テラーノベル
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歌舞伎町のような雑踏――夜の街を駆け抜ける。 ネオンが濡れた路面に反射し、紫と青と赤が滲み合う。電子広告が空中に浮かび、ホログラムの看板が乱立する通りを、ガニメデは一直線に突き抜けた。喧騒は遠く、彼の耳にはほとんど届いていない。
頭の中は妄想で満ちている。
正常な判断が入り込む余地など、もはやどこにもなかった。
研究施設の無機質な外壁が視界に入る。都市の喧騒とは対照的な、冷たい鉱物質の建造物。自動セキュリティの生体認証ブロックは沈黙したまま発動しない。彼は特殊部隊所属の正式な関係者だ。
任務で渡されたコードを情報ウィンドウへ展開。指先の動きは迷いがなく、端末へ送信。幾重にも重ねられた暗証番号、多層認証、網膜照合――すべてが滑らかに通過する。
ラボへの侵入は、あまりにも容易だった。
その最奥に鎮座していたのは――
光遡行空間移動装置。
薄闇の中で、それは静かに存在感を放っている。未来的な円筒構造。人一人がすっぽり収まるサイズ。外装には用途不明の補助装置、冷却ユニット、演算ノードが幾重にも接続され、微かな駆動音を立てていた。
本来、この任務の最終決定権は部隊長ハウメアに委ねられている。
古代への跳躍は、全員が揃った時点で実行される予定だった。
一度に五人は送れない。エネルギーの総量が足りないため、転送は一人ずつ。順番は模擬戦で決める――それがハウメアの判断。
万全の準備を整えてから行く。
それが彼の方針だった。
だが。
前線で負けたものから、”一人ずつ”向こうへと行く。
その言葉の「ひとり」だけを切り取った男が、ここにいる。
ガニメデは単独行動を選んだ。
夜間のラボは薄暗く、足元を間接照明が細く照らす。
彼は操作パネルに触れ、照度を上げた。白光が装置を浮かび上がらせる。
(これが、例のやつか……。行き先は古代。設定は既に組まれているはずだ)
筒内へ足を踏み入れる。床面がわずかに沈み、内部デバイスが起動。半透明のUIが展開され、彼の周囲を取り囲む。
自身の情報をリンク。
――生体データ読み取り開始
――神経同期率測定
――解析中……
――コード:ガニメデ
――認証成功
視界の隅で数値が跳ね上がる。
リンクは完了した。
(タイムトラベル、ね。本当に可能なのか?模擬では成功例もあるらしいが……)
一瞬だけ、不安が喉元を掠める。
(今さら疑っても意味はない。成功例に賭けるしかねえ)
その時が来る。
『情報エネルギーコア確認。出力開始。
タイムトラベル:中世代――適合率40%』
低い振動が足元から伝わる。空気がわずかに重くなる。
一瞬の静寂。
『出力最大化――適合率100%
カウントダウン開始。3、2、1……』
光が弾けた。
(おおっ、眩しい――!)
情報エネルギーコアから放出された膨大なエネルギーと情報データが、光の粒子となって装置内部へ収束していく。粒子は渦を巻き、円筒の内壁をなぞるように走る。神々しい輝きが満ち、空気が震え、金属が軋む。
カウントが消えた瞬間――音が消失する。
無音。
鼓動すら遠のく。
空間が歪む。
視界が引き裂かれ、世界が折り畳まれるように圧縮される。
存在の輪郭が曖昧になる。
もし外から見ていたなら、装置周囲の空間は水面のように湾曲し、波紋を描き、そして何事もなかったかのように元へ戻っただろう。
だが、ガニメデは――もうそこにいない。
肉体の感覚は消えた。
上下も前後もない。
思念だけが漂う。
時空の奔流に放り込まれたように、彼は情報の海を漂流する。無数の光の帯が走り抜け、数式の断片、映像の残滓、記憶にも似た何かが高速で交差する。
それは景色ではない。
情報そのものだ。
意識が引き延ばされる。
そして。
うねる時空間に、飲み込まれた。
◆
―― 中生代(約2億年前)
(頭が……いてぇ……。ここは本当に、あの場所なのか……?)
ゆっくりと身を起こす。湿った土の感触が掌に伝わる。
目に映る景色は、彼の知る世界とはまるで違っていた。
元の世界は鉱物と合金で構成された無機質な都市。空は常に人工光で照らされ、地面は均質な素材で覆われていた。
だが、ここは違う。
生命に満ちている。
見たこともない植物が天へと伸び、巨大な葉が重なり合い、原始林を形成している。湿った空気。濃い匂い。遠くで響く未知の動物の鳴き声。
風が葉を揺らし、光が木漏れ日となって地面を照らす。
ガニメデは息を呑んだ。
鼓動が速い。
しばらくその場に立ち尽くし、状況を整理する。
(さて……博士が所望するコアを探すとするか)
視線を巡らせる。
(最悪、コアそのものじゃなくてもいい。あれを開く“鍵”でもな)
文明の痕跡は見当たらない。
(まずは、人間が存在するかどうかだな……)
全身の装備を確かめる。呼吸を整える。
そして。
ガニメデは、未知の時代へと一歩を踏み出した