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 午前中は電話対応中心に業務をこなし、気づけばあっという間に昼休みの時間となっていた。


「田苗、お昼行かない?」


 同僚に声をかけたが、彼女は申し訳ない顔を私に見せる。


「ごめん!今日はお弁当持参なんだ」

「へぇ、珍しいね。田苗がお弁当なんて」

「ちょっとね、今月厳しくって……。付き合えなくてごめん」

「大丈夫だよ。どうしようかな……」


 昼時の食堂には、人がたくさんいるはずだ。それでもやっぱり、一人で行動するのは避けた方がいいような気がした。今朝の太田の目が気になって仕方がなかったのだ。ちなみに拓真は、十時を過ぎた頃から部長に伴われてどこかに行ってしまって、まだ戻ってきていない。仮に今ここにいたとしても、真っ先に声をかけるようなことはしないのだけど。とにかく、この昼休み、一緒に食堂に行ってくれる人はいないかと周りを見る。すると田中と目が合った。彼もいつも食堂を利用している。


「課長、お昼はこれからですか?良かったら、食堂、ご一緒しませんか?」


 田中は申し訳なさそうに眉根を寄せた。


「悪い。今日は俺も弁当なんだ」

「愛妻弁当ですか?お幸せですね」


 ふふっと笑う私に、田中は苦笑いを浮かべる。


「そんないいもんじゃないよ。子どもらが今日は弁当だからっていうんで、ついでだよ。ということで、付き合えなくて悪いけど」

「いえいえ、全然」


 あとは今野と鈴木だが、今野は今日は電話当番、鈴木はすでに外に出て行ってしまった後で席にいない。わざわざ他の課や部署まで行って声をかけるのもどうかと思う。

 

 仕方ない。周囲に気を配っていれば問題ないだろう。拓真も言っていたように、会社という公の場で、太田が最悪な振る舞い、例えば暴力的な行動を取るとはさすがに思えない。彼はそこまで愚かではないだろう。

 

 自分を納得させるように言い聞かせる。諦めて一人で行ってしまおうと席を立った時、コピー作業のために離席していた斉藤が戻ってきた。私を見て声をかけてくる。


「笹本、もしかして食堂行くの?だったら俺も行こうかな」

「あれ?斉藤さんは今日、愛妻弁当じゃないんですか?」

「たまには楽してもらおうかと思ってさ。その分、小遣いは減るけどね。ってことで、おごれなくて悪いけど」

「ご馳走になろうなんて、そんな図々しいこと、思っていませんよ」


 苦笑する私に斉藤はあははと笑う。


「じゃ、行くか。俺ら、食堂行きますんで」


 彼はその場にいる他のメンバーに声をかけて、私を促した。

 食堂はなかなかに繁盛していた。少し待つか、相席を視野に入れれば座れないこともなさそうだ。

 私たちは各自食券を買い求めてからカウンターに向かい、番号札を出した。半券をもらった後は、番号を呼ばれるまで待機するわけだが、空いている席を探しているとちょうど近くの四人掛けのテーブルが空いた。


「斉藤さん、あそこに座りましょうよ」

「おっ、グッドタイミングだな」


 私たちはいそいそとテーブルに近づき、角を挟んで腰を下ろした。


「良かった、座れて」


 ほっと一安心している私に、斉藤が不意に言った。


「笹本ってさ、太田となんかあったのか?」

「えっ?」


 動揺してしまい、すぐに言葉が出てこない。


「別にプライベートに首を突っ込むつもりは全然ないんだけどさ。なんか心配になってしまって」


 私と太田の関係を知っていて、言っているわけではないようだ。しかしそれなら、何を見てそう言い出したのだろうかと気になった。何のことか分からないという顔で、私は斉藤に訊き返した。


「心配って、何のことですか?」


 斉藤は声を落とす。


「笹本を見る太田の目、変じゃなかったか?もしかして何かトラブルでもあったのかと思って、気になってたんだよ」


 朝以降も、何かの折に太田のじとっとした視線を感じてはいた。けれどまともに見るのが恐ろしくて、ずっと気づかないふりをしていた。斉藤だけではなく、他の皆んなも気づいていたのだろうかと、私は探るような聞き方をした。


「他の人もそれ、見たんでしょうか。私は全然気づきませんでしたけど」

「うぅん、他に見た奴はいないかもな。俺だって偶然目にしたってだけだから。でも、笹本には心当たり、全然ないのか?」

「そうですね、特には……」


 もちろんそれは嘘だが、本当のことは言えない。


「そんならどうしてあんな目で、笹本のこと見てたんだろうなぁ」


 首を捻っている斉藤に、私は笑顔を見せる。


「斉藤さんの見間違いだったんでしょう」


 ところが、斉藤は腕を組んで私を真顔で見た。


「あのさ、余計なお世話かもしれないけど、あいつには気を付けた方がいいかもしれないな。万が一だけど、もしもあいつに言い寄られてでもいるんなら、よく考えて返事した方がいいと思うぜ」


 どきっとした。


「何か知ってるんですか?」

「何だ?まさか本当に、言い寄られてんのか?」

「え、あ、えぇと……」


 私は言葉を濁した。ここで反応を見せたのは失敗だった。

 目を泳がせる私の表情から、まさに今口説かれている最中でもあるらしいと、斉藤は思ったようだ。


 本当はその段階はとっくに過ぎているが――。


「心当たりがあるみたいじゃないか。だったら」


 斉藤はさらに声を落として続けた。


「やっぱり一応話しておくわ。去年、管理部の男数人で飲みに行ったことがあったんだ。で、居酒屋に行ったんだけど、そこで隣のテーブル席にいた女の子の一人が、急に泣き出してしまってさ。それも太田を見た途端に」

「え?」


 私は眉根を寄せた。


「彼女の隣にいた女の子はその泣いてる子をなだめながら、太田を睨みつけていた。太田の方は、その子のことは知らないって感じで、何が何だか分からないような顔してたな。だけど俺は、実は泣いてた子は太田の元カノかなんかで、別れる時にこじれたりでもしたのかな、って思ってた。それでその子、なかなか泣き止まなくてさ。結局、彼女たちのグループは帰って行ってしまったんだけど、帰り際に、その子がまだしゃくりあげながら怯えるように言ったのが聞こえたんだ」

「なんて言ってたんですか?」

「確か、『怖い、あっちに行って』だったかな。怖い、なんていう言葉、初対面の人間に対して、そうそう出る言葉じゃないと思わないか?酔っぱらいのたわ言と言い切ってしまうには、なんというかあまりにも緊迫感があったしさ。俺の思い過ごしだったのかもしれないけどね」

「そうですか、そんなことが……」


 斉藤の話を聞いていて、途中から胸がざわついていた。先日リッコで聞いた清水の話が思い出される。


 もしかしてその女の子は――。


「だから、笹本も念のため慎重になった方がいいと思うぜ」


 斉藤がさらに声を潜めて言った時、カウンターの方から手元の半券に書かれた数字を読み上げる声が聞こえてきた。

 斉藤は自分の半券に目を落として椅子から立ち上がる。


「俺の分だな。取りに行ってくる」

「はい、行ってらっしゃい」


 私の分もそろそろかな――。


 頬杖をついて斉藤の背中を眺めていると、目の端に人影が入り込んだ。誰かが通ったのかと思い、何気なく目を上げて動きが固まった。顔から血の気が失せる。


「太田さん……」


 表情を固めた私とは正反対に、太田はにこやかな顔をして私を見下ろしていた。


「ここ、一緒にいいか?」


 喉が締まり声がかすれた。


「あ……」


 そこへトレイを持った斉藤が戻って来た。


「あれ、太田も今日は食堂か?あっちの空いてる席に、経理の連中がいるみたいだけど、いいのか?」


 私の様子に何かを察したのか、斉藤は太田に別のテーブルを示す。

 しかし太田は笑って流した。


「違う課の人と食べたっていいだろ?笹本とは一応同期だしさ」


 太田はにこっと笑い、そのまま角を挟んだ私の隣に座った。私の手元の半券の番号に目を落とす。


「今呼ばれたんじゃないか?」


 太田の登場に気を取られて聞き逃したらしい。改めて耳を傾ければ、カウンターの方から私の持っている番号を呼ぶ声が聞こえる。このまま別の席に移動してしまおうと思い、休憩の時に持って出ているトートバッグに手を伸ばした。しかし、太田の方が私よりも早くバッグを手に取った。


「荷物は見ていてやるから、行って来なよ」

「あの……」


 あの中には携帯が入っている。斉藤もいるこの場で何かするとは思えないし、ロックもかけてはいるけれど、それでもその中身をもしも太田に見られたらと思ったらぞっとした。そこには拓真とのやり取りが残ったままなのだ。


「また呼ばれてるぞ」

「……行ってきます」


 斉藤に促されて、私は急いで立ち上がりカウンターに向かった。注文したパスタのランチセットを手に、できる限りの急ぎ足でテーブルに戻った。


「はい、バッグ。俺も呼ばれたから、取りに行ってくるわ」


 太田は私にトートバッグを返してよこすと、注文の品を取りにカウンターに向かった。

 斉藤は太田にちらりと目をやり、続いて私を見て、心配そうな顔をした。


「なぁ、笹本。やっぱり何かあったんだろ、太田と」


 サラダをつついていた手が止まる。


「いえ、別に何も……」

「俺さ、これでも口は堅いぜ。少なくとも俺の目には、笹本が太田を怖がっているように見えるんだけどな。違うか」

「え……」

「まぁ、今は聞かない。さっき言った、例の飲み会での話もあるからな。何かあったら相談しろ」


 今までも斉藤のことは頼れる先輩だと思ってはいたが、こんな風に言ってもらえて心底ありがたく思う。


「ありがとうございます」

「二人して何の話をしていたんだ?」


 トレイを持って戻って来るなり、太田は私たちの顔を交互に見ながら訊ねる。笑顔を作ってはいるが、目は笑っていない。

 斉藤がのんびりした口調で答えた。


「今度の就職ガイダンスの話をしてたんだよ。今年もそろそろ資料を作る時期が来るなぁ、ってね。結構量があるから、大変なんだよな」

「もうそんな時期なのか。早いな」

「そういや、経理の方は仕事落ち着いたのか」

「あぁ、ぼちぼちってとこかな」


 斉藤の話に乗って会話を交わしている太田の声を聞き流しながら、私は黙々とフォークを動かしていた。


 早く食べて自分の席に戻りたい――。

 

 最後の一口分のパスタを口に運び、飲み込み終えて、はっとした。ふくらはぎの辺りを、つうっと何かが這うような感触があった。見なくても分かった。太田の靴先が私の脚を撫で上げていたのだ。ぱっと脚をずらし、ざわざわする思いでそっと目を上げると、太田が粘着質じみた目をして私を見ていた。ぞくりと悪寒が走った。

 私は水を一口飲むと、バッグを腕にかけた。


「私、先に戻りますね」


 どちらに言うともなく言いながらも、目は斉藤だけを見る。

 斉藤が頷いた。


「俺もこれ食べたら戻るから」

「まだ時間もあるし、どうぞごゆっくり」


 もうしばらく太田をここに引き留めておいてほしいと思う。しかし、そんな心の内に気づかれないように、作り笑顔を貼り付けて私は椅子から立ち上がった。太田に何も言わないのも変だろうかと思い、頭を軽く下げながら取ってつけたように言った。


「ごゆっくり」

「どうも」


 固い声で短く答える太田の声に、みぞおちの辺りが苦しくなる。私はそそくさとトレイを手に持ちテーブルを離れた。

 食堂を出てロッカーに向かって急いでいたら、廊下を曲がってすぐのところで誰かに急に腕をつかまれた。その先にあるのは自動販売機が並ぶ休憩コーナー。そこに行く手前にある非常階段側に引っ張り込まれた。

 そんなはずはないと分かっていながらも、まさか太田かと一瞬青ざめた。しかし見上げたそこに拓真の顔を認めて、全身から力が一気に抜けた。


「びっくりした……」


 膝が崩れそうになった私を、拓真の腕が慌てて抱き止めた。


「脅かさないで」


 彼の腕に寄りかかり、私は全身でため息をついた。


「ごめん……」


 拓真がしゅんとした声で言う。


「どうしてこんな所にいるの?」


 呼吸と気持ちが落ち着いたところで、私は小声で訊ねた。


「さっきまでそこの会議室にいたんだ。お茶を買って戻るつもりで出たところで、碧に気づいた。ところで」


 拓真は私の耳元に唇を寄せた。


「俺がいなかった間、あの人から何か言われたり、されたりはしていない?」


 私はこくんと頷く。


「お昼ごはんは斉藤さんと一緒だったし、他も一人になったりはしていないから」

「それならいい」


 ほっとしたように拓真が息をついた。それが耳にかかってくすぐったい。


「本当はいつもすぐ近くにいたいんだけど、なかなかそうも行かないもんだな」

「それは仕方ないよ。そう言えば、午前中から部長とどこかに行ってたみたいだね。ずっと部長と一緒だったの?」

「まぁね。たいした用事でもなかったんだけど」

「部長と一緒での用事をそんな風に言うなんて……」


 苦笑をもらす私に拓真は悪戯っぽい目を向ける。


「今言ったことは部長には内緒だよ。それよりも午後も気をつけて」

「分かってるよ。だけど拓真君も言ってたじゃない。会社で何かしてくるなんてこと、ないだろうって。私もそう思うし……」

「そうは言っても心配なんだよ」


 拓真は不安を揺らした目で、私をぎゅっと抱き締めた。


「仕事、戻らないとな」


 彼は名残惜しそうに私の髪に顎を埋める。

 私もまだまだ彼とこうしていたいのはやまやまだったが、そういう訳にはいかない。


「私、行くね」


 私は背伸びをして、彼にキスをした。そんな行動に出てしまった自分が急に恥ずかしくなって、彼の腕から自ら体を引き離し、ロッカールームへと足を向けた。


続きは甘く優しいキスで

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