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第1話、読みました。 窓際で本を読む真崎さん、すごくよくわかるなあって思いました。私もよく図書室で一人で居るから……。 久世堂がお父さんの「残っている場所」ってところ、胸がぎゅっとなりました。知らない大人の前で泣いた話、目の奥が熱くなりました。 久世さんとふたりきりのシフト、うれしいって思えるのって、ちゃんと温かいですよね。続きが気になります。
第1章 ことは
───
あとになっても、あれが何だったのか、わたしには説明できない。
急に風が吹いた、とか、停電しただけだ、とか、そういう言葉に置き換えることはできる。試しに何度も置き換えてみた。でも、どれもぜんぶ違う。
あれは、わたしを助けにきた。
そう思うことでしか、わたしはあの夜を片づけられなかった。
――三週間前。
◇
昼休みの教室は、わたしにとって少しうるさい。
だから窓際のいちばん後ろで本を開く。そうしていれば、たいていの人はわたしに話しかけない。話しかけられないことを、わたしは寂しいと思ったことがない。本のほうがずっと長く付き合ってくれる。
「真崎さん、それ何の本?」
顔を上げたら、河合さんが机の横に立っていた。同じクラスの、特に目立つわけでもない、でも誰とでも普通に喋る子。
「……古い、翻訳の本です」
「へえ。おもしろい?」
そこで終わらせればよかったのに、わたしの口は勝手に動いた。この本は訳者が三人いて、一章ごとに文体が変わること。昔の訳のほうが言葉が硬くて好きなこと。図書室の棚には新しい訳しか入っていないこと。気づいたら三分くらい喋っていた。
河合さんは、ぽかんとしてから笑った。
「真崎さん、めっちゃ喋るじゃん」
耳が熱くなった。
「……ごめんなさい」
「なんで謝るの」
河合さんはそのまま、わたしの前の席に座った。
わたしは昔からこうだ。黙っているか、喋りすぎるか。中間がない。
◇
放課後、駅の反対側まで自転車を走らせる。
商店街のはずれ、シャッターの下りた店が三軒続いたその先に、「久世堂」はある。ガラス戸に貼られた「古書」の文字は、もう半分剥がれている。
戸を開けると、紙の匂いがする。
古い紙は、新しい紙とは違う匂いがする。埃と、木と、少しだけ甘い匂い。わたしはこの匂いが世界でいちばん好きだ。
「おかえり」
奥のカウンターから、久世さんが顔を上げた。四十代半ばくらい。いつも同じ紺のカーディガンを着ていて、いつも同じ穏やかな声で喋る。
「ただいま、じゃなくて、こんにちは、です」
「そうか。じゃあこんにちは」
わたしは鞄を置いて、エプロンをつける。
この店でバイトを始めて、もうすぐ一年になる。
◇
お父さんが死んだのは、二年前の冬だった。
朝、いつもどおり出ていって、それきりだった。駅の階段で倒れて、運ばれた先で、もう心臓が動いていなかった。あっけなさすぎて、わたしは葬式のあいだ、ずっと何かの間違いだと思っていた。
お父さんも本の人だった。家じゅうが本だった。母はそれをずっと嫌がっていて、お父さんがいなくなってから半年で、そのほとんどを処分した。
わたしが久世堂を見つけたのは、その直後だ。
制服のまま店に入って、棚を眺めていたら、カウンターの人がふいに言った。
「真崎さんの、お嬢さんかな」
心臓が止まるかと思った。
「お父さん、よくここで長話していってね。困るくらい長かった」
久世さんは笑っていた。
わたしは、その場で泣いた。知らない大人の前で泣いたのは、あとにも先にもあのときだけだ。
家にはもう、お父さんの本は一冊もない。母はお父さんの話をしない。学校の誰も、お父さんを知らない。
久世堂だけが、お父さんがまだ少し残っている場所だった。
◇
その日、閉店前に久世さんがカウンターに紙を置いた。
「来月のシフト、作ってみたんだけど」
覗き込む。火曜、木曜、土曜。わたしの名前が並んでいる。
前は土曜だけだった。
「バイトの片山くん、就職決まって辞めちゃってね。しばらく人が入らないと思うんだ。真崎さん、増やせそうかな」
「大丈夫です」
即答だった。
「無理してない?」
「してないです。……うれしいです」
久世さんは、少しだけ驚いた顔をして、それから笑った。
「そう言ってもらえると助かるよ」
表を見ると、その三日はぜんぶ、久世さんとわたしのふたりきりだった。
うれしい、という気持ちを、わたしはそのときまだ、いちども疑っていなかった。