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「ねえ、優羅さん。たまには、悪いことしてみない?」
夕暮れの屋上。
いつもより湿った空気の中で、美咲が唐突にそう言った。
「……悪いこと?」
「うん。ちょっとだけ、“ちゃんと壊れてる”って、実感したい」
その言葉に、優羅は一瞬、戸惑った。
でも、否定する気にはなれなかった。
「……たとえば、なに?」
「コンビニの万引きとか。無断外泊とか。夜の街を歩くとか」
「……それ、ほんとに“ちょっと”じゃない」
「でもさ、どうせ私たち、まともな未来なんて望んでないじゃん?」
「……」
「だったら、今くらい自由に、堕ちたっていいと思わない?」
その目は、笑っていた。
でも、その笑顔の奥には、乾いた焦燥と――ほんの少しの破滅への憧れが滲んでいた。
土曜の夜。
「外泊って、親にはなんて言ったの?」
「友達の家に泊まるって。……まさか本当のこと言うわけないでしょ」
ふたりは駅前で待ち合わせた。
制服じゃない姿を見るのは、これが初めてだった。
優羅は、ゆるく結んだ髪と、淡い色のワンピース。
美咲は黒のスキニーにシャツ。見慣れないその姿に、お互い少しだけ見惚れた。
「……可愛い」
「どっちが?」
「どっちも」
そんな言葉を交わすことが、なぜか嬉しかった。
普段ならしない会話。普段ならしない服。
それだけで、まるで“別の自分”になれた気がした。
夜の街に溶けていくふたり。
コンビニで立ち読みをしながら、どこか落ち着かない。
「ねぇ…今、ポケットに何か入れたら、バレるかな」
「やめときなよ」
「ふふ、冗談。たぶん」
笑いながらも、指先が動いているように見えた。
優羅は、何も言わなかった。
止めることができなかった。
“止めたら、美咲が離れていく気がした”
その後、ふたりは繁華街を抜けて、ネットカフェの個室に入った。
周囲には誰もいない。音楽も流れない。
ただ狭くて、暗くて、静かな場所。
ふたりの呼吸だけが、重なり合う。
「ねぇ、優羅さん」
「ん?」
「ちょっと、目、つぶって?」
「……どうして?」
「いいから」
言われるままに目を閉じると、
ふわりと何かが触れた――頬、そして唇の端。
「……っ!」
「……ほっぺだよ。チューじゃないよ。だからセーフ」
「……反則だよ」
「ダメだった?」
「……ううん、ちょっとだけ、うれしかった」
それ以上は、何もしなかった。
手も繋がないし、抱きしめもしない。
でも、心臓の音だけが、やけにうるさかった。
夜が深まっても、眠れなかった。
ふたりは狭いベッドの上、背中合わせで横たわっていた。
話すことは尽きない。けれど、話すよりも、静けさが心を包んでくれる。
「……ねぇ」
「なに?」
「もしこのまま、私たちがどこまでも落ちていったら、最後にはどうなるんだろうね」
「わかんない。でも、一緒なら、それでいいって思うよ」
「うん、私も」
そのとき、心が少しだけ軽くなった気がした。
“いけないこと”をすることで、“生きてる”と感じられた。
この夜のことは、誰にも言えない。
でも、それがふたりの間にだけある秘密なら――
それは、確かな絆だった。
ふたりはもう、後戻りなんて考えていなかった。
だって、ふたりはすでに“壊れる覚悟”を共有していたから。
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