テラーノベル
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彼と知り合ったのは…確か、夏だ。
講義のない夏休みの、ヴォルガの運河。
美しい水の流れ、夏の光をたっぷり含んだ空気…
新鮮、という言葉の良く似合う日だった。
川のほとりに小さな背中が見えたのだ。
薄いクリーム色のくたびれたTシャツ。
じわりと首に浮かぶ汗が陽光に光る。
隣にかがみ込めば、彼の描くスケッチが窺える。
見ない顔立ちだった。
驚き方も、動作も…どこか異国を感じられた。
彼はドイツから来た画家らしい。
ベルヒテスガーデンという静かな土地から
特に取り柄もないこの地へとやって来たのだと。
彼は豊かな萌木色の芝生を指で撫でながら
故郷の山について語った。
彼の話はどこか遠い国のおとぎ話のよう。
魅力的で…神秘的で。
惹き込まれるような美しい言葉が並べられ
その豊富な語彙からは
現地の空気の冷たさも、草花や土の香りも。
何もかもが肌に伝わってくるようだった。
俺はとっくに、彼のファンになっていた。
彼の描きあげたスケッチは
弾けるような水の光も、
流れる風の色さえも描く
どこまでも詳しく、緻密なものであった。
白黒である筈なのに…どこまでも美しかった。
毎日のように、俺は彼に会いに行った。
その度に…彼は俺に案内を求めた。
俺は喜んでその役を引き受け、
光の集う街角、スモモの木の下…
どこまでも連れ回した。
その度に俺は小さな子供に戻った。
教えたい、知って欲しい、もっともっと。
そんな気持ちが波のように高まり
それに応える彼の優しさに心惹かれた。
すこんと抜けたような空には
薄い雲がまばらに、どこまでも広がる。
大きな図書館の裏に広がる薄暗い森。
彼を連れてゆっくりと入っていき、
赤や青のベリーのなる木を探す。
「酸っぱ!!!おい!酸っぱすぎ!」
明るく悲鳴を上げる彼の顔は明るい。
手元の赤い実を口に放り込んでやれば、
今度は甘い、と嬉しそうに言う。
ざわざわと木々も一緒に笑い、
木漏れ日が俺たちを優しく照らす。
1本のポプラの木の下、彼は座り込む。
先程の跳ねるような顔付きとは異なり
狼コ*更新遅
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#カンヒュイラスト
新しい茶碗についた米と肉
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雨音
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今は静かな水面を想起させる、真剣な顔。
「どうしていきなり、俺の顔なんか…」
「だまれ……」
ヘーゼルの瞳がチラチラと動く。
紅葉した白樺の葉…もしくは朝焼けの陽。
宝石をそのまま嵌め込んだような輝きは
未だ、子供っぽさを残している。
小さな鳥の羽ばたきが森に響く。
夕日が街の屋根を照らす。
教会の白い壁を橙に染め上げて
向日葵の視線も掻っ攫う。
朝に降った雨が残す湿気、
それにあてられた白樺の優しい香が漂う。
石畳の帰路をゆっくり歩き続ける。
彼はふと立ち止まり、こちらを向く。
「なあ、さっき俺に聞いてただろ」
「なんで今…自分の顔を描くのかって」
「ああ、聞いたな」
「ちゃーんと理由があったんだ」
「お前が、嬉しそうに笑ってたから…」
「…そんな理由か」
この言葉に彼は眉をひそめ、
同時に口角をにやりと上げて…答えた。
「お前、仏頂面なの気づいてないのか?」
「今は…まあまあ良い顔だけどな」
夕日の強い照りにも負けない、
明るい笑顔だ。
八重歯が見えるほどに口角を上げていて
眉毛も自慢げに吊り上がる。
同級生にも良く言われたものだが…
俺が冬なら、彼は夏だろう。
よく笑い、活発で快活で。
丸縁の金色の眼鏡も輝くようでいて。
何もかもが俺とは正反対…
でも、何かが似ていた。
この夏最後のヒマワリを、彼は描いた。
スケッチブックの全てのページが埋まり、
表紙の厚紙に描かれたそれは
どの絵よりも力強く、輝くような魅力の
夏を凝縮したかのような絵だった。
そしてもう1冊のスケッチブックを開き
そこに座れ、と言ってくる。
珍しく…彼の手には数本の色鉛筆が。
青、水色、灰色…黄色…
あとは青とも水色とも言い難い色が2つ。
「今度は色アリで書いてくれるのか?」
「お前の目の色を描こうと思って」
「綺麗だから…残さないともったいない」
「俺の目…?毎日同じ色だが」
彼は数回、色鉛筆を走らせてから向き直し
どこか誇らしげに言う。
「お前の目は…ヴォルガ川の色だ」
「毎日、毎時、毎分…同じ色はないんだ」
「ただの灰色だ」
「ふうん。なら、海はいつも同じ色か?」
「朝、昼、夜…同じ訳ないだろ」
「それとお前の目は同じさ、川野郎」
馬鹿みたいに真面目な顔。
でもその目線は俺の心の中までを
見透かしているような…そんな感じ。
そんな彼の目を覗き込めば、
ただのヘーゼルだったその色に
黄緑やオレンジ…深い緑も混ざっている…
そんな気がした。
段々と色付く、山の輪郭の色に似ている。
「なあ、なんでそんな寒色だけなんだ?」
「どうせならあのスモモの色も…」
「…お前の為の、色鉛筆だからだ」
「他のを描く気にはならないな」
ある日の彼はスケッチブックではなく
小さな紙袋を1つ、持ってきた。
トネリコの木漏れ日の下、
彼はその紙袋を俺に渡した。
紙袋を開けると、控えめな陶器の小瓶。
それに…美しい絵の描かれた封筒。
仄かに香るシトラスが肺を満たす。
小瓶を手に取れば、その白い滑らかな面は
太陽を飲み込むミルクの様に輝く。
「気に入ったか?」
悪戯っぽく笑い、彼は丸メガネを掛け直す
俺の心は踊った…いや、ときめいた…?
Floating、という単語が適切な胸の内。
彼は小瓶のコルクを器用に開けてみせると
その中身を指で取った。
「手袋を外せ…
そう、はは、あったかい手だな」
爽やかで、鮮やかで甘酸っぱい…
鼻腔を満たすその香りに、胸は甘く鳴る。
乾燥した指先を彼が優しく包み込めば
しっとりと柔らかな感触が伝わる。
さらさらとしたそれは、
俺の心と指を潤した。
そして、手紙を手に取る。
すると彼は気恥しそうに言った。
「…その。手紙は…家で読めっていうか」
「別に…いいんだが……恥ずかしいな…」
眉をひそめ、頬を微かに染めている。
珍しく恥らう彼はとても愛らしく、
可憐な少女のおねだりのように感じた。
帰路の途中、家に着くまで我慢できずに
シーリングスタンプを剥がす。
中の美しいオリーブグリーンの便箋には
金色のツタ模様が絡まり、広がる。
黒と茶色の狭間のような色の字は滑らかで
楽譜のような規則的な美しさがあった。
…
印象に残る言葉ばかりだ。
彼の心から直接伝わる、率直な言葉たち。
彼の口からも…いつか聞いてみたい。
彼との生活は日常へと変わりつつあった。
二人乗りの自転車を街外れで乗り回したり
市場のリンゴを買い食いしたり。
少しぎこちなかった会話は、
どこまでも続く風のように伸びやかになる。
ずっと名前の分からなかった彼への想い。
友情と愛の狭間の、中途半端な気持ち。
きっと、恋だ…なんて。
はは、頭おかしいだろ。
でも確かに…彼の瞳に窺われる度に。
鼓動は早まり、このまま食べてしまいたい
…なんて、思うようになって行った。
リンゴを手持ちのダガーで半分に割り、
片方を待ちわびるコイツに差し出す。
甘酸っぱい匂いが風に溶けてゆく。
子気味の良い音を立てて、
元気に頬張るその顔を
俺はきっと、ずっと忘れられないだろう。
夏の割には少しばかり涼しい風。
柔らかな風は俺らの肩を通り過ぎて
木々の間を通り抜け、
ヴォルガ川の上流へと消えてゆく。
教会の、青銅の鐘が夕方を告げる。
夏の終わりの、音がした。
コメント
1件
うわ、これすごくいい…。冒頭から文体が詩的で、一瞬で世界に引き込まれたわ。特に「お前の目はヴォルガ川の色だ」って台詞、めちゃくちゃロマンチックじゃない?毎日違う色って言われたらドキドキするし、スケッチブックに色鉛筆を揃えるシーンとか、小瓶のハンドクリーム(だよね?)と手紙のやり取りも、相手を想う気持ちが細やかに描かれてて胸にくる。夏の終わりの鐘の音で終わる余韻がたまらない。続き読みたい…!(192字)