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#オフィスラブ
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#かざね
内側から鍵をかける音を、わたしはそれまで一度も聞いたことがなかった。
閉店のあと、久世さんはいつも先にわたしを帰す。「女の子を遅くまで置いておけないからね」と言って、鍵はわたしが出てから閉める。一年間ずっとそうだった。
倉庫から出ると、店の照明が半分落ちていた。
カウンターの卓上ランプだけが点いている。久世さんは、その明かりの中に立っていた。
「片づけ、終わった?」
「……終わりました。帰ります」
わたしは鞄を取ろうとした。
「まだいいじゃないか」
声は、いつもと同じだった。
いつもと同じなのが、こわかった。
「今日は誰も来なかったからね。ゆっくり話そう」
「明日、学校なので」
「明日は日曜だよ」
心臓が、耳の中で鳴りはじめた。
わたしはこの人を知っている。一年間、毎週会って、お父さんの話を聞かせてもらった人だ。本を探してくれた人だ。わたしが泣いたとき、何も言わずに水を持ってきてくれた人だ。
その人が、いま、わたしと戸のあいだに立っている。
それだけのことなのに、体じゅうの血が下がっていくのが分かった。
「真崎さん」
一歩、近づいてきた。
「君は、僕といるときがいちばん喋るよね」
わたしは後ろに下がった。棚に背中がぶつかった。
「学校ではそうじゃないんだろう。お母さんとも、そうじゃないんだろう」
「……帰してください」
「僕だけなんだよ。君のことを分かってるのは」
裏口。
頭の中に、その言葉だけが浮かんだ。倉庫の奥に、裏口がある。鍵は内側のつまみを回すだけで開く。
わたしは走った。
三歩も行かないうちに、手首を掴まれた。
「待ちなさい」
その声は、もう知らない人の声だった。
◇
そのときだった。
風が吹いた。
閉め切った店の中で、風が吹いた。
棚の本が、いっせいに落ちた。一冊ずつではない。壁三面の棚から、雪崩のように、床に叩きつけられた。音がすさまじくて、わたしは目を閉じた。
レジの引き出しが勢いよく飛び出して、小銭が床じゅうに散った。
卓上ランプが、ぶん、と大きく膨らんで、切れた。
まっくらになった。
手首が、離れた。
「……なんだ」
久世さんの声が、震えていた。
「なんなんだ、これは」
わたしは走った。
倉庫を抜けて、裏口のつまみを回して、体当たりみたいに外へ出た。
雨の中に飛び出して、自転車も置いたまま、商店街を走った。シャッターの前を走って、信号を無視して走って、息ができなくなって、ようやく立ち止まった。
濡れた前髪から水が落ちて、視界が滲んだ。
◇
そこで、振り返った。
なぜ振り返ったのか分からない。
雨の向こうに、久世堂の裏口が見えた。開いたままだ。まっくらな入口の、その奥。
誰かが立っていた。
背の高くない、制服の、男の子だった。
こちらを見ていた。
雨がひどくて、顔は見えなかった。
まばたきを一回した。
もう、誰もいなかった。
コメント
1件
第3話、読み終わりました……。閉店後の書店という日常の延長が、一瞬で非日常に反転していく怖さが本当に印象的でした。「いつもと同じなのが、こわかった」っていう一文、読んでるこっちの心臓も掴まれました。あと、閉め切った店内で本がいっせいに落ちるあの描写、映像が浮かぶようで。裏口で見た制服の男の子、だれなんでしょう……次がすごく気になります。