「えっと、リース? そこにいるのって、リース?」
「俺以外誰だと思うんだ」
「お、お化けとか……」
扉越しに聞えるのは紛れもなくリースの声だった。でも、こんな夜中に、皇宮の廊下を動き回っている皇太子が何処にいるのだろうと、扉を開ける気になれなかった。お化けとか、そう言うのだったらどうしようとか。もし、そういう魔法を使った暗殺者だったらどうしようとか思ってしまったのだ。でも、寝ていると分かっているならわざわざノックもしてこないだろうし。と、警戒心高めで身構えてしまう。
その後、リースからの反応はなく、私はもう一度声をかけてみる。
「本当にリース? 何で? え、今、夜だよ?」
「分かっている。というか、お前も何故起きているんだ?」
「と、取り敢えず、中に入ってよ……何か、廊下で待たせてるってなんか嫌だし」
そういえば、リースはまた黙ってしまった。
何か勘違いでもしているんだろうか。と、私は訂正をする。
「あ、あ、あの変な意味じゃないからね! ただ、皇太子を外に置きっ放しって言うのが駄目な気がして。その、勘違いしちゃダメだから!」
「わ、分かったから落ち着け……エトワール」
何であっちが呆れたように言うんだと思いながら私は扉を開けた。すると、扉の向こう側には、ちゃんとリースがいた。髪の毛も結構しんなりしていて、いつもの勇ましさよりかは、儚さが感じられて、これもこれでありだと思った。日中はビシッと服に身を包んでいるから、こうラフな姿のリースを見るのは……
(推し眼服過ぎるのよ!)
久しぶりに、リース様に対する発作が出てしまい、私は何とか自分を抑えつつ、リースを見る。暗闇の中でも、そのルビーの瞳は爛々と輝いていた。息をのむほど美しい、宝石よりも価値のあるその瞳に吸い込まれそうになる。
「エトワール、どうした?」
「あ、うん、いやなんでもないの。あはは」
「変な奴だな」
「変って何よ。てか、珍しいし……アンタがそんなこと言うなんて」
確かに、変な奴なんて私に対してはあまり言ってこなかったような言葉だった。それに、何か怒っているようにも思えて、機嫌を取らなければ危ないと、本能が訴えかけていた。リースを部屋の中に招き入れて、適当に座らせ、私はリースと向かい合った。何も言わないリースが怖い。何か言ってくれないと、会話をしないと、空気に押し潰されてしまいそうだった。
「あ、あの、リース」
「何だ、エトワール」
「お、怒ってるの?」
そう聞けば、リースはじっと私を見た後視線を逸らした。何か言いたいならはっきり言えば良いのに、その察しろと言わんばかりの態度にイラついた。
「怒ってるんだよね。でも、その理由が分からなくてこっちもイライラしてんのよ。別に、アンタが尋ねてきたことに関しては何とも思ってないけど、言いたいことがあるならはっきり言ってよ」
「じゃあ聞くが、先ほどこの部屋に誰か来ていたのか?」
「ぴぎゃ」
変な声が出た。
何処から出したのか分からない声。喉からそんな声出るんだ、へーなんて馬鹿みたいに思いながら、私はリースを見る。リースは逃がさないと言わんばかりに私を見つめていた。
(も、もしかしてバレてる? 大きな声出したから、気になってきたとか?)
アルベドと話してたこと、ここにアルベドが来ていたことがバレたのでは無いかと思って、私は焦った。どうにか言い訳を考えようと頭を巡らせるが簡単にまわらない。それどころか、思考がだんだんと遅くなっていって、私は首を横に振ることしか出来なかった。
そもそも、リースの部屋とは真反対だし、離れているし、気づくなんてこと無いだろう。気づくとしても、巡回している人達か、従者達か……どちらにせよ、リースが気づくことは決してないだろうと思ったのだが。
「ええっと、誰もき、きてないよ」
「なら、何で目をそらすんだ」
「だから来てないってば!」
本当か? と確実に疑っている目を向けられて、私は冷や汗がだらだらと流れ出した。この場合、バレた場合なんて言われるのだろうか。また、リースの機嫌というか地雷を踏んでしまう気がするし、アルベドの方も何か処罰が下る……とかも考えられる。そうなったら、そうなったで不味いどころの騒ぎじゃなくなってしまう。
私は、言わないのが一番だと黙っていれば、リースは大きなため息をついた後、自分の額に手を当てた。
「はあ……分かった、信じよう」
「えっ」
「えっ、て何だ。まさか本当なのか?」
「ううん、そうじゃなくて、信じてくれるんだって思って……」
私がそう言うと、リースは、ルビーの瞳を細め私を睨み付けるように見る。矢っ張り怒ってるんじゃんと言いたくなったが、その言葉をグッと飲み込んだ。
(どういう風の吹き回し? というか、絶対気づいたよね)
気づいて、目を瞑ってくれると言うことなのだろうか。リースなのに? 中身遥輝なのに? と疑問ばかりが頭を埋め尽くす。だって、リースがそんなことするなんて思いもしなかったから。
「お前の事、これでも凄く信じているつもりだが。誰が来ていたとしても……目を瞑る、つもりだ」
「さては、リースじゃない?」
「リースだ。俺以外誰だというのだ。勿論、魔法で姿を変えたというものでもないぞ。お前は勘違いしているのかも知れないが」
「勘違いなんてそんな……いや、変わったなあって思って」
「変わったか……」
「うん、変わったと思う」
私の言葉に、リースは不思議そうに口元を手で覆った。自分でその言葉を何度も復唱して、本当にそうなのかと考えるように。
でも、さっきの言葉は嘘じゃない。本当に変わったと思ったからこそ、口にしたんだ。
(暴走後からかなり変わったんだよね。落ち着いたっていうか、冷静に物事を考えるように……いいや、元からだけど。何というか、憑き物が落ちたような感じで)
きっと、リースの中でも色々あったのだろうし、変わったのだろう。それは、自分でも気づかないうちに変化したもので、指摘されて初めて気づいたに違いない。
「エトワールが言うなら、そうなのかも知れないな」
「そうだよ」
「お前は、本当に俺のことしっかり見てるんだな……いいや、見てくれるようになったんだな」
「え、えっと」
リースは、嬉しそうに微笑んだ。でも、言われた意味が理解できなくて、何でリースが嬉しそうに笑っているのか分からなかった。
見てくれるようになった。それは、裏を返せば、これまで見てこなかったと言うことになる。けれど、リースから見て私がそんな風に見えるのなら、私がリースをそういう風に変化したと思うようになったのなら、可笑しい話ではないのかも知れない。
(リースとちゃんと向き合うって決めたからかな……)
恋人から再スタートじゃないけれど、これからは、ちゃんとリースと向き合おうって私もあの時自分で決めたのだ。これも、私が気づかないうちに意識し始めたと言うことに。
(い、いや、リースを意識ってそういう意味じゃないけど!)
口に出せば、また誤解されるような事を心の中で思いながら、私はリースと向き合った。先ほどのむすくれた表情じゃなくて、笑顔の戻ったリースの顔は、本当に晴れ晴れとしていて、見ていて気持ちの良いものだった。そういう顔が私は好きだ。
「そ、それで、何でここに来たのよ」
「ああ、その事か。声が聞えたから……と言うのもあるが、俺自身眠れなかったというのもある」
「不眠症?」
「それに近いだろうな……どれだけ警備を手厚くしても、その目をかいくぐって侵入してくる奴なんて幾らでもいる。この身体の持ち主は、皇太子だからな。睡眠中に命を狙われることだってあるんだ」
「そ、そんな……」
何処か遠い目をしながら言ったリースの顔は、やつれているように見えた。それが本当なんだと物語っているように。
本来のリースの冷徹さや、人を信頼しないという所は、きっとそういう所から来ているんだろうなと私は思って、改めてリースを見返した。
「どうした? エトワール」
「え、ああ……いや、リースもアルベドみたいなんだなあって思って」
「はあ?」
「ひぃっ」
(あ、今のは完全に蛇足。失敗した!)
言葉選びを、と言うか話題選びを失敗したと、眉間に皺が寄っているリースを見て、私は身を震わせるしかなかった。
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