キュウリ、ナス、ミニトマト、じゃがいも、ラディッシュ、小ネギ。
ベランダにあったプランターを無頓着に愛車――黒のランドクルーザー――へ載せようとする尽を見て、手にウサギみたいな見た目の多肉植物〝モニラリア〟の鉢植えを持ったまま、天莉は慌てふためいた。
だって、プランターなのだ。
裏側には土だってたくさん付いている。
「あ、あのっ。新聞紙とか持って来るのでちょっと待ってくださいっ」
尽の愛車は五人乗り仕様。三列目シートがないタイプなので、後部の荷室が広かった。
でも、だからと言って汚してもいい理由にはならないわけで。
天莉が鉢植えを手にしたままソワソワするのを見て、尽がクスクス笑った。
「俺の車が汚れるのがそんなに心配?」
問われて、コクコクとうなずいたら、
「そうか。俺は別に気にしないんだけど、このまま載せたらキミが倒れてしまいそうだし。お願いしようかな」
ふわりと極上の笑み向けられて、天莉は落ち着かない気持ちになって。
ブワッと耳が熱くなったのを感じた天莉は「あ、あのっ。じゃあ取ってきますねっ」と慌てて答えたのだけれど、動揺の余り声が上ずって余計に恥ずかしくなってしまう。
「行くならそれ、置いた方が良くないかね?」
手にしたままのモニラリアの鉢植えを指さされて、天莉は慌てて肩を跳ねさせた。
さっき部屋で、尽から博視以上に俺のことを好きになれと言われてから、どうも目の前の彼のことを意識してしまっていけない。
元々高嶺尽という男は極上のハイスペック男性なのだ。
地位的なものはもちろん、見た目もかなり最上級の部類に入るのだから、きっと天莉じゃなくても意識したと思う。
ましてや天莉は今、体調不良の際たまたま居合わせたに過ぎなかったはずの尽から、何故か強引すぎて怖いくらい熱烈に迫られまくっている。
利害の一致がその理由だと尽は言うけれど、それだけで偶然ほんの少し袖が触れ合ったに過ぎない通りすがりの平凡なフラれ女に、あそこまで強引になれるだろうか?
(私なら好きでもない人にキスとか無理……)
言わせたくないことがあって口を塞ぐにしたって、いきなり唇で塞ぐなんてあり得ない暴挙だ。
(キスっ)
思い出しただけでぶわりと頬に朱が昇りそうになって、天莉は小さくフルフルと頭を振って邪念を追い払った。
そうしながら、気持ちを切り替えてモニラリアの鉢植えを野菜たちのプランター横に置こうと屈んのだけれど。
ソワソワしながらしゃがみ込んだ天莉のすぐそばを、突如ニャーンという声とともに一匹の三毛猫が走り抜けたからたまらない。
「ひゃっ」
どこからともなく現れた猫にびっくりして声を上げた天莉を無視して、その子は尽の足元へ一直線に駆け寄ると、愛し気に尽の足にスリスリィ~っと擦りついた。
(あ、あの子……)
赤い首輪を付けたその三毛猫は、時折この辺りで見かけるどこかの飼い猫だった。
天莉がいつも遠巻きに「可愛いな」と見ていた、いわゆる顔見知り?の子で。
事故に遭ったりしたら怖いし、自分なら外には出さないのにな、と見かける度に心配もしていた猫だった。
今まで天莉がどんなにその子のことを想って熱視線を送っても、こんな風に近付いてきてくれたことなんて一度もなかったのに。
(……何で?)
まるで尽が飼い主だとでも言わんばかりに懐くその姿に、正直驚いてしまった天莉だ。
「高嶺常務、まさか今、猫缶とか持ってたり……」
「するわけないよね」
クスクス笑いながら言って猫の傍にしゃがみ込んだ尽が、彼女の喉元を愛し気に撫でるのを見て、天莉は胸の奥がキュンと疼くのを感じてしまった。
尽はいい香りもするし、きっとこの子が帰宅したとき、飼い主は「おや?」と思うに違いない。
そこまで考えてもしかして、と思う。
「あのっ。まさかその子の飼い主って高嶺常務だったりします?」
天莉は今まで、この子が誰かにこんな無防備な姿を見せているところを見たことがない。
尽の家からは大分離れているし、そんなことはないと分かっていても、つい聞いてしまいたくなった。
「まさか。俺は飼い猫を外に出す趣味はないよ? 飼うなら絶対家からは出さないようにするだろうね。外に出せばどんな危険があるか分からないし」
そこで意味深長にちらりと天莉の方を見遣ると、「何より、俺は大事なモノは閉じ込めておきたい性分なんだ」と続けながら「ほら、お前もこんな人懐っこかったら危ないだろ」と猫に向かって話しかける。
元々猫が好きだから、猫に懐かれる人と言うのに強い憧れがあったりする天莉だ。
(やめて下さい、常務。その姿は反則です!)
博視は猫はおろか、動物全般が余り好きではなかったので、天莉は時折一人で猫カフェに行って猫不足を補給したりしていた。
元々尽の容姿や立ち居振る舞いなどが嫌いではない天莉だ。
何とか理性で落ちてはいけないと踏み留まっていたというのに。
猫を慈しむ尽の姿に、不覚にもときめいてしまった。
これは非常によろしくない、と天莉の心の中で警鐘が鳴り響いたのは致し方のないことだろう。
天莉のマンション外に設置された外灯と、近くの電柱に取り付けられた街路灯の明かりの下で繰り広げられるイケメンとモフモフのラブシーン。
そこに自分が混ざれないことにギュッと胸が苦しくなって、天莉は一歩ふたりに近付いた。
だが口惜しいことに天莉の気配を感じるなり猫がパッと走って逃げてしまう。
「あ……っ」
少しぐらい撫でさせてくれても……なんて気持ちが、所在なく伸ばしたままの指先からダダ漏れてしまった。
「天莉。もしもキミが望むなら……」
立ち上がってスーツのしわを軽く伸ばしながら。
天莉の方へ向き直った尽が、下ろせないままの天莉の手にちらりと視線を投げかけて不敵に微笑んだ。
「一緒に暮らすに当たって、猫を家族に迎え入れるのも悪くないな……なんて思うんだが、どうだろう?」
忙しくて飼えなかっただけで、元々俺は動物が嫌いじゃないしね、とこちらを見詰めてくる尽に、天莉は思わず前のめりになって問いかけていた。
「たっ、高嶺常務のマンションは猫ちゃんOKなんですか?」
と――。
実は天莉の住んでいるここはペット不可。
いつか猫と暮らすことを夢見ている天莉は、憧れとともにちょくちょくネットで不動産情報を眺めているから知っている。
ペット可とうたわれた物件でも、爪とぎなどで家屋に傷をつける危険性のある猫は駄目だと但し書きのある場合があることを。
就職してすぐの頃は家賃との折り合いがつかずにペット可物件を見送った天莉だったけれど、二年後――つまり先ごろ――の契約更新の際には大分生活にゆとりも出来ていた。
本来ならペット可物件に住み替えて憧れのモフモフライフに一歩前進しても良かったのだが、生き物が苦手な博視のことを考慮して、そのままここに住み続けることを決めたのだ。
だけど――。
尽にそんなことを問い掛けながら、博視と別れた今、来年訪れる更新時にはその縛りはなくなるんだと気付かされた天莉だ。
でも、契約満了は一年近く先の話。
現状では猫との生活はまだ当分の間お預け。
それを今すぐにでも叶えてやろうと提案されて、心がぐらつかないはずがない。
ソワソワと身を乗り出すようにして尽を見上げた天莉に、もう一押しと踏んだんだろうか。
彼が端正な口の端に、微かな笑みを浮かべたのが分かった。
「もちろんだよ。うちのマンションにはどの生き物は駄目だなんて制約はないからね」
天莉が望むなら猫は二匹までOK、大型犬だって迎え入れることも可能だと付け加えた尽に、天莉はモフモフまみれの生活を夢想して生唾を飲み込む。
先程、尽は天莉の手料理を食べたいとも言ってくれた。
しかも、そこに愛情をこめられても鬱陶しくないのだとも。
(むしろその方がいいって言ってくれたよね……)
エプロン姿で尽宅の広いキッチンに立つ天莉の足元に、ふわふわの毛玉がニャーニャー鳴きながら二匹、真ん丸な目で天莉を見上げてまとわりついている。
(素敵……)
「ねぇ天莉。ひょっとして……うちに嫁いで来たくなった?」
話のついでみたいにサラリと聞かれた天莉は、気が付けば夢見心地のままうっとり、「はい」と答えてしまっていた。
「言ったね? その言葉、忘れるなよ?」
ククッと喉を鳴らしながらスマートフォンのボイスレコーダー機能をちらつかせてきた尽に、天莉はハッと我に返った。
けれど、当然後の祭り。
そのまま当たり前のようにスッと腰を抱かれて、「新聞、取りに行くんだったよね? 俺も一緒に行こう」と極上の笑みを向けられた天莉は、突如詰められた距離に「ひゃわっ」と色気のない悲鳴を上げた。
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