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普段通りの下校時刻。駅前で待つゴンタと合流してから、美琴はスマホ片手に歩いていた。昼に屋敷へ来た依頼人のことを妖狐がうんざり顔で愚痴っているのを、半笑いを浮かべながら相槌を打つ。
「だってさ、何のあやかしの匂いもしないくせに、絶対に何かいるって聞かないんだぜ。思い込みが激し過ぎるだろ」
「視えないもののせいにして納得したいんだよね、きっと」
「婆ちゃんも本当のこと言わずに、お札渡して『これで大丈夫』とか言ってるしさぁ」
何もかもを視えないものの仕業にされるのは、自身もあやかしであるゴンタには面白くないのだろう。気持ちは分からないでもないが、お札を売るのも祓い屋の仕事なのだ。需要があれば供給していかなければならない。
プリプリと怒っている子ぎつねを宥めながら歩いて、学生向けのマンションの前を通る。数年前に建て替えられた三階建ての鉄筋コンクリート造の白い建物は、以前は確か個人経営のクリーニング店だった。その名残りからか、一階のテナントにはコインランドリーが入っている。
その白色のマンションのすぐ手前、道路脇の電柱の横。長い髪を後ろに一つに束ねた女性が、物悲し気にこちらの方を見ていた。けれど美琴達はそれが視界に入っていないかのように、さりげなく横を通り過ぎていく。彼女が物言わないまま、そこにいるのはいつものこと。この地に魂を縛られたまま成仏できない、地縛霊だ。
――あの女の人、成仏させてあげられないのかなぁ……
亡くなった時のままなのだろう、その女性の装いはパーカーにチノパン、スニーカーととてもカジュアルで、見た目は三十代前半くらい。そして、幼い子供向けのキャラクターバッグをしっかりと両手で大事そうに抱えている。直前まで子供と一緒にいて、自分だけが事故にでも合って死んでしまったのだろうか。子供への想いが、彼女をそこから動けなくさせているのかもしれない。
駅へ向かう際、必ず見かけるその女性の霊のことを、美琴は視えるようになってからずっと気になっていた。真知子に相談すれば、彼女のことを救ってあげられるかもしれない。――そう考えていたけれど……
「そこに居たいと思ってる奴は、そっとしといておやり。無理に除霊する方が可哀想なこともあるんだよ」
今日の客が持って来たというバームクーヘンを、真知子はフォークで一口サイズに切り分けて口へ放り込んでから、孫娘へと少し呆れた顔を向けてくる。
「でも、あの人はずっとあそこに居るんだよ……」
「ゴンタの時と違って土地が縛りつけてる訳じゃない。自分の意思で居るんだから放っておけばいい。納得すれば自然に離れていくだろう」
「……そういうものなんだね」
いつも視る悲しい表情に何とかしてあげたいと思っていた美琴は、真知子の言葉には素直に頷くことができない。じゃあ、彼女はどうすれば納得できて、あの場から立ち去ることが出来るのだろうか。それに対して自分は何ができるんだろうか。
毎日のように出会う彼女には声すらかけられない。視えていないフリして、前を素通りして行くだけ。女性の霊はいつも変わらず寂し気な顔で、前の通りをじっと眺めていた。
週末に陽菜達と買い物に行く約束をして、待ち合わせの駅前まで小走りで向かっている時。美琴はいつも通りに彼女の前を通り過ぎるつもりだったが、少し手前で足を止めた。彼女がいる電柱の前で花束を抱えた男子が、その場でしゃがみ込んでいたのだ。制服姿じゃないからはっきりとは分からないが、美琴より少し歳下くらいに見えるから中学生だろうか。持っていた花束を電柱の下に置いて、彼は静かに両手を合わせていた。
そして、美琴が一番驚いたのは、いつもは寂しそうな表情しか見せない彼女が、足下でしゃがみ込んでいる少年のことを、とても優しい顔で微笑んで見ていたのだ。まるで幼い子供の成長を見守っている母親のように。
――あの女の人の、子供……?
すぐに立ち去っていった彼のことを、女性の霊はずっと目で追い続けていた。そして、彼の姿が通りの向こうへ消えてしまうと普段と同じ寂しい表情へと戻る。
今日は彼女の命日だったんだろうか。花束に入っている白百合が風に吹かれて小さく揺れている。女性の霊はあの少年の成長を見守り続ける為に、この場からはまだ離れたくはないのかもしれない。無理に成仏させてしまえば、彼女の魂がどこへ辿り着くのかは分からない。「無理に除霊する方が可哀想なこともあるんだよ」という祖母の言葉の意味が、ようやく理解できた気がした。
いつか彼女が、もう大丈夫だからと息子の成長に安心した時、彼女の姿はこの場から消えていくのだろう。それが少しでも近い将来であればいいのになと、美琴は願わずにいられない。