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週明けのせいか、午前中は電話が多かった。その対応を中心に業務をこなし、気づけばあっという間に昼休みだ。
「田苗、今日のお昼は食堂?それとも外?」
「今日はお弁当よ」
「へぇ、珍しいね」
「たまにはね」
「じゃあ、私、どうしようかな……」
自分も弁当にすればよかったと後悔しながら、まずはこの昼をどうにかしようと考える。外に食べに行くよりは食堂の方が安いし早い。昼時だから食堂には人がたくさんいるはずで、仮に太田と出くわしても彼が何か仕掛けてくるとは思えない。ただ、今朝の彼の目を思い出した時、、一人で行動するのはやはり避けた方が良さそうだと思う。ちなみに拓真は、十時を過ぎた頃から部長に伴われてどこかに行ってしまい、まだ戻っていない。例え今この場に拓真がいたとしても、真っ先に声をかけるようなことはしないのだが、と思いつつ、食堂に行く人は誰かいないかと周りに目をやる。田中と目が合った。彼はいつも食堂を利用している一人だ。私は早速声をかけた。
「課長、お昼はこれからですか?良かったら、食堂、ご一緒しませんか?」
しかし田中はすまなさそうに肩をすくめる。
「悪い。今日は俺も弁当なんだ」
「愛妻弁当ですか?お幸せですね」
ふふっと笑う私に、田中は苦笑を浮かべる。
「そんないいもんじゃないよ。子どもらが今日は弁当だからっていうんで、ついでだよ、ついで。ということで、付き合えなくて悪いけど」
「いえいえ、全然」
他に誘えそうなのは今野か鈴木だが、今野は今日の昼の電話当番、鈴木は外に食べに行くと言ってすでに席にいない。わざわざ他の課や部署まで行って誰かを食堂に誘うのも気が引ける。結局仕方がないと諦めて席を立つ。その時、別室で作業をしていた斉藤が戻ってきた。私に気づいて声をかけてよこす。
「笹本、もしかして食堂行くの?だったら俺も行こうかな」
「あれ?斉藤さんはいつもの愛妻弁当じゃないんですか?」
「いやぁ、たまには楽してもらおうと思ってさ。その分、小遣いは減るけどね。ってことで、おごれなくて悪いけど」
「そんな図々しいこと、思いませんよ」
苦笑する私に斉藤は笑う。
「じゃ、行くか。俺ら、食堂行ってきます」
彼はその場にいる他のメンバーに声をかけて、私の先に立って歩き出した。
食堂は繁盛していた。しかし少し待つか、あるいは相席すれば、座れないこともなさそうだ。
私たちはそれぞれに食券を買い求めてカウンターに向かい、番号札を出した。半券をもらった後は番号を呼ばれるまで待機するわけだが、まずは空いている席を探すことにする。キョロキョロと辺りを見回していると、近くの四人掛けのテーブルがちょうど空いた。
「斉藤さん、あそこに座りましょうよ」
「おっ、タイミングいいな」
私たちはいそいそとテーブルに近づき、角を挟み隣り合って腰を下ろした。
「良かった、座れて」
一安心してほっと息をついている私に、斉藤が前起きなく訊ねる。
「太田となんかあった?」
「え……?」
動揺してその先の言葉が出てこない。
「別にプライベートに首を突っ込むつもりはないんだけどさ。なんか心配になってしまって」
私と太田の間にある事情を斉藤が知っているはずはない。それならば、何を見てそんなことを言い出したのかが気になる。
「どうしてそう思うんですか?」
斉藤は声を落とす。
「笹本を見る太田の目、変じゃなかったか?だから、何かトラブルでもあったのかと気になったんだ」
どきりとした。しかし平常心を保ち微笑む。
「斉藤さんの気のせいじゃありませんか?私は全然気づきませんでしたけど」
そうは言ったが実際は、朝礼後の件以外にも、何度か太田のじとっとした視線を感じることがあった。しかし確かめるのも怖くて、気づかないふりをしていた。
「いや、あれは気のせいじゃないよ。俺の席からあいつの場所ってちょうど真っすぐだろ?表情とか結構分かるんだよ。あいつ、笹本のこと明らかに睨んでた。心当たりはないのか?」
「そうですね、特にはないかな」
嘘をついた。無関係の斉藤に本当のことは言えない。
彼は首を捻る。
「だったらどうしてあんな目で、笹本を見てたんだろうなぁ……。気になるわ」
「だから、斉藤さんの見間違いですよ」
これ以上深く話すことになるのは避けたい。私は笑いながら言い切った。
これでもうこの話は終わりになるだろうと思ったが、斉藤はしばらく考え込む様子を見せる。それからおもむろに腕を組み、真顔になった。
「余計なお世話かもしれないけど、太田には気を付けた方がいいかもしれない」
どうして斉藤がそんなことを言い出したのか気になる。
「斉藤さん、何か知ってるんですか?」
太田には私の知らない何かが他にあるのかと、どきどきしながら訊ねた。
斉藤の目が大きく見開かれる。
「え?まさか、本当に言い寄られてんのか?」
「いや、別にそういうわけでは……」
言葉を濁し、さらには目まで泳がせている私を、斉藤は怪訝そうに見た。
「ふぅん……」
私の曖昧な反応をどう思ったのか、斉藤は一人納得したように小さく頷いている。声を低くして続けた。
「ま、いい。一応話しておくな。去年、管理部の男数人で飲みに行ったことがあったんだ。その時ある居酒屋に行ったんだけど、隣のテーブル席にいた女の子の一人が急に泣き出してしまってさ。それも太田を見た途端に」
私は眉根を寄せて、斉藤の言葉の続きを待つ。
「彼女の隣にいた女の子は、泣いてる子をなだめながら、太田を睨みつけてた。太田の方は、その子たちのことは知らない様子で、何が何だか分からないっていう顔をしてた。だけど、俺は密かに思ってた。実は太田は彼女のことを知っていたけど、知らないふりをしたんじゃないか。泣いてた子は太田の元カノかなんかで、別れる時に何かあったのかな、ってね。その子、なかなか泣き止まなくてさ。結局、彼女たちのグループは帰って行ってしまったんだけど、帰り際に、その子が泣きながら、しかも怯えるように言うのが聞こえたんだ」
「怯えるように……?」
「あぁ。『怖い、あっちに行って』だったかな。怖い、なんて言葉、初対面の人間に対して、そうそう出る言葉じゃないと思わないか?酔っぱらいのたわ言と言い切ってしまうには、なんというかあまりにも緊迫感があったしさ。とはいえ、俺の思い過ごしだったのかもしれないけどね」
「そうですか、そんなことが……」
斉藤の話を聞いている途中から、胸がざわつき始めた。先日リッコで聞いた清水の話が思い出されたのだ。
「だから笹本も、もしも本当に太田から告白されるようなことがあれば、慎重になった方が絶対にいいような気がするんだ」
「慎重も何も、太田さんとは別に何もないですから」
すでに事態はその段階を超えてしまっているが、斉藤の心配は杞憂だと決めつけるように私は笑う。
その時、彼の手元の半券の数字を読み上げる声がカウンターの方から聞こえた。
「俺の分だな。取りに行ってくる」
「はい、行ってらっしゃい」
カウンターに向かう斉藤の背中を見送り、自分の手元の半券に視線を落とした時、その声は降ってきた。
「ここ、いいかな」
よく知る声に凍りつく。全身から血の気が失せるような気がした。