せっかくの週末。
土曜日の朝から、私はホテルのラウンジにいた。
「一華少しはにこやかにしなさい」
さっきから母さんは、小言ばかり言っている。
「楽しくもないのに笑えるわけがないじゃない」
「営業をやっている人間の言葉とも思えない」
黙ってたばこを吹かしていた父さんも、口を挟んでくる。
だから、私はここに来たくなかったの。
でも、母さんには「朝帰りをばらすわよ」と言われ、兄さんには「セクハラ接待を公にするぞ。そうなれば高田課長の責任問題になる。それでもいいのか」と脅され、仕方なくやって来た。
「お待たせしました」
いかにも高そうな着物を着たおばさま。その後ろに、30歳前後に見える男性とその両親。
「初めまして、白川潤です」
「鈴木一華です」
とりあえず、名乗ってみた。
一見さわやかで誠実そうな男性。
でもね、こんな人に限ってとんでもない性悪って事が多いの。
何人も女がいたり、ギャンブルにはまっていたり、闇の仕事に手を
「・・・あの、一華さん?」
マズイ、妄想していた。
「すみません、何でしたっけ?」
「一華さんのご趣味は?」
ああ、お見合いの定番。
でも、私はお見合いを壊しに来たわけで、
「趣味って、男性の好みって事ですか?」
「ええ?」
おばさまの顔が青くなった。
「い、一華」
母さんが小声で注意する。
「だって・・・」
私はほっぺたをプーッと膨らませて見せた。
28の女がやってもかわいくない事を承知の上で追い打ちを掛けてみる。
***
「あ、あの、一華さんから聞きたい事はありませんか?」
それでも頑張る仲人おばさん。
「白川さんって見た感じモテそうなのに、なんでお見合いをするんですか?何かご事情でも?ほら、色々あるじゃないですか?過去にとんでもない振られ方をしたとか、女性に興味がないとか?」
言いながら最低の女だと思う。
でもこうしなければ、お見合い結婚させられてしまう。
バンッ。
テーブルを叩く音。
振り向いた先に怖い顔をした父さんがいた。
「一華・・・」
地を這うような声。
これで終わったなと思ったとき、
ハハハ。
高らかな笑い声がした。
え?
「一華さんは面白い方ですね。確かに女性の裸は毎日見ているので、なんとも思わないかもしれません」
ええええ。
白川さんの言葉に、今度は私が絶句した。
「潤さん」
向こうのお母様が注意している。
女性の裸は毎日見ているって・・・どういうこと?
「一華さんは僕の話を聞いていませんでしたね?」
「え?」
「僕は最初に医者をしていますと言ったはずですが」
「あ、ああ。だから裸の女性」
「人の話はきちんと聞かないといけません」
「はあ、すみません」
マズイ、ペースを握られている。
「申し訳ありません失礼な子で」
「いえ、こちらこそ。非常識な娘で申し訳ありません.」
父さん同士が謝りだして、私と白川さんはとても居心地が悪い。
「一華さん、少し出ましょうか?」
白川さんの声が助け船に思えた。
「はい」
とにかくここから逃出さないと。
***
やって来たのは小さなカフェ。
窓から外を見渡せる席に、並んで座った。
「一華さんはどうしてお見合いを壊したいんですか?」
「別に」
お見合いを壊したいわけではない。
できる事ならしたくなかっただけ。
「好きな人がいるとか?」
「いえ、いないと思います」
「人ごとみたいですね」
確かにそうかも。
「私、仕事がしたいんです。今はまだ、結婚は考えられません。ただそれだけです」
「ふーん」
カウンターに肘をつき、ボーッと外を眺める白川さん。
「結婚と仕事って二者択一なんでしょうか?違うと思うけれどなあ」
「え?」
「結婚なんて『さあ、今から相手を見つけて結婚するぞ』って気負ってする物ではないでしょう?日常生活の延長線上にある物のはずです。今はまだ、一華さんがずっと一緒にいたい、結婚したいって思う人に出会えてないだけだと思いますよ」
「そうでしょうか?」
「僕はそう思います」
すごい、白川さんってとっても大人。
たった一言で、私の気持ちをこんなに軽くするんだから。
私もいい年だけれど、まだまだ子供だなあ。
「白川さんっておいくつですか?」
「それもはじめに会ったときに言いました」
「すみません」
「・・・28です」
「えええ、同い年?嘘」
「それは老けているって事ですか?」
「いえ、考え方がすごく大人だなあと思ったから」
やっぱりお医者さんだからかなあ。人の命に向き合うと、人生観も変るのかしら。
「きっと、僕が大切な者を失った事があるからですよ」
「大切な者?」
「ええ」
白川さんは私を振り返る事なく、真っ直ぐ前を見ながら話し始めた。
***
「僕が二十歳のとき、まだ大学生だった頃、付き合っていた彼女がいたんです。高校時代からのつきあいで、お互い大学を出て社会人になったら結婚しようって約束をしていました。
彼女が僕の前から消えてなくなるなんて、ありえないと思っていたんです。
でも、あっけなくいなくなった。事故でした。
人は突然消えるんだって初めて知りました。
もっといっぱい話をすれば良かった。手をつないで公園を歩きたかった。彼女の料理はとても美味しいのに、『美味しかったよ、ありがとう』そんな簡単な事も言ってやれなかった。
人は失ってみないとその大切さに気づかないんです。
恋人も、友人も、親でさえ、いつかはいなくなるのに」
私は何も言えなかった。
「僕も一華さんと同じで結婚なんてする気はありません。また誰かを失うなんて耐えられませんから」
「・・・」
父さんや母さんに反抗してお見合いを壊そうとしていた自分が恥ずかしい。
どんなに強がっても私は非力で、鈴木の家を出れば何もできない。
それなのに、1人で生きてきたような顔をして。
「少しは反省しましたか?」
え?
「頭の弱いわがままお嬢様のフリは見ていて気持ちの良いものじゃない」
「・・・すみません」
「今日はこのまま送ります」
伝表を持ち立ち上がった白川さん。
「あの、1人で帰ります。1人で帰りたいんです」
「わかりました」
そのまま白川さんは出て行った。
私は言葉にできないくらいの自己嫌悪に襲われた。
***
母さんが用意したお見合い用のワンピース。
きっと高かったはずなのに・・・
「せっかくのワンピースがもったいないな」
こんな沈んだ気持ちで申し訳ない。
ブブブ。ブブブ。
さっきから携帯の着信が止らない。
母さん、兄さん。時々父さんも。
みんなが心配してくれる。
あれ?雨。
どうしよう。
一瞬迷って近くのビルに走り込んだ。
白川さんは不思議な人だった。
つかみ所がなくて、時々とっても冷たい顔をする。
でも、言っている事はもっともで、自分の態度を反省させられた。
いつも小熊くんの事を子供だと叱っているくせに、私の方がよっぽど子供かもしれない。
ブブブ。
えっ。高田からの着信。
どうしたんだろう。
仕事以外で電話なんてかかったことないのに。
「もしもし」
『今どこ』
「え、赤坂だけど」
『プリンスホテルのラウンジで待ってろ』
は?
「私、何かした?」
休みの日に呼び出される覚えはないんだけれど。
「いいから」
「何で?」
率直な疑問。
「いいからつきあえ。この間介抱してやったのを忘れたのか?」
「いや、それは・・・」
この間ってどっちだろう?
きっと接待のことよね。
何も言い返すことができず、私は歩き出した。
行く当てもなく、このまま帰る気にもならず、結局ホテルに向かった。
***
「お待たせ」
「私も今来たところだから」
スーツでない高田。初めてかもしれない。
いつも仕事の場でしか会わなかったから。
Tシャツに薄手のジャケットと綿パン。こうしてみるとまだ若いんだなあ。
「随分めかし込んでるな」
え?
確かに、膝丈のワンピースもピンヒールも高田の前では初めてかも。
「高田こそ、普段とイメージが違って誰かと思ったわよ」
「そうか?」
「うん」
私の知らない高田。
当たり前だけれど、私達はお互いの事を何も知らない。
ただの同僚なんだから。
「何か食う?」
「そうね」
そういえば、お見合いのどさくさでお昼を食べ損ねちゃった。
「ここを出たところにパンケーキの店あるぞ」
「ああ、知ってる」
.
雑誌にもよく出ていて、いつも行列のできている店。
すごいなあ、1時間も並んで食べるんだっていつも感心してみていた。
でもなあ・・・
「パンケーキ、嫌いなのか?」
「えっ、そんな事ないけれど・・・」
何か違う。
「どうした?」
トーンの落ちた私に高田の顔が寄ってくる。
「もう、近いって」
ふざけないで。
「行こうぜ」
「・・・いいよ」
「へ?どうして?パンケーキ嫌い」
うんん。
大きく首を振った。
「違うけれど・・・」
何か違う。
フルーツやクリームたっぷりのパンケーキは白川さんとなら行ったかもしれないけれど、高田と行くのは違うかな。
「高架下に串カツ屋さんがあったじゃない。あそこ行かない?」
「はあ?串カツ?」
「うん。昼飲みしたい」
きっと呆れられるって思ったけれど、
「いいぞ、行くか」
意外に高田が同意してくれて、
「うん」
私達は向かうことにした。
***
「生2つ」
高田が言うより先に、注文した。
高田はメニューを見ながら串カツの注文をする。
「「うーん、うまい」」
2人の声が重なった。
休日の昼間から串カツとビールって、最高。
「ほら食えよ。二度付けは禁止だからな」
「わかってるわよ」
豚バラ、アスパラ、ミニトマト。
好きな物を遠慮なく食べ、ジョッキを傾ける。
幸せだなあ。
「あ、それチーズだぞ」
「え?」
「チーズ嫌いだろ?」
「ああ、うん」
びっくりして、ジーッと見てしまった。
「そんな顔するな。何年一緒にいると思ってるんだよ。6年だぞ。1日8時間、週40時間として11520時間。お前の好みくらい知ってる」
そう言うと、プイと目をそらす。
なんだろう、今日の高田は変だ。
テーブルの上に串カツの串でヤマができた。
だんだん気分も良くなってきた。
「飲み過ぎるなよ」
「わかってるわよ」
プイ。
いつの間にか遠ざけられていくジョッキ。
ふん。
「邪魔しないで。まだ大丈夫だから」
「お前の大丈夫ほど当てにならないものはない」
「・・・」
ぐいっと手を伸ばし、ビールを流し込む。
土曜日の昼間からビールを飲んで、気持ちよくなるアラサーってちょっと痛いきもする。
もちろん1人ではできないし、彼氏にも親にも見せる事のできない姿。
不思議だな、高田には平気なんだ。
でも、なんで高田は付き合ってくれるの?
もしかして・・・
「高田は私に気があるの?」
ブーッ。
思い切りビールを吹かれた。
「もー、汚いなあ」
汚れたテーブルを拭きながら、違うんだと理解した。
***
「じゃあ、なんで急に誘ってくれたの?6年で11520時間も一緒にいながら仕事以外では一度も誘われたことなんてなかったのに」
どうしてなの?と、顔を上げた。
「それは・・・」
チラッと視線をそらしゴクリとビールを飲む高田。
「何よ、はっきり言って」
今の反応で、恋愛感情からではないのはわかった。
じゃあなぜ?
「この間の接待に責任を感じている。防げなかったのは俺の責任だ。すまなかった」
え?
「・・・いいよ」
私の不注意だし。
大事にはいたらなかったし。
相手の会社からも謝罪してもらったし。
セクハラ部長は飛ばされた。
まあ、兄さんにもばれたら仕方ないわね。
「いいわけないだろうが」
強い口調。
ん?
「お前わかってるのか?もう少しで・・・」
「フン、わかってるわよ」
私は反対を向いた。
「不用心にもほどがある」
「・・・」
「お前の頭は飾りか、あの状況の危険さは新人でもわかるぞ。本当に、バカッ」
「・・・」
さっきまで謝ってくれていたのに、今は怒っている。
本当に、意味がわからない。
クイ。
顎をつかみ目を合わされた。
「な、何するのよ」
思わず声が震えた。
いくら異性としての意識がなくても、それでも・・・
「反省が足りない」
私のドキドキなど知らんぷりで怒っている高田。
彼は上司として怒り、心配してくれているんだ。
彼らしいと言えばそれまでだけれど。ちょっと紛らわしい。
こんなだから、浮いた噂1つ聞かないのよ。
***
「しばらく接待には行かせないからな」
「はあ?それじゃあ仕事にならないし」
「当分はサブでつけ」
はああ、冗談でしょ?
今さら後輩のサブなんて、
「イヤよ。今の取引先はずっと私が担当してきてるの。今さら後輩になんて譲れない」
「お前がなんと言おうと、接待には出さない。それで仕事にならないなら、サブに回るか異動願いを出すんだな」
「異動って」
私は高田の顔を真っ直ぐに見た。
「高田、本気で言ってるの?」
嘘だよね。
「俺は本気だ」
・・・。
目の前がかすみだした。
「何で?」
涙声にならないよう、小さな声でボソッと呟いた。
私はこれからも高田と仕事がしたいのに。高田となら、何かできそうな気がするのに。辛くても苦しくても、一緒に頑張れると思ったのに。
「二度とあんな目に遭わせない」
苦しそうで、悲しそうな声。
すごく心配してくれたんだと、今気づいた。
「・・・ごめんなさい」
「これから用心してくれ」
「はい」
高田はすっかり上司の顔に戻っている。
「だから、異動なんて言わないで」
私にしては珍しくかわいい事を言ったのに、返事は聞こえてこなかった。
その後もビールを飲み、夕暮れ前に酔っぱらい2人ができあがってしまった。
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