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萩原なちち
「……くぅ~っ!」
心臓がぎゅうぎゅう鳴っている。向こうが俺に気があるのはわかってる。……わかってるけど、相手はあのいっちゃんだ。しゅうとは俺の前でこそ適当にあしらっていたけれど、陰では「クールで面白い」なんて褒めていたのを、俺は聞き逃していない。
ましてや今夜は、いっちゃんがお持ち帰りする気満々で……。
……いや、ダメだ。考えすぎはメンタルに悪い
俺は震える指で、できるだけ重くない、スタンプ一つで終わらせられるような言葉を練り上げた。
『今日はお疲れ様。楽しかった。来週も楽しみにしてるね。』
本当は「無事に帰れた?」とか「いっちゃんに捕まってない?」とか、未読無視が怖いくらいにメッセージを詰め込みたい。でも、そんな余裕のない男だと思われたくない。
「……まじかよ、」
送信した直後、スマホが跳ねるように震えた。
画面に躍り出たのは、**『僕とだいきさんです』**という心臓に悪いメッセージと、一枚の写真。
白い棚の上に、ちょこんと寄り添うように並べられたカワウソとサメの小さなぬいぐるみ。
「……っ、無理っっっ」
可愛すぎて、語彙力が溶ける。
「大好き!!可愛すぎる!!」なんて即レスしたい衝動を、なんとか「余裕のある男」のプライドで抑え込む。まだ会ったばかりだ。ゆっくり、大切に育てていくって決めたんだから。
『2つ並べたかったからそれにしたの?』
『はい、カワウソの大きいぬいぐるみがなかったので』
『あったら可愛いかもな、規格外のカワウソ(笑)』
『会社に企画書出してください。プレゼント企画とかで』
『キャラ化するのもいいかもね。受付2人をカワウソのキャラにして』
『ミレイはオコジョによく似てるって言われてます。オコジョとカワウソのキャラでいきましょう』
「……ふふっ、かわいい」
思わず口元が緩む。……けれど、その直後。
俺の脳内に、冷や水のような違和感が走った。
「……ミレイ……?」
カレンちゃんの姿の時は気にならなかった。でも、あんなに至近距離でいつも一緒にいて、さらっと「呼び捨て」。
……ただの仕事仲間、なわけないよな?
「……だめだ、落ち着け俺」
一度「好き」だと自覚してしまったら、あらゆるノイズが気になって仕方ない。
関西支社でモテすぎて逃げてきたくらいの逸材だ。昨日から、社内の女共だって放っておくわけがない。
会社に入ってすぐの受付で、あんなに可愛い男の子に「おはようございます」なんて笑顔を振りまかれたら——。
「……ざわつかない奴なんて、この世にいねーだろ」
『まぁ、ただの営業にそんな権限ないんだけどね』
あえて突き放すような冗談で会話を切り、俺はスマホの電源を落とした。
これ以上入れ込んだら、自分が持たない。
いつきくんを想い続けた8年間。やっと彼が独りになったと思ったら、俺はもう30で。若くて眩しいライバルに勝てる要素なんて、何ひとつない「ただのおじさん」になっていた。
もし、しゅうとを本気で好きになって、「やっぱりいっちゃんやミレイちゃんみたいな若い子がいい」なんて言われたら……。
俺の行き場のない気持ちは、また何年も、何年も彷徨い続けることになる。
スマホの電源を落としてから、休み中はそんな重い思考をずっと引きずっていた。
「良かった……! だいき、生きてた!」
背後から凄まじい勢いで突っ込んできたのは、息を切らしたいつきくんだった。
クールな彼が、見たこともないような必死な顔で俺の肩を掴んでいる。
「どうしたの? いつきくん、珍しいじゃん」
「スマホ!一昨日の夜からずっと電源切れてただろ? しゅうとから『連絡がつかない』って泣き言が入って、なんかあったのかと思って……!」
「あー……。ほら、デジタルデトックス? たまにはいいかなって」
苦しい言い訳に、いつきくんの眉間に深い皺が寄る。
「マジかよ! 心配したんだぞ! 電話も繋がらないし、誰もだいきの家知らないし……ほんっと、焦ったんだからな!」
『家くらい教えとけ』と怒鳴られたが、それは無理な相談だ。
万が一、いつきくんに男を連れ込んでいる現場でも見られたら、俺の社会人生命というか精神が終わる。
「……なんか、嬉しい。心配してくれてありがとう。ごめんね?」
「ほんっと……俺、友達あんまいないからさ。だいきに何かあんの、絶対嫌なんだよ」
感情を爆発させるいつきくんを見て、鼻の奥が少しツンとした。
この8年間、俺はちゃんといつきくんの「大事な人」になれていたんだな。
「……あのさ、友達が減るのが嫌なのか、俺がいなくなるのが嫌なのか、そこはっきりさせてくれない?」
「バカ! ……ほら、ちゃんとしゅうとにも謝っとけよ!」
「はぁ~い」
「……何笑ってんだよ!」
「いや……くくっ」
いつきくん、りゅうせいと付き合ってから「お父さん感」が増してないか? 俺のこと、我が子か何かだと思ってそう。
いつもの彼の笑顔を見て、俺の心も少しだけ軽くなった。考えすぎても仕方ない。今は、この流れに身を任せてみるのもいいかもしれない。
そう思いながら、会社の重い扉を開ける。
そこには、今朝一番に顔を合わせたくて、でも合わせるのが怖かった彼がいた。
「しゅうと、おはよう。だいき、生きてたよ」
いつきくんの能天気な報告に、受付に座るしゅうとが顔を上げる。
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