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「お人好しで。裏であんなに叩かれているのに馬鹿みたいに笑っていて。我慢して。耐えて。耐えて耐えて、耐えてばかりいて……。あそこまで言われているのに放っておくのが馬鹿みたい。このひと、おかしいんじゃないの? って思ったわ……」
わたしは、動かない。黙ったまま彼女を見守っている。知っている。この感情が恐怖に依拠するものではないことを。何故なら……
「あんなにも素敵な男に恵まれて。なに不自由なく育って。生まれながらにして恵まれた人間っているのだなって思ったわ。……あたし、だいたい、分かるの。家族の愛情を養分にして育った人間が。
きっと誕生日は、家族にいつも祝って貰って。箱入りのケーキを買って貰ったんでしょう?
……ひどいな、って思った。神様は、なんて……不平等なのかと」
「……紅城さん……」
「あたしのほうもあなたに嫉妬していたの。桐島さん。みんなに愛されて……一部のあの厭味ったらしい女どもを除けば、基本、みんなに愛されて、頼られているあなたが。
あたしたち、……似ているのかもしれないね。
桐島さん。あなたは、……比較的、『同じ自分』を持つ人間、……なんだよね。外で見せる顔と裏で見せる顔が同じ。それは、三田課長の愛の力によって。愛の力で、あなたは、生まれ変わった……」
どうしてそれが、分かるのだろう。答えは簡単だ。彼女は――
「……告白するとね。あたし、貴将と結ばれることで、変わった。おかしなほどに、あなたへの嫉妬が消え去った。満たされている……。だから、納得している……。
みんな、恵まれているように見えても、裏ではすごく苦労しているのよね。あたしもそう。だから、分かる……。
だからあたしは訂正する。
……かつて、あなたのことが、大嫌いだったと……」
「紅城さん……」
「馬鹿。なんであなたが泣くの。分かってる? あなた、自分が徹底的に痛めつけられたのよ。言葉という刃によって。また、あなた……耐えるの?
あたしが、大嫌いと抜かしたことに対して、怒りが……湧いてこないの?」
「紅城……さんも、辛い想いを、して、きたんだね……」なんでこんなに涙があふれるのか、自分でもよく分からない。「ごめんね。気づかなくって。紅城さん……紅城さんは、わたしよりもずっとずっと苦労してきたんだね。
紅城さん、名前の由来話してくれたでしょう? てっきりわたし……紅城さんが恵まれた家庭に育ったのかと……」
「あああれね」と紅城さんは頷き、「あの話しておけば、あなたのなかであたしという人間が勘違いされたままで終わるかなって。あれ聞けば、あたしが……父にも母にも捨てられた孤独な人間だということを、知られずに済むと思ったの。
あたし、仙台の出身で……。地元では、みんな、あたしの境遇を知っていた。
同情。憐憫。哀れみ。それから……差別」
紅城さんの声音に力がこもる。「親が……いないからって、欠落人間だと見なす人間って、世の中には多いのね。あたし、ちゃんと生きてきたわよ? 祖母に育てられたから、祖母の言うことを聞いて。宿題もやって。捨てられた頃から、きちんと自分のことは自分でやってきたつもりよ……それなりに。
でも、世の中の人間はその事実を認めず、あたしが、欠損家庭にて育った。その事実だけに着目をする。
人間って、自分に都合のいいことばかりしか見ないのね。……うんざりだったわ。ああ、まったく……。
あたし、なんであなたにこんな話をしているのかしら? ねえ、桐島さん……。あなたのことを、教えてよ」
「荒石くんと、うまくいってる?」
「日本語が分からないひとなのかしら?」
「Are you doing well with Mr. ARAISHI?」
「Definetely」流暢な発音で彼女は答えた。「そうね……。あたしが本当の自分をあなたに曝け出そうって決めたのは、そうね。貴将に愛されたから……彼の愛おしい家族に会えて、やさしくされたから……かもしれない」
「荒石くんの、どこが好きなの?」
「なよなよしているように見えて、案外男っぽいところ。決断力や判断力に優れていて、迷いがない。男らしい。そんなところ、かな……。それでいて超絶的フェミニストだし」
「へえ? どんなところが?」
「桐島さん、あなた、面白がっているでしょう……。知っているのよ? 貴将がかつてあなたに惚れていたこと。モブだったのが生まれ変わって、それから、三田課長に好意を抱いていたことを……」
「でも荒石くん、紅城さんにベタ惚れでしょう? すごく、大切にしている感じするもん。周りにだって、すぐ、交際を認めてさ。高原さんとかに……」
「ああ」納得したように、紅城さんは、「それなら、初めてのデートに行く直前に、やっぱ言われたんだって。で認めたって。
馬鹿じゃないの。ってあたし呆れたんだけど、彼、言うのよ……」
――おれは正々堂々高嶺を愛している。なにも恥じることなんかない……。
「って」
「課長イズムが浸透していますなあ」
わたしの発言に、声を立てて紅城さんは笑った。「そうそう。なんかあのふたり似てきてない? 貴将、明らかに三田課長の影響受けてるもの。
……ねえ、桐島さん」
なぁに、と濡れた頬を拭うわたしに、紅城さんは、
「ふたりで飲みに行かない?」
* * *
「こんっな酒に弱い人間、あたし初めて見た……。カルーアミルク二口でへべれけって。桐島さん、あなた、本当に大丈夫なの……?」
「えー。ぼくでちゅかー? 勿論ですー。ぼくちん莉子ちゃん☆ 愛されキャラの莉子ちゃんでちゅ☆」
「頭痛くなってきた……」と額を押さえる紅城さんは、「人間って複数の人格を保有するとは知ってはいたけど。知らなかった。桐島さんのなかに潜む桐島さんってこんな……陽気なのね」
「どちらかといえば陰キャなのだ☆ きゃはっ☆」
「とりあえず水飲んで中和しな。……酒抜けるまで帰れないわね。桐島さん、あなた、えっと……京葉線だっけ?」
「ですですー☆」ひっく、としゃっくりをあげるとわたしは、「ずぶずぶに課長のおうちに入り込んでます。きゃはっ☆」
「まあ……確かに放っておけないキャラよね……。三田課長が、あんなにもあなたに夢中になる理由が、分かった気がするわ……。熱っぽい目線送ってみてもまるで無視。あたしが篭絡出来ない男なんて、あの男。三田課長が初めてよ……。だから、なおのこと悔しくてたまらなかった」
「えー。紅城さぁん、課長のこと、どのくらい好きだったんです?」
すこし間を置いて彼女は答えた。「……彼の最愛のひとである桐島さんと幸せになって欲しいと願うほどには」
「健気でちゅね☆ たかたん☆」
「えっなに。たかたんて」
「鍛高譚ってお酒あるの知りまちぇんー? 今日からあなたは、たんたかたん☆ たかたん☆ たかたんでちゅよー☆」
「ああ、もう……」紅城さんはまたも額を押さえ、「あたし。まじのガチであなたと話そうと思って覚悟してきたのに。こんなになるなんてもう、やってらんないわ。
そうだ。三田課長に迎えに来て貰いましょう。
とにかく……お酒を抜くのが先決ね。危なくてそのままじゃ帰れない」
「えー。でも、ぼく、たかたんといっちょにいたい。あいちてるーたかたん☆」
「ああ、もう、絡まない絡まない! 面倒くさい女なんだからあんたは! ちょ、離して! ……あ、三田課長ですか。いまどこに……ええ。ええ。ええ……。あ、そうですか。分かりました。じゃ、いまメールで店のURL送ります」
「……誰に電話してたんでちゅか」
「決まってるでしょう。もう……変な女。まったく……」何故か納得したような目で見てくる紅城さんは、「眠い? 眠いんならひと眠りしなさいよ。課長が迎えに来るまでもう少しかかるから……」
言葉の終わりを聞かないままに、わたしの視界はブラックアウトした。
* * *
「あれ。……れ。れっ……。紅城さん。紅城さんは?」
カウンター席に突っ伏していたらしい。わたしは、隣に紅城さんの姿がないことに気がついた。代わりにいるのは、
「帰ったよ」
「どうして……起こしてくれなかったんです」
「きみの寝顔が見たかったから。……帰ろうか莉子。帰ってゆっくり休もう……」
泥酔してしまったのだろうか。引かれたかも。紅城さん。どうしよう……。
困り顔のわたしの背をやさしく叩き、課長は笑うのだった。「よかったじゃないか。素敵な女友達が出来て。うん」
「紅城さんは……わたしのことを友達だなんて……」
「え? 言っていたよ彼女。去り際に――」
――あたしの友達を泣かせたらただじゃおきませんからね。
「あれ。なんでそういうことに……。紅城さん、わたしに距離を置いていたはずなのに」
「きっときみの虜になったんだよ」
「やだうそ」
翌朝、出社すると、わたしは紅城さんに挨拶をした。「昨日は、ごめんなさい……。迷惑をかけて」
「いえ。いいんです」前を向いたまま彼女は告げる。「あんなにも酒が弱いとは致命的ですね。……ところで、『ぼく』人称のでちゅでちゅ☆ 言ってる彼は、あなたの保有人格の何番目なんですか」
「……なんのことですか」
すると、座る椅子を回転させ、弾けるように紅城さんは笑った。「嘘。無自覚? 信じらんない……。彼に会ったらねえ、言っておいて。また――飲みましょう? と」
わたしは一口程度酒を飲んだだけで酔う体質で、酔ったら自分がいったいなにをしでかしているかまで分からなくなる。ともあれ、わたしは頷いた。「はい。分かりました……」なんのことだか分からないながらも。
そうして――それ以来、たかたん☆ こと、高嶺とは、毎日一緒に帰って、時々一緒にお酒を――わたしは一口程度だけれど、たしなむ間柄に発展した。不思議なことに。おかしなことに。
わたしは彼女に嫉妬を、彼女はわたしに嫉妬をしていたはずなのに。女同士には時折、このような不思議なことが起こりうる。
*