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白山小梅
12
言われたとおりに待っていると、待つ時間もないくらい、すぐに柊がやってきた。着替えなかったのか仕事着のままなので、こういう夜の街だと、ホストか何かと間違えられそうだ。
……さて、どうしよう。
行く宛を決めずに歩き始めた。柊の方が確実に歩くスピードは早いはずなのに、いつも同じスピードだ。
アルコール二杯では全然酔えなかったし、なんとなく重たい空気感を肌で感じていれば、「あのさ」と、最初に口を動かしたのは柊の方だった。
甘い香りに引き寄せられるように、柊の横顔を見上げた。
「何勘違いしたかわかんないけど、エミちゃん?とは、何もないから」
「本当、に?セフレになったとかじゃなくて?」
「本当に。つぅか柴崎が居るのにわざわざ他にセフレつくろうとも思わねーよ」
「じゃあなんで会ってたの?良いなって思ったから会ったんじゃないの?」
「1回だけで良いから会って欲しいって言われてたんだよ」
「……そうなの?」
「考えてみろよ。あの子、初対面の時から柴崎のこと悪く言ってたじゃん。面倒な女よりも、執拗い女よりも、他人とか、ましてや友達の友達を貶す女のが俺は無理」
「でも、それも、あたしが最初に柊の知り合いだって言ってたら少しは違ったかもしれないね」
「んなわけあるか。柴崎お前な、ちょっとお人好しな?」
「……そう、かな」
「そう。だからもうエミちゃんのこと言うのはこれでやめよ。他になんか言いたいことあった?」
柊がアイスブルーの瞳を寄越す。話してくれるたびに、どんどん心が軽くなっていくのに、好きって感情が占領していくから、プラマイゼロである。
「柊、あたしのバイト先に来てくれる時ってさ? 毎回待ってたよね?」
お言葉に甘えて、廣瀬さんに聞いた事実を踏み込むと「まあ、一応」と柊は応えてくれる。
「どのくらい?」
「ちょっとだけ」
「二時間?」
「……なんで知ってんの」
「終わる時間ちゃんと言ってたのに、なんで?」
お構い無しに詰め寄ると、柊の綺麗な瞳が逃げていく。柊が告げたのは「……なんとなく」の頼りない一言だったから「ふーん。暇人なの?」と、あたしはさらに調子に乗った。でも、あたしが余裕をみせれたのは、ここまでだった。
──「高校の時、柴崎、来なかったじゃん」
ゆっくりと紡がれた言葉。しかもそれは、絶対に見過ごせない中身だったから、静かに鼓動が上下した。
アイスブルーの瞳は逃げることなく、まっすぐにあたしをみつめている。
その瞳に掴まると、今も昔も逃げることは困難で、息も詰まりそうになるのに高鳴る鼓動はここちよい。
「……柴崎が手紙くれたあの日、俺が待ち合わせの時間を間違えてたんだろ?柴崎は俺が約束破ったから、幻滅したんだろ?……だから、柴崎のことは絶対待たせないように、毎回早めに行くようにしてはいる」
まさか、あたしを待ってくれている柊の答えは、あたしの想像の彼方にあって。
理由が神経の隅々まで行き届くと、自ずと足が止まった。
「そんなこと、思ってくれてたの?嘘でしょ?」
「……やっぱ引くか。これ言ったらチカにもドン引きされたんだよな〜……」
どうやら嘘じゃない、らしい。
───あの日。
柊のものと思われる笑い声を聞いて、あたしは走った。
放課後の教室にぽつんと置かれた鞄を抱いて、息を切らして走って、誰もいない家に帰りつき、自分の部屋に入るとへなへなとしゃがみ込んだ。
お父さんが居なくなった時よりも、お母さんがあたしより恋人を優先するようになった時よりも、ずっとずっと苦しかった。
隕石がどかんと落っこちて、心臓に大きなクレーターが出来たみたい。悲しさで埋め尽くされそうなこころを軽くしたくて、声を上げて咽び泣いた。
柊はうなじに触れていた手でアッシュグレーの髪の毛をくしゃりと掻き分け、気まずそうに目を伏せた。細いのにしっかりと長さのあるまつ毛が、しゅんと沈んでいる。
あの日、あたしは柊に裏切られたと思ったけれど、柊は、待っていてくれたんだ。振る女にでさえ、誠実に向き合おうとしてくれていたんだ。
「引いてないよ。引かないよ。……実はあの日、あたしも柊のこと待っていたくて、早めに行ったの」
「……は?」
「そしたら柊が……友達とあたしのこと話してるの、聞いちゃって」
「……」
「せっかく、好きな人に初めて手紙とか書いてさ?告白もしようと思ってたのに、柊があたしの手紙のことで、友達と笑ってるの聞いて……ショックで、行けなくなっただけ、なの」
事実を柊にぶつけると、気まずくなって、お守り代わりに手首を掴んだ。
あの頃、あたしの腕に巻きついていたブレスレット。もう、あたしの腕に居ないのに、手首を掴むくせは戻らない。
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