彼を縛ることなんてできない。
なのに瑠華は彼の意思を確認することもせず、なんの説明もしないで一方的に選んでしまった。
狡いことをした。瑠華はこの選定において、雄斗が何も知らないことをいいことに、卑怯で最低なことをしてしまった。
けれど、瑠華はどんな手を使っても、雄斗との絆が欲しかった。言葉だけではなく、確固たる切れない絆を得たかった。でもそれは、独りよがりの我儘でしかなかった。
「……ごめんなさい」
そう呟いた瞬間、涙で瑠華の視界が滲む。これは後悔と、憂慮の涙だ。
(……それでも……それでも)
ちゃんと伝えよう。拒絶されたら消えたいくらい辛い。もうどれだけ辛いか想像できないくらいに。
そうされた時のことを考えると、不安で胸が押しつぶされそうになる。またあの日と同じように、突き放されてしまうのだろうか。
瑠華は歩きながら、胸に手を当てて唇をかみしめる。
『ここでお別れだ』
二度と聞きたくない言葉を、再び耳にしないといけないのだろうか。
#怪異
41
#ハッピーエンド
当麻月菜
912
ヂ二ヂ二
15
コメント
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第31話、読み終わりました……。高緒と瑠華の穏やかな時間から一転、瑠華が雄斗に唇を合わせた場面の衝撃と切なさがじわじわ来ました。あの「姐さまの、嘘つき」という呟きに、彼女の後悔と不安が全部詰まっていて、胸がぎゅっと締めつけられました。それでも「それでも」と歩き続ける瑠華の強さに、心から応援したくなります。雄斗の選択も気になるし、続きが待ち遠しいです……!