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#オフィスラブ
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#かざね
十一月に入って、店はますます静かになった。
商店街を歩く人が減る。戸を開ける音が、一時間に一度くらいしかしない。わたしは棚の整理をして、値札を書き直して、たまに客が来たらレジを打つ。
そのあいだ、久世さんはずっと喋っている。
お父さんの話だ。
「真崎さんね、探してる本があると、必ず先に僕に言うんだよ。僕が探したら早いのにって言うと、自分で見つけたいんだって」
「……分かります」
「分かる?」
「わたしも、そうなので」
久世さんはおかしそうに笑って、それからコーヒーを淹れてくれた。
わたしの知らないお父さんが、この店にはいる。母も知らないお父さんだ。その話を聞いているあいだだけ、わたしは二年前に戻れる。
だからわたしは、久世堂ではよく喋った。学校ではいちども出したことのない量の言葉が、ここでは勝手に出てくる。
◇
ある日、河合さんが言った。
「真崎さん、バイトしてるんだよね。古本屋さんだっけ」
「……はい」
「行ってみたい。今度行ってもいい?」
答える前に、なぜか胸のあたりが少し詰まった。
その日、久世さんに言ってみた。友達が来たいと言っている、と。
久世さんはしばらく黙ってから、困ったように眉を下げた。
「うーん。あんまり、おすすめしないな」
「……だめですか」
「だめじゃないよ。ただね」
彼は棚のほうを見た。
「ここは君の場所だろう。人を入れると、君の場所じゃなくなる」
そのとき、わたしは、その言葉を優しさだと思った。
「それに、学校の子に言いふらされて、冷やかしみたいに来られると困るしね。真崎さんは、あんまりこの店のこと、人に言わないほうがいいよ」
「……はい」
翌日、河合さんには「今、忙しい時期で」と言った。
河合さんは「そっかー」と笑って、それきり訊いてこなかった。
◇
十一月の終わり、久世さんがカウンターの下から包みを出した。
「誕生日、来週だろう」
息が止まった。
「なんで……」
「お父さんが言ってたんだよ。娘の誕生日には毎年本を贈るんだって」
包みを開けると、古い本だった。カバーはない。背表紙の箔が半分落ちている。
お父さんが、家でいちばん大事にしていた本の、初版だった。
「同じのを探してたんだ。半年かかった」
わたしは、何も言えなかった。
「お父さんの代わりってわけじゃないけどね」
久世さんは、わたしの頭に手を置いた。
一瞬だった。すぐに離れた。何も起きていない。
なのに、体の芯がすっと冷えた。
理由が分からなかった。分からないから、わたしはその感覚を、なかったことにした。うれしいはずだ。うれしくないはずがない。だってこれは、お父さんの本だ。
「ありがとうございます」
わたしは笑った。たぶん、ちゃんと笑えていたと思う。
◇
十二月の最初の土曜日。
その日は、朝から雨だった。客はひとりも来なかった。
閉店の時刻になって、わたしは奥の倉庫で段ボールを片づけていた。
がらがら、と音がした。
表のシャッターを下ろす音だ。いつもならわたしが手伝う。今日は久世さんがひとりで下ろしたらしい。
それから。
かちり、と、鍵の閉まる音がした。
コメント
1件
ああ、これ、すごく心に響きました……。久世さんから誕生日に本を贈られたシーン、一瞬体が冷えた感覚、なんだか自分事のように胸が痛かったです。嬉しいはずなのに、正体のわからない違和感。久世さんの「ここは君の場所」という言葉も、今思うと優しさだけじゃなかったのかな……そしてラストの鍵の音、不穏すぎて続きが気になります。大切に描かれてる空気感が、本当に好きです。