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8時を回って、私は会社を後にした。
兄さんから何件もの着信が残っていたけれど、今は無理。
完全無視を決め込んで、携帯をカバンの奥にしまった。
今までずっと会社勤めをしてきて、こんなに長い一日と感じたことはなかった。
どんな失敗をした時よりも、部長に怒鳴り飛ばされた時よりもつらい。
みんな遠くから私を見ているだけで小熊君以外は声もかけないし、仕事も回ってこない。
それでも手持ちの仕事を片付けながら業務をこなした。
この先どうなるんだろう。
今までみたいに何かあった時に助け合える同期もいないし、社長の娘ってバレた以上周りの目だって違ってくるだろう。
そうだ。
夕方、可憐ちゃんから携帯にメールが来ていた。
『一華さん。メールですみません。突然のことにただ驚いています。ほかの先輩たちは一華さんがみんなを騙していたって言っていますけれど、私はそうは思っていません。ズルをする気になればもっといっぱいできたのに、一華さんが他の営業の人と同じように頑張っていたのを私は知っていますから。でも、教えてほしかったです。今は先輩たちがうるさくて声がかけられませんが、噂なんてすぐに消えますから気にしないでください』
本当なら可憐ちゃんに直接謝りたい。
会社での友人が多くない私のとって唯一心許せる後輩だったのに、こんな形で裏切ることになるなんて。自業自得とは言え、後悔の思いしかない。
『黙っていてごめんね。落ち着いたら食事に行きましょう。その時きちんと話すから』
私の誘いに乗ってくれるかもわからないけれど思いながら、返事を送った。
いつになるかはわからないけれど、可憐ちゃんにはちゃんと話そう。
もう嘘をつくのはやめようと私は決心した。
***
さあこの後どうしよう。
本当は鷹文に会いたいんだけれど忙しくてそれどころではなさそうだし、家に帰る気分でもない。
行くあてもなく、駅へと向かう通りをフラフラと歩いた。
考えてみれば私は寂しい人間だ。こんな時に誘う友達1人いないんだから。
もちろん、学生時代にはたくさんの友達がいた。
小学校から大学までの付属校だったから、その分親しい友達だって多かった。
でも、28にもなればみんな結婚していって、夜急に呼び出して出てきてくれる人なんていない。女友達なんてそんなもの。
それに、今夜付き合ってくれそうな友達を捜し当てられたとして、鷹文のことは話せない。
結局、1人でいるしかない。
やっぱりおとなしく家に帰ろうかなあ、それもしゃくに障る。
お兄ちゃんの顔を見たらまた喧嘩になりそうだしな。
そんなことを考えながら歩いていると、
「あれ、鈴木さん?」
突然声をかけられた。
***
「鈴森商事の鈴木さんですよね?」
「ええ」
えっと、見覚えがあるんだけれど・・・
「海山商事の川本です」
海山商事って・・・あのセクハラ接待の、
ああああ。
わかった。
「あなた、あの時の」
「はい、その節は申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる。
この人はあの接待の時に同席していた担当者。
担当になったばかりで、ほとんど初対面だったから顔を覚えていなかった。
「一緒にいながら部長を止めることができず申し訳ありませんでした」
「いえ」
悪いのはあの部長だし、私も不用心だった。
「鈴木さん、今日はお一人ですか?」
「え、ええ」
「僕も1人なんです。よかったら」
そこまで言って川本さんの声が止った。
「やっぱりイヤですよね。あんなことがあった人間と飲みになんて行けませんよね」
「いえ、、そんなことは・・・」
こういう言い方をされると無碍には断れない。
「良かったら、行きませんか?」
一体いくつだろうと思ってしまうような屈託のない笑顔。
「あの、無理にとは言いません。僕は、鈴木さんに酷いことをした人間の1人なんですから」
「そんなこと・・・川本さんは知らなかったんですよね」
確か後になってそんな説明を聞いた気がする。
「ええ。部長はワンマンな人でしたし、『良いから、お前はもう帰れ』って言われて逆らうことができませんでした」
「そうですか」
そう言う人ってどこの会社にもいるものね。
まあ、犯罪はダメだけれど。
「近くの居酒屋とか、どうですか?」
まあ、人の多いところなら平気かな。
「良いですよ」
今日は私も飲み仲間が欲しかったから。
「行きましょう」
近くの大衆居酒屋を指さされ、
私もついていくことにした。
***
普段の私なら、こんなに不用心に人について行ったりはしない。
でも、今夜は1人になりたくなかった。
それに、川本さんはいい人に見えたし。
「「カンパーイ」」
ジョッキをぶつけて生ビールで乾杯。
料理も好みを聞きながら注文してくれた。
「へえー、あの部長は辞められたんですね」
「あれだけのことをしたんですからしかたがないと思います」
「ええ、まあ」
そうですね。と言いかけて言葉を止めた。
確かにそうだけれど、あんな席に1人で行ってしまった責任もあるような気がするし、なんとも複雑な気持ち。
「鈴木さんは海山商事の担当は外れられたんですよね?」
「ええ」
あの件は部長が1人で処理してくれて、
「お前はもう関わるな」って言われているから、その後の事を知らない。
「あれ、鈴木さんジョッキが空いてますね。この店は地酒も美味しいですよ。でも、女性は苦手な人が多いですかねえ?」
「いえ、飲みますよ。一応営業職ですからね、何でもいただきます」
「じゃあ、僕のオススメを」
そう言うと、川本さんはお酒を注文しだした。
この時、私は気づくべきだった。
川本さんは何も知らないふりをしながら、すごく上手にお酒を勧めていた。
無理強いではなくて、こちらが断れないような言い方で。
でも、一見純朴そうな川本さんに私はだまされてしまった。
彼は、危険人物だった。
「鈴木さん大丈夫ですか?」
彼がこう言った時、私はかなり酔っていた。
「すみません、随分酔わせましたね。お詫びに、ここは僕がおごりますから。今入っているグラスだけ空けたら出ましょう。送ります」
「ええ」
グラスに半分ほど残った日本酒。
もう無理だと思いながら、おごりますと言われたお酒を残すことができなかった。
グイッ。
意識を保つのがやっとの状態で、私は日本酒を流し込んだ。
***