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気がつけば私はマンションのリビングにいて、ソファに座ってぼんやりとしていた。
(本来ならここには彼女……グレースさんがいて、暁人さんと一緒に暮らしていたはずなんだ)
とうとう、我慢しきれず涙が零れ、頬を伝っていく。
(……私、……暁人さんの事が好きだったんだ)
彼に抱かれて喜んでいたし、好意を抱いていたのは自覚していた。
でも暁人さんにそれを伝えるつもりはなく、〝本当の相手〟が現れるまでは都合のいい恋人役に徹そうと思っていたけれど――。
どうやら私は、自分が考えていた以上に暁人さんに惚れ込んでいたらしい。
こんな残酷な形で、自分の気持ちを再確認するとは思っていなかった。
あの優しい眼差しも、ときどき何かを訴えるような真剣な目も、肌を辿った温かな手も、舌も、熱い屹立も、『私のもの』と思っていた愚かな自分がいた。
彼は全部、あます事なく彼女のものだ。
「…………っ、バカみたい……っ」
吐き捨てるように言うものの、暁人さんを責めるなんてできない。
彼は絶望していた私に手を差し伸べ、家族を助けてくれた大恩人だ。
妻がいるのに浮気をしたのは落ち度があるけれど、知らなかったとはいえ受け入れてしまったのは私だ。
「…………好き……っ、――なの、……に……っ」
涙が次から次に零れ、止まってくれない。
私は背中を丸め、激しく嗚咽する。
ウィルにフラれた時だってこんなに傷つかなかったし、父の葬式でもこんなに泣かなかった。
今、私は人生で一番と言っていいほどの悲しみに打ちひしがれていた。
「……っ、暁人さんの……っ、本当の〝特別〟に、――なり、たかった……っ」
泣いて泣いて、沢山泣いて、涙が涸れるほど泣いて――――、私は放心してリビングを見つめていた。
感情を吐き出すと、少し冷静になった。
(もう少し経ったら暁人さんが帰ってくる。泣いてメイクがグシャグシャになってるだろうし。その前に、何事もなかったようにしないと)
時刻は深夜前で、私は急いでバスルームに向かう。
私はなるべく何も考えないようにメイクを落とし、バスルームに入って髪と体を洗った。
寝る支度を整えてベッドに入ったけれど、当然、頭が興奮してなかなか寝付けない。
(明日、休みで良かった。……物件とか調べて、引っ越す準備をしよう)
体にはまだアルコールが残っていて、体はまだ熱い。
寝ようと試みているのに、頭の中でドッドッと心臓が鳴っているような錯覚を抱く。
そうしているうちに、玄関の鍵が開いて暁人さんが帰宅したのが分かった。
一瞬、「グレースさんも一緒に帰って来たんじゃ?」と思って息を潜めるけれど、聞こえるのは一人分の気配だけだ。
(奥さんは別の所に泊まるの?)
彼に尋ねたい事は沢山あるけれど、尾行してしまった事は絶対に言えない。
偶然見かけたとはいえ、堂々と声を掛けずつけ回したなんて、まるでストーカーだ。
私が悶々している間も、暁人さんは自室に荷物を置くと、上のバスルームに向かったようだった。
水音が聞こえたあと、彼がバスルームから出る音がし、ドライヤーを使う音がする。
やがて階段を下りる足音がし、暁人さんはキッチンで飲み物を出したあと、リビングで少し寛いでいるようだった。
私はベッドで横になったまま、暁人さんに心の中で「おやすみなさい」を言う。
(明日にでも荷物を纏めないと)
そう思った時、私の部屋のドアが細く開いたので、慌てて目を閉じた。
緊張して息を殺していると、暁人さんが足音を忍ばせて近づいてくるのが分かる。
目を閉じて眠っているふりをしていると、彼はしばらくベッドの側に立ち、私を見つめているようだった。
(……何……?)
彼の意図が分からずに戸惑っていると、頭をそっと撫でられる。
(……どうしてそんな事をするの……? 奥さんとおそろいの指輪を嵌めた手で……)
彼の気持ちがまったく分からない、分かりたくもない私は、抵抗するようにわざと身じろぎをした。
すると暁人さんはハッとして手を引っ込め、息を殺す。
彼は黙って私が起きないか見守っていたけれど、しばらく経って安堵の息を吐く。