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世界は、静かに歪んでいた。
そう思うようになったのは、たぶん、
どうしようもなく「足りない」と感じるようになってからだ。
空は変わらず青く、街は同じように騒がしく、電車は時間通りに走る。
何ひとつ壊れていない。
誰も困っていない。すべてが、ちゃんと回っている。
それなのに、胸の奥だけが、ぽっかりと空いていた。
理由は、わかっている。
けれど、それを口に出すと、途端にすべてが崩れてしまいそうで、僕はずっと避けてきた。
あの日から、もう何年も経っている。
ニュースで見た、ただの事故だった。
どこにでもあるような、不運が重なっただけの出来事。
誰かを責めることもできない、どうしようもない現実。
その中に、あいつがいた。
教室の一番後ろで、いつも退屈そうにしていたやつ。
窓の外ばかり見て、たまに変なことを言って、周りを困らせていたやつ。
「この世界ってさ、どこか歪んでると思わない?」
あのときも、急にそんなことを言い出して、僕は呆れて笑った。
「何言ってんだよ」
「だってさ、全部がうまくいきすぎてる気がするんだよ」
「むしろうまくいってないことの方が多いだろ」
「そうじゃなくて。なんていうか……無理やり整えられてる感じ」
あいつは言葉を探すみたいに、少し考えてから続けた。
「どこかで、何かを切り捨ててるみたいな」
そのときの僕は、深く考えなかった。
ただの、いつもの独り言みたいなものだと思っていた。
あいつがいなくなってから、僕は初めて、その言葉を思い出した。
世界は、何も変わっていない。
あいつがいなくても、授業は進むし、テストもあるし、季節は巡る。
何も問題なんてない。
それが、どうしようもなく、気持ち悪かった。
「なあ」
誰もいない帰り道で、ふと声が漏れる。
「これでいいのかよ」
答えは、返ってこない。
あいつがいた場所には、すぐに別のやつが座った。
最初は違和感があったはずなのに、それもすぐに慣れていった。
クラスの中で、あいつの名前が出ることは、もうない。
まるで最初から、存在しなかったみたいに。
でも、僕だけは覚えている。
くだらない話をして、どうでもいいことで笑って、
意味もなく時間を潰していた日々を。
あいつが何を考えていたのかなんて、
結局よくわからなかったけれど、
それでも確かにそこにいたということを。
「忘れた方が楽だよな」
誰に言うでもなく呟く。
実際、周りのみんなはそうしている。
時間が経てば、自然と薄れていく。
それが普通だ。
それが「正しい」生き方なんだと思う。
でも。
「それじゃ、なかったことになるだろ」
声が、少しだけ震えた。
あいつがいた時間も、言葉も、全部。
世界が何事もなかったように進んでいくために、少しずつ削られていく。
その「整い方」が、どうしても受け入れられなかった。
だから僕は、ノートを使うことにした。
あいつのことを書き残す。
思い出せる限り、全部。
くだらない会話も、意味のないやり取りも、どうでもいい仕草も。
消えないように。
歪まないように。
書きながら、何度も思った。
こんなことをして、何になるんだろう。
あいつは戻ってこない。
どれだけ書き残しても、現実は変わらない。
それでも、やめられなかった。
ある日、ノートの最後のページに辿り着いた。
これ以上は書く場所がない。
それでも、何かを書かなければいけない気がした。
ページの中央に、ゆっくりとペンを走らせる。
――歪んだ世界で何を求める_
少しだけ、手が止まる。
考えるまでもなかった。
もう手に入らないものを求めても、仕方がない。
そんなことは、わかっている。
わかっているけど。
それでも。
僕は、その下にこう書いた。
インクは滲まなかった。
文字も歪まなかった。
それが、なぜか少しだけ、悲しかった_
妖狐のおふとん 、、犬(