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◻︎里子さんとの出会い
朝方から降り続いた雨が、やっと上がった。
少しづつ書いていた小説(…のようなもの)の、添削をしてもらうために雪平と会う。
_____小説のことを理由に会う…か
そういう理由でもないと誘えないと、雪平さんが言っていたことを思い出した。
女同士ならただおしゃべりしたいからという理由でも会えるのだが、そこはやはり異性で好意があると簡単には誘えない。
_____理由があってよかったな
サンシェードからポタリと落ちる雫を眺めながら、一人外を見ていた。
「お待たせしました、遅くなって申し訳ないです」
少し低めの柔らかな声で、雪平さんが来たことがわかった。
「いいえ、そんなに待ってませんよ。というか、こんなふうに好きな人を待つ時間っていいですね」
「好きな人、ですか?それはうれしいな」
雪平さんは、ホットコーヒーを一つ!と店員さんに注文しながら椅子に座った。
「あ、つい…」
いまさら“好きな人”なんて改めて言う必要もないことだったのに、と思う。
「僕は焦りました、好きな人を待たせるのはこんなにも気が急くものだったんですね」
「好きな人、ですか?」
「えぇ、そうです。あ、同じですね」
ふふっと笑い合う。
あー、やっぱり好きだなと思う。
家族とは違う、損得もしがらみもない人。
魅力ある異性だから好きだと思える人。
「どれ、では拝読しましょうか?」
「はい、こんな感じですが…」
小説サイトに投稿して、アップする前の文章を雪平さんに見せる。
指先で画面をスクロールして、じっくりと読んでいくのがわかる。
「…なんか、恥ずかしいですね、自分が書いた文章を誰かに読まれるというのは。なんだか心の内を曝け出してるようです」
クスッと雪平さんが笑った、視線は画面を見たままで。
「そうですね、文章というものは多かれ少なかれその人の人となりというか、本質を見せてくれます。でも美和子さんがそう感じるということは、この文章は美和子さんの心が込められているという自覚があるからでしょう」
「そう言われると、そうです。なんていうか、その…お恥ずかしいんですが、雪平さんに向かってのラブレターのつもりで書きましたから」
不意に私を見る雪平さんと視線が合った。
「え?な、何ですか?」
頬が火照るのがわかる、思わず目を逸らす。
「ありがとうございます、この歳になってこんなふうに好意を寄せてもらえるなんて、予想もしていませんでした」
「そんな、それを言うなら私もですよ。雪平さんのおかげで毎日が楽しいものになりました」
「それならお互い、この出会いはいいものとして続けていけそうですね」
「そうですね、続いたらうれしいです」
「あ、小説のことですが。このあらすじのところをもう少し具体的に書いてみてはどうでしょうか?ネタバレしない程度に。その方が読者が興味を持ちそうですよ」
「具体的に?そうか、いっそのことおばさんでも恋愛してるとか?」
「大人の、ですね。いくら歳を取っても誰かを好きになるのは止められない、みたいなね」
「なるほど…」
それからも、雪平さんは言葉の言い回しや文字の使い方、ら抜き言葉や、“いう”と“ゆう”の違いについて教えてくれた。
そうやって直していくと、拙い文章だったものが段々と形になっていって、それが雪平さんとの合作のようで楽しかった。
その時は、ただ漠然と雪平さんとこんな付き合いが続くといいなと思った。
そして、何の確証もないのに続くと思った、その人に出会うまでは。
「雨も上がったので、少し歩きませんか?」
「いいですね」
雨上がりの昼下がり、雪平さんと並んで歩く。
_______上がったり下がったり
思わずぷっと笑ってしまう。
「え?なんですか?」
「あー、雨上がりの昼下がりって、上がったり下がったり大変だなって思ったら、可笑しくなっちゃって。日本語って面白いですね」
「雨上がりで昼下がり、確かに。やっぱり
美和子さんは面白いところに気がつくんですね」
なんだかこんな感じ、記憶にある。
多分、高校生の時に初めて付き合った人と一緒に歩いて帰った、あの放課後のドキドキとワクワクする時間の記憶だ。
とりとめのない話をしながら歩いていたら、小さな橋が見えてきた。
「あれ?」
「え?」
雪平さんがそっと橋の上を目で指す。
そこには私と同じくらいか少し年上の女性が立っていた、というよりは立ち尽くしている感じだった。
両手は胸に添えられていて、その手の中にはスマホらしきものが見える。
スマホを抱きしめながら、どこか遠くを見ているような?どこも見ていないような。
「どうしたんでしょうね、あんなところで」
「体調が悪い、とかかな?」
「わからないですね、行ってみましょうか」
「そうですね」
私たちの他にも、その女性を気にしながらも通り過ぎていく人がいた。
あと、2メートルほどの距離まできたけど、こちらに気づく気配はない。
かといって、たとえば橋から飛び降りるようにも見えない。
「あの…、どうかしましたか?」
雪平さんがそっと、声をかけた。
ビクッと肩が震えて、初めてこちらを見たその女性。
「ご気分でも悪いのかと思いまして、何かありましたか?」
今度は私が質問した。
こんな時、“大丈夫ですか?”と聞くのはよくないと、雪平さんが言っていたことを思い出した。
“大丈夫ですか?”と聞かれたら、大抵の人が条件反射的に“大丈夫です”と答えてしまうからと。
「…電話が……」
小さな声だった。
「電話が?かけられない?」
「いえ、あの、違うんです、かかってきたんです」
「誰からですか?」
「あの人から…」
その女性は、スマホを愛おしそうにさらにしっかりと抱きしめた。
その表情を見た時に、その電話は大切な人からだったと想像できた。
どうやら危険なことはないようだと思い、雪平さんと二人、そっとその女性に近づいた。
近づいてわかったのは、私より少し背が高かったこと。
グレイヘアのショートカットに大ぶりなイヤリング、オフホワイトのカットソーにスリムなジーンズをサラリと着こなしている。
「大切な人からの電話だったんですね」
「えぇ、本人は、“間違い電話をかけてしまった”なんて言ってましたが…」
緊張していたように見えていた顔に、ふわりと笑顔が溢れた。
「すみません、こんなところでおばあちゃんが立っていたら邪魔ですよね?」
「いえ、様子がおかしかったので心配にはなりましたが。それに、おばあちゃんだなんて、そんなふうに見えませんけど」
お世辞ではなかった。
「もうすぐ70ですよ、おばあちゃんですよ」
「ホントに?いや、お世辞じゃなくて、そんなお年とはお見受けしませんでしたよ」
雪平参加も言う。
「あらあら、こんな素敵な紳士にそんなことを言われたら、おばあちゃんでも浮かれてしまいますよ」
その女性は里子という名前で、もうすぐ70になると自己紹介をしてくれた。
「お二人は、ご夫婦?」
「え?あ、えっと…」
なんて答えようか考えていたら
「もしかして、道ならぬ恋人同士?とか」
私と雪平さんは、笑って誤魔化した。