昨日コユキを送り届けたあと、善悪は蔵から一冊の和綴(と)じの古惚けた本を探し出していた。
それをパラパラとめくりながら少し偉そうにコユキに切り出した。
「ふむふむふむ…… やはりオレっちの思った通りでござる! ツミコ殿は先代の聖女であるなっ」
そういえば昨日も善悪はそんな事を言っていたような……
しかしその時お腹が空きすぎていたコユキはほとんど上の空だった。
「あの叔母さんが? 聖女……」
コユキは改めて考えを巡らすのであった。
――――まさかあの、嫁かず後家(いかずごけ)の小姑(こじゅうと)の叔母が…… 若い頃は大型バイクなんかに乗っちゃってブイブイいわしていたあの叔母が…… 今は、ほとんどテレビの前で好きなお菓子ばかり食べ、文句を言う時しか口を開かない、あの叔母が…… 聖女とは!
と……
まさかそんな重いものを背負っていたなんて、と、コユキは少し悲しい気持ちになるのであった。
――――そっか、ただの男好きの男遊びがたたったせいで結婚出来なかった訳じゃ無かったんだ……
「っ!」
突如、コユキの頭の中で一つの答えに辿り着く発想が沸き起こり、今日までの全ての謎が解き明かされた気がした。
――――あたしが変なストーカーに狙われたり、変な男共からイヤラシイ目で見られるのって、何か聖女のオーラ? デバフっていうの? そ、それだったんだっ!
人生のパズルのピースがピタッとはまった気がしたコユキだった。
しかしこのコユキの考えは、盛大な勘違い、都合のいい思い込みであった。
聖女の力は、イタす、イタさない関係なく、神具を受け渡した時点で引き継がれるので、二十年以上前に、コユキへ神具を譲っているツミコが、結婚できなかったのは彼女自身の問題である。
当然、邪(よこしま)な存在が聖女に付き纏った事実も無い。
パズルは力づくで押し込んだだけだ、はまってはいない、おまわりさんが正解だ。
朝食を終えデザートの吹雪饅頭(ふぶきまんじゅう)を頬張りながらコユキが聞いた。
「んで善悪、これから一体どうしたら良いのん?」
同じく吹雪饅頭を食べながら善悪が答えた。
「うむ、昨日の対バフォメット戦はさすがコユキ殿というか、なんというか…… ま、当代の聖女バフもあったとは思うが、ほぼ生身のコユキ殿であったからな…… 勝てた事は、幸運に恵まれたと言って良いであろ? 只これからも、そんな奇跡が続く訳は無いのでござる! 生き残るには、力を得なければならぬのは自明の理(じめいのり)、つまり、可及的(かきゅうてき)速やかに、戦い方を学ばねばなるまい…… 戦闘訓練でござる!」
「えええぇぇぇ!」
明らかに嫌そうなコユキだ。
戦闘訓練なんて、運動、いや歩く事も、いやもう息をする事ですら面倒臭いレベルのコユキである。
いくら家族の為とは言え、どうしても自分の、やりたくない、嫌だ、無理、誰か何とかしてよ、が先に立つのであった。
昨日は気分で、
『何とかしなきゃね』
なんて格好つけて言ったものの、いざ自分の体を動かそうという段になったら、やりたきゃ善悪一人でやれば良いじゃんっ! ってか、お前の家族だけどな…… になっていた、最悪だ。
「大丈夫でござる! 心配ご無用! 筋トレや走り込み、柔軟体操もラジオ体操も不要! 某が今のコユキ殿の実力で可能なことを伝授するのである! お任せあれ! ……その後はスペシャルランチが待っているでござるよ」
善悪の目が黒縁メガネの奥でキラリと光った。
今だ半目のまま善悪を睨み付けるコユキであったが、善悪の、
「ささ、こちらへ」
の声に応え、渋々、重過ぎる腰をのそりとあげたのだった。
「ああ、コユキ殿、これを」
コユキがまた反射的に手を出してしまうと、そこには二枚の絆創膏が置かれていた。
「踵(かかと)の、替えておくでござる」
「ちっ」
善悪の気遣いにいちいちイライラしてしまうコユキだった。
またそんな自分にもイライラする。
寺の庭に出ると、そこには丸めた布団が鎮座していた。
「ではコユキ殿、ちょっとボクちゃんが手本をやってみるから、見ててねっ」
言いながら善悪は目の前の布団にタックルしながら言葉を続ける。
「例えば、体当たりして…… で、相手が一瞬転ぶね」
善悪の目の前で布団が倒れるが、それを人が倒れたように見立てている様だ。
眺めるコユキ。
布団が倒れ切る刹那(せつな)、タックルの直後に僅か(わずか)に体を沈め、垂直にジャンプしていた善悪の膝がドンッと布団に突き刺さった。
これを人相手にやったら、悶絶(もんぜつ)では済まないだろう破壊力だ、コユキは胸中で唸る(うなる)。
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