果たしてこの世の中に、雨が嫌いだと仰る御仁は如何ばかり居られるのだろうか。
無論、私とて総ての雨が嫌いだなどと言うつもりはない。
もはや水滴とは言えぬ霧雨に身を晒すのは気分が良いし、秋の月を通りすぎていく月時雨なども趣がある。
しかし分厚い雲を供連れに、轟々と降りしきる黒雨だけはどうにも相容れぬものがあった。
――あれはまだ学生の時分である。
当時の私は今よりも僅かばかり、交遊関係が活発であった。
その中でも他より抜きん出て親しくしていたのが、風見(仮)という人物である。
京都の繁華街近くにある質屋の娘で、良く言えば芯があり、悪く言えば我の強い性格だった彼女は、創作を趣味とする一方でアウトドアにも造詣が深かった。
とりわけご尊父と行くヨット遊びの話はよく聞かされたのだが、そんな彼女と繁華街に遊びに行った際、当時映画館の下にあったファストフード店でおもむろにこんな話をされた。
「しばらくヨットは乗らんかもしれん」
唐突な切り出しに、突然なんの話だと思った覚えがある。
しかし多くの場合、こういう妙に含みを持たせたような言い回しがされるのは、その続きを聞き出してもらいたいのだ。
自主的に興味を持ってもらいたいがために持って回ったような言い方をし、好奇心から聞き出してもらおうという、謂わば言葉の釣り針である。
現在の私であれば、このような切り出しをされると逆に興味が失せ、意地でも聞きたくなくなってしまうのだが、この頃の私は今よりも遙かに素直であった。
「どしたん」
「いや、特になんでもないんやけどさぁ」
獲物が釣り針にかかったと知った彼女は、わざとらしく面倒そうに言ってみせた。
ここまで来ると、さしもの素直だった自分でさえ「コイツめんどくさいな」と思い始める。
話して聞かせたいのが分かりきっているのに、あえて焦らされるのは釣られた魚としても気分がいいものではない。
しかし釣り針にかかった者の暗黙の了解として、今度はそれを諫めつつ、相手に気分よく話させなければならないという使命があるのもまた重々理解していた私は、少々苛つきながらも話の先を促し続けた。
彼女が満を持して続きを語り始めたのは、たっぷりと道化師を演じさせられてからのことだ。
「――ヨット乗っとるとき、雨降ってな」
それはこれまでと打って変わった、人目を避けるような声色であった。
「天気予報ではずっと晴れ予報やったし、それまでもキレイに晴れてたんよ。やけど気がついたら、ヨットの上に真っ黒な雲がおってさぁ。慌てて帰ろうとしたん」
チラチラと他人を気にしながらの言葉に、不穏な予感と共に好奇心がくすぐられるのを感じる。
気付いたときには、私たちは額をつきあわせるようにして話していた。
「風もめっちゃ吹いとるし、すぐ帰れるやろーって思ってたんよ。なんやけどさ」
ひときわ声をひそめ、周囲を気にした様子で彼女は言葉を切った。
「動かへんねん、全然」
「なんで」
「とにかく動かんかったんよ。前に進めへん。やのに波が立ってバッシャンバッシャン揺れるし、土砂降りのせいで足もともすべってな。うわ落ちるってなって」
「落ちたんか」
「落ちてへんわ。落ちひんかったけどさ、……ヤなモン見てん」
「ヤなモンてなんな」
「――手」
波間から何本もの手が伸び、ヨットを揺らしていたらしい。
ヨットから落ちかけた瞬間にそれを目にし、悲鳴をあげてご尊父にしがみついたという。
だからこそ落ちなかったと話していたが、ヨットをその場に留めていたものもそれである可能性を考えれば、感謝するわけにもいかない。
結局あっという間に雨はやみ、雲が去ると同時にヨットも再び風を捕えて走るようになったそうだが、彼女の涙ながらの懇願の甲斐あり、すぐに帰港したそうだ。
それ以来彼女からヨットの話を聞くことはなくなったが、私は未だに分厚い黒雲と横殴りの雨が降る季節を迎えると、なんとも陰鬱な気分になる。
黒雨の中に隠れて機を窺う、何者かの手を連想せずにはいられないからだ。
コメント
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急に申し訳ございません、フォロー失礼しますね^^
序盤の心理描写で、より世界に入り込めてゾッ…としました…