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桜空

1,893
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「きゃー! 星谷先輩だ!」昼休みの廊下に、黄色い歓声が響く。
私は思わず足を止めた。
廊下の向こう、人だかりの中心にいるのは、三年生の星谷拓先輩。
人気アイドルグループのセンターで、今一番勢いのある国民的アイドル。
テレビで見ない日はないくらい有名な人なのに、私と同じ制服を着て、この学校に通っている。
……もっとも、仕事が忙しくて学校に来るのは月に数回だけらしいけれど。
「彩、見ないの?」
隣の友達が私の腕をつつく。
「う、うん。私はいいかな。」
「もったいない! あんなにかっこいいのに!」
友達はそう言って、人だかりのほうへ走っていった。
私は小さく息をつく。
アイドルなんて、私とは住む世界が違う。
それに、あんなにたくさんの人に囲まれるのは苦手だ。
私はそのまま踵を返し、静かな図書室へ向かった。
放課後。
図書委員の仕事を終え、返却された本を棚に戻していると、不意に物音がした。
……誰かいる?
閉館時間はもうすぐ。
恐る恐る奥へ進む。
すると、一番奥の窓際の席で、誰かが机に突っ伏して眠っていた。
黒い髪がさらりと落ちて、長いまつ毛が見える。
その横顔に、私は息をのんだ。
「……星谷、先輩?」
小さな声が漏れる。
その瞬間、先輩のまぶたがゆっくりと開いた。
「……ん。」
少し眠そうな瞳が、まっすぐ私を見る。
テレビで見るよりずっと近い。
思わず一歩後ずさる。
「あ、ご、ごめんなさい! 起こしちゃって……!」
「……ふ。」
先輩が小さく笑った。
「なんで謝るの。」
低くて優しい声。
テレビ越しじゃない、本物の声だった。
「あ……その……。」
何を言えばいいかわからない。
すると先輩は体を起こし、窓の外へ目を向けた。
「ここ、静かだから好きなんだよね。」
「え……?」
「みんな騒ぐから。学校くらい、普通に過ごしたいなって。」
その横顔が、少しだけ寂しそうに見えた。
私は何も言えなくなる。
アイドルって、いつもキラキラしていて、みんなに囲まれていて、幸せそうな人たちだと思っていた。
でも、先輩も……疲れることがあるんだ。
「……秘密にしてくれる?」
突然、先輩が私を見る。
「俺がここで寝てたこと。」
私は慌てて何度も頷いた。
「もちろんです!」
その返事が面白かったのか、先輩はまた笑う。
そして――。
「ありがと、七瀬。」
「……え?」
どうして、私の名前。
驚いていると、先輩は不思議そうに首を傾げた。
「図書委員だよね。有名。」
「わ、私が……?」
「うん。静かで真面目な子。」
胸が、どくんと鳴る。
私なんて、誰の記憶にも残らないと思っていた。
それなのに。
「じゃあ、また来てもいい?」
夕日に照らされながら、先輩が笑う。
私は言葉を失ったまま、小さく頷いた。
その日、私はまだ知らなかった。
この約束が、私の毎日を少しずつ変えていくことを。
そして――
国民的アイドルとの、誰にも言えない恋の始まりになることを。
コメント
1件
わあ、第一話から素敵な出会いですね…!図書室という静かな場所が、アイドルにとっての「普通の時間」をくれる隠れ家になっているのが印象的でした。星谷先輩が「静かで真面目な子」と主人公の名前を知っていた場面、あれは彼もずっと彼女を気にかけていたってことですよね。二人の間にある「秘密」が、これからどう日常を彩っていくのか、とても気になります!