退院手続きを済ませ、タクシーで白石さんをマンションまで送り届ける。 車内は微妙な沈黙に包まれていた。彼女は少し元気がないように見える。やはり病み上がりだからだろうか。
「今日はゆっくり休んでね。お粥とか、何か買ってこうか?」
「ううん、大丈夫。レトルトあるし……陽一さんも疲れたでしょ? 昨日は巻き込んじゃってごめんね」
「そんなことないよ。……じゃあ、また連絡するね」
マンションの前で彼女を見送った。エントランスに消えていく彼女の背中を見届けてから、僕は表情を引き締めた。スマホを取り出す。昨夜、胸ポケットにねじ込まれた黒い名刺。
『Personal Gym DAICHI』の場所は白石さんの家の最寄り駅から、二駅先だった。僕は駅まで歩き、電車に乗って駅で降りた。この足取りは重い。ここは地獄の一丁目と同じに違いない。
***
壁一面に並ぶ大小様々なダンベル。巨大なトレーニングマシン。そして、その中央でベンチプレスを上げている巨体があった。
「……来たか、モヤシ」
バーベルをガシャン、とラックに戻し、大地さんが起き上がった。タンクトップから溢れ出る大胸筋と上腕二頭筋が、物理的な威圧感を持って僕に迫ってくる。
「こ、こんにちは……」
「ふん。逃げるかと思ったが、意外と根性あるな」
大地さんは口の端だけでニヤリと笑い、顎で更衣室をしゃくった。
「着替えてこい。お前がひよりの彼氏としてふさわしい男かどうか、俺がテストしてやる」
「ぐぅ、うぅぅ……ッ!! あが、りません……ッ!!」
「どうしたァ! まだ自重だぞ! 生まれたての子鹿かお前は!」
30分後。僕は地獄を見ていた。重いバーベルなど持たされていない。ただのスクワットだ。しかし、休憩なしで延々と続けさせられるこのメニューは、貧弱な僕の太ももを完全に破壊していた。
「もういい、やめろ。お前の貧弱なフィジカルはよく分かった」
100回を超えたあたりで、大地さんが冷たく言い放った。 見下ろす目は、昨夜病院の救急外来で見た「魔王」のそれだった。
「お前はひよりの彼氏にしては弱すぎる。帰れ」
悔しさが込み上げる。 図星だ。僕は精神も肉体も弱い。昨日の夜も、救急車でお兄さんに怒鳴られて、ただオロオロすることしかできなかった。でも、ここで帰ったら、僕は一生「モヤシ」のままだ。
「……まだ……やれます……!」
「あ?」
(ここで逃げたら……僕は白石さんの隣に立つ資格がなくなる……!!)
僕は震える膝に力を込め、101回目からスクワットを再開した。視界がチカチカする。それでも、僕は歯を食いしばって立ち上がった。
「……フン。顔だけはまともになってきたな」
数秒の沈黙の後、大地さんはそう言ってタオルを僕の頭に投げつけた。
「シャワー浴びてこい。……プロテイン奢ってやる」
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